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KINDORU出版:外伝3 ~電子書籍はデータフォーマットか仮想の本か~

実際のところ、リフロー形式の電子書籍というものは、作者側にほとんどページレイアウトの自由がないといっていい。

先の記事で述べたように、制作側が段組みを指定することは出来ないし、ページを厳密に指定して、その頁ごとにページ数をふったり章のタイトルを書いておくというようなことも出来ない(これらは私自身の知識不足なのかもしれないが、すくなくとも基本的には行えない)。

Kindle パブリッシング・ガイドラインにゴチャゴチャトいろいろと書いてあるように、その本の基本的な本文に対してフォントの指定・サイズや色、行間の幅のようなレイアウト指定も、その他さまざまな装飾的記述を非推奨としている。

単に販売プラットフォームを提供しているAmazon/Kindleが、なぜこのような小うるさいことを電子書籍制作者に行ってくるのかといえば、それはおそらく本の本文に書かれている”内容の可読性”をひとつの本のクオリティ基準としているからだと思われる。

つまり、ある意味でKindleの目指している電子書籍とは、本の文面の意味する内容を読者へ届けるためのデータ形式であり、その手段や媒体は彼らAmazon/Kindleがある程度管理するべきだと考えている、と解釈してもいいだろう。

そして自分もはじめはそうした考えに、違和感や反感を抱かずにはいられなかった。

なにしろ自分は、どこかの賞やコンテストにいままで受かったこともなく、まして紙の本など一度も出版したことはない、正真正銘のアマチュアである。だから自分にとって、電子とはいえ初めて本を出すに当たって、あれこれと自分自身の本の理想形というものがあった。

もちろん理想形とはいっても、それはあくまでアマチュアである自分が考える抽象的なものではある。しかし、それでもそれなりにいろいろ選択肢がある中の、自分自身の本らしいものを選びたいという欲求はあった訳である。

それがいざ自分で何もかもを指定して自分自身の責任で電子書籍を作るにあたって、実はその選択肢がかなり制限されたものでしかないと分かったときには、少なからず落胆を覚えた。

しばらくはなにか方法は無いものかと考えあぐね、pdfのように文字を画像的に扱え、主に漫画などに使用されるフィックス型と呼ばれる電子書籍の方式で出版することも考えた。

しかし、一方ではそうした本の制作の難しさや、逆にリフロー型の利点なども学ぶにつれ、やはりこちらの方式の方が自分の小説としてもいいだろうと思うようになった。

まず第一に、なによりリフロー型は本文の書式が決まっている場合、圧倒的に簡単に作れる。

さきに述べたようなレイアウトの制約はあるものの、逆説的に言えばそれ以外の選択肢というものに悩む必要がない。自分の小説はおおよそ22万文字程度の長さがあったため、それらの文章を一ページごとに割り振りバランスを決めていくというのは、どうにも手間がかかってしまうだろう。

もちろんフィックス型の場合でも、製作において文字の並びは半ば自動的には行える。とはいえ、文字の大きさ・文字ごとの空き、行間の広さなどを全体で変えるごとにページ数が調整されたり、それによってまたそのページごとのレイアウトを確認し……というような作業は、やはり自分には荷が重かったと思う。

そしてそうした事ともかかわるが、第二の理由としてフィックス型ではそうした読みやすいレイアウトそのものを、読者側が使いやすいように指定できるという利点もある。

そもそもこうした電子書籍は、読者がどのような端末で読むかということもバラバラである。自分はPCでこの電子書籍の作業を行ったが、かならずしも同じ画面で読者に届くとは限らない。

おそらく日本の多くの人は、電子書籍をスマートフォンで呼んでいるはずであろう。そしてその画面は非常に高精細な有機ELや液晶の画面で出来ているものの、反面、絶対的な面積としてはどうしても小さいものになってしまう。

しかしそのような場合でも、読者はKindleアプリ側で自分の読みやすい単位に文字の大きさや行ごとの幅、フォントや背景と文字色の変更も行うことが出来る。本としての体裁を気にしたい著者側としては少しばかりきになるものの、スマートフォンの画面内で指の爪程にまで文字を拡大して読むことも出来る。

正直なところ、画面上に数文字づつしか映らない状態では、文全体のリズムが失われるうえ、誤字脱字が目立ってしまうので勘弁してほしいとは思っている。

しかし、そうでなければ読めないという人がいるのなら、たとえそうした読者でも——というか、たとえどのような読者であれ、結局は自分の本を読んでほしいという感情の方が強い。

そして、その人自身が読みやすいというのなら、多少文面の印象が変わっても、卍ダーク・モード卍やUDフォントのようなレイアウトも、結局は歓迎すべきなのだろう。Kindle自体の読みやすさが保証されていなくては、結局は私たちがいくら本を出版しても無駄となってしまうことになる。

そして第三に、そうしたKindleに適したリフロー型の形式を行うことで、どうやらKindle端末やアプリの拡張的な便利機能を使えるらしい。

上記のようにレイアウトを読みやすくする機能もそうだがタイプセッティングの改善と呼ばれる機能では、様々な恩恵が存在している。ハーフネイションやカーニングといった機能はどちらかといえばアルファベット言語の単語を調整するような機能だが、日本語でもある程度文を見やすく整理してくれるようである。

またPage Flipと呼ばれる機能は非常に便利で、kindle端末やスマートフォンで、前後のページを短冊状に表示したまますらすらとスクロールして、見たい情報を探すことが出来る。紙の本と比べ、電子書籍では小口から該当箇所をめくることが出来ないのが不便だが、この機能はある程度それを補ってくれることになる。


androidのKindleアプリでのPage Flip機能。
内容は人様の本なのでぼかしを入れさせていただいているが、このようにページを短冊状にいくつも表示し、スワイプして滑らかにいくつもめくることが出来る。画面右下や左下には青線で囲った元もページが表示されており、そこをタップするといつでも戻ることも出来る。

自分でいろいろ見たところ、フィックス型の電子マンガなどではこの機能が使えないため、これは文字を主体としてデータの軽いリフロー型に限定の機能ではないかと思う。

そうした電子マンガでも、いちおうスライダーによって本の内容の適当な箇所には飛ぶことが出来るが、その際にその個所のページ内容を確認することはできない。

その他、本文中の特定の箇所にマーカーペンのような線を引けるハイライトとそこに紐づけできるメモ機能。指定した単語について、その単語だけを後で見返して、憶えてできるかをテストできるフラッシュカード(いわゆる単語帳)なども存在する。

これらは内容を文章データとして扱うことによる利点の一つで、主にリフロー型の本で有効となる機能らしい。

ただ正直なことを言えば、自分自身はいまだ紙の本に愛着が強く、こうして様々な機能について関心を持った後でも、本といえば紙の冊子という意識が強い。しかし、なぜ自分がそのような好みを持つようになったかといえば、それはなんとなく自分が今まで生活の中で紙の本があり、不自由なくそれに触れてきたという事が大きいだろう。

幸いなことに(という前置きでも、当事者からすれば反感を覚える例かもしれないが)自分はLDのような障害はなく、また今の視力も文字を読むのに苦労はしない。そしてそうした感覚的な面や単に身体的な健康状態にも支えられ、いままで本というものを苦労なく読め、それらのいくつかに特に感動や関心を覚えてきた。

しかし考えてみるに、そうした自分の状況はいくつもの幸運に支えられてきたいま現在の状態であって、絶対的なものとも普遍的なものとも言えないだろう。

だから自分にとって自分の考える本が好きだという考えは、それを自分の中のこだわりとして持つことは別として、誰かに押し付けられるものではない。

少なくとも今回はそうした自分以外の基準に従うことによって、自分の書籍を広く人に売ることが出来る。そしてその私自身の売った本が、こうしたKindleの機能によってその人にとって読みやすくなり、もしかしたらその人にとって愛着の持てる一冊となってくれるかもしれない。

そしてそうした機能の多くは、このリフロー型の電子書籍が、文字列を格納するデータフォーマットとしての側面をもつことに依存しているとも言えるはずである。

日本語には現在未対応ではあるものの、英語の本では難しい単語への辞書機能等もあるらしく、内容が文字列の形式であるリフロー型電子書籍の利点は、今後も様々広がっていくのではないだろうか。

もう少し様々な書式が出来てもいいのではとは、ところどころでは思うものの、今ではこのリフロー型の利点も十分にわかる。

ただ、画像から文字列取り出してあれこれなんて、AIがどうせすぐ実現させてくれるよなぁ……。

その4へ。


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