久しぶりに見て腰を抜かした映画「ピアニスト」の話
二〇〇二年二月に公開された「ピアニスト」(ミヒャエル・ハネケ監督)という映画がある。イザベル・ユペールの主演で、カンヌ国際映画祭でグランプリ、男優賞、女優賞の三つを受賞した。
当時、新聞社で映画評を担当していた私は前の年の暮れにマスコミ向け試写を見た。翌春に出産する予定だったので、もうおなかが結構大きかったのを覚えている。
見終わって、私は号泣した。泣きながら試写室を出て、宣伝担当の女性と会話した。どんな話をしたのか覚えていないが、「感動しました」とか何とか言ったのだと思う。泣いている私に心を動かされたのか、その女性も目に涙を浮かべた。
私は涙をこらえながら、電車に乗って帰宅した。そして公開に合わせて映画評を書いた。宣伝担当の女性が「あんなに熱のこもった記事を書いてくださってありがとうございました」と電話をくれた。
それから二十二年。CSで「ピアニスト」が放送されたので、私は久しぶりにこの映画を見た。
見始めてすぐ、私はあれほど感動したはずの映画の内容を全く覚えていないことに気づいた。
主人公はウィーンの音楽院でピアノを教える三十九歳のエリカ(イザベル・ユペール)。夜、エリカは家に帰ると、買ったばかりの服がないのに気づき、母(アニー・ジラルド)に「秋物のスーツを返して」と言う。「知らないよ」。エリカは「返して、クソババア!」と怒り、母の髪をつかむ。
場面が変わって、「ひどい娘だよ。母親に手を上げて……」と泣く母にエリカが謝り、二人で泣きながら抱き合う。また場面が変わり、エリカと母はダブルベッドに二人で寝ている。家計について心配する母に、エリカは「心配しないで」と言う。母はエリカに「教え子に超されちゃいけないよ。誰にも負けちゃいけないよ。不用意なことはしないで」と言う。母はエリカを大きなホールでソロで演奏するコンサートピアニストにさせたかったが、実現のめどはない。「心配しないで」とエリカがまた答えたところでタイトルカット「ピアニスト」が入る。
こんな始まり方だったかなと思いながら、私は見続けた。
エリカに好意を寄せるハンサムな生徒、ワルター(ブノワ・マジメル)が登場する。ここはよく覚えている。この作品のポスターはエリカとワルターの情熱的なキスシーンだ。ロマンチックなこの図柄が頭に入っているので、化粧っけもなく、髪をひっつめて終始仏頂面のエリカにぐいぐいアプローチしてくるワルターの姿にうれしくなる。
が、その後のシーンで私は腰を抜かした。エリカは仕事を終えたあと、ウィーンの街中を足早に歩いていく。着いた場所はポルノショップだ。奥に個室のビデオ鑑賞部屋があり、先客が入っているのでエリカはドアの外に並ぶ。周りの客は男ばかりで、彼女をじろじろ見るが、エリカは気にしない。男が出てきて中に入ると、エリカはポルノビデオを見ながら足元のゴミ箱を漁る。前の男が捨てたであろうティッシュペーパーを拾うと、匂いをかぐ……。
え、こんな話だったっけ? 私は驚いた。何より、エリカがこんなことをしている話であることを全く忘れている自分に驚いた。感動して号泣したことは覚えているのだが、私は一体何に感動したのだろうか?
私はさらに見続けた。エリカは仕事を終えて家に帰ると、風呂場で自分の下半身をカミソリで傷つける。ドアの向こうから「エリカ、ご飯よ」と母親の声がする。バスタブについた血を洗い流して居間に行くと、母親がエリカの足に血が流れてきたのを見つけ、「注意してよ。食欲が失せたわ」と怒る。
私は混乱した。エリカは生理を装って、母親に自分に生理が来たと思わせているようだ。三十九歳という設定だが、ストレスか何かのせいで生理が来ていないのかもしれない。でも、何のために……? エリカは頭がちょっとおかしいのではないか……?
さらにエリカは、深夜にドライブインシアターに行き、カーセックス中のカップルをのぞき見たりもする。そんなエリカとはつゆ知らず、ワルターは情熱的にエリカに迫ってくる。
エリカは分厚い手紙をワルターに渡す。手紙を読まないままエリカの家に押しかけたワルターは「読んで」と言われて封を開けて読む。
「私が頼んだらヒモをきつくして。そしてベルトは穴三個分、締めること。きついほどいい。用意した古いストッキングで猿ぐつわをして」
ワルターは困った表情を浮かべて顔を上げるが、仕方なくさらに読み続ける。
「もし私があなたの命令に逆らったら、ゲンコツで私の顔を殴って。なぜ母親に逆らったり、やり返さないのか聞いて。そして私にこう言って。『自分の無能さが分かったか』と」
エリカはベッドの下から箱を取り出してワルターに見せる。箱の中にはいろいろな道具が入っているようだ。
「怒らないで。ゆっくり考えて電話して。道具もある。嫌いになった? 長年の望みだったの。そこにあなたが……」
泣きながら言うエリカに、ワルターは「病気だよ。治療しなくちゃ」と言う。が、エリカが「殴りたいなら殴って」と迫るので、ワルターは「手をけがしたくない。手袋をしたってイヤだ」と言うと、エリカに手紙を投げつけて帰る。
その夜、ダブルベッドの上で、母は言う。
「好きにしなさい。大人だから。これがすべてを捧げた結果……。大したご褒美だよ。このまま続けて、ここに売春宿でも開けばいい」
すると、エリカは突然、「愛してるわ」と言いながら母親にキスし、母親の服を脱がそうとする。
「やめて。どうしたのよ。けがらわしい。イカれてるよ!」と母。エリカがあきらめると、母は「あんたは頭がヘンだよ。完全に狂ってる」と言う。そう言いつつ、励ます。「さあ、寝なさい。演奏会に備えなくちゃ。生徒の代わりに弾くとしても全力投球で。誰か聴きに来てるかも」。明後日はエリカが生徒の代わりに弾く演奏会が開かれることになっている。この期に及んでも、母はエリカがコンサートピアニストになることを望んでいるのだ。
ここでまたエリカは起きて、母のネグリジェをガバッと上げる。「恥毛が見えたわ」とちょっとうれしそうに言って母に抱きつくエリカ……。
エリカの母が「イカれてるよ」と言う通り、エリカはやっぱりどうかしていると私も思った。
このあと、物語はエリカがナイフで自分の左胸を刺すところで終わる。結局、私が泣くことはなかった。二十二年前、自分がなぜ号泣したのか、分からないまま、映画は終わった。
その後、私は当時書いた記事を探して読んでみた。
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二〇〇二年二月一日
◇ピアニスト 人間を暴く悪魔的秀作
中年のピアノ教師エリカ(イザベル・ユペール)と、彼女に思いを寄せる青年。この設定から、年上の女と年下の男との単純なラブストーリーを期待すると、こっぴどく裏切られる。舞台はウィーン。厳格な母に育てられたエリカは、中年になっても母と二人で暮らしている。ある日、生徒のワルター(ブノワ・マジメル)が彼女に恋をする。熱烈な求愛にとまどいつつも、エリカは自分の秘密を打ち明ける。
ノーメークで仏頂面のユペールが終始、圧倒的な存在感を見せている。マジメルが若者の残酷さを太陽のような笑顔で刻みつける。病的なまでにエリカを抑圧する母役にはアニー・ジラルド。強烈なキャラクターが激しくぶつかり合って、息苦しいほどだ。
エリカのキャラクターには拒否反応を示す人もいるかもしれない。だが、多くの人は知らず知らずのうちに物語の中に深く引き込まれるに違いない。観た後もズシリと心に残るのは、彼女の生き方が哀れなまでにすさまじいから。エリカがベッドで母に抱きつくシーンは痛々しくもある。原作はドイツの女性作家イェリネクの自伝とうわさされる同名小説。昨年度のカンヌ国際映画祭グランプリ、最優秀主演男優・女優賞受賞作。ミヒャエル・ハネケ監督・脚本。2時間12分。シネスイッチ銀座ほか。(井)
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どんな記事を書いたか忘れていたが、宣伝担当の女性から「熱のこもった記事」と言われたわりには、サラリと簡潔に書いたのだなと思った。字数制限もあったからだろう。そして、「エリカは自分の秘密を打ち明ける」とか「エリカのキャラクターには拒否反応を示す人もいるかもしれない」と書いているので、当然のことながら、エリカの「イカれた行動」については認識していたようだ。
この二十二年前の記事を読んで、私は自分がどこで号泣したのか、思い出した。「エリカがベッドで母に抱きつくシーンは痛々しくもある」の一文を見たからだった。そうだ、私はエリカがベッドで母に抱きつくシーンで号泣したのだ。映画ではエリカは母を襲っていたのだが、私はただ母に抱きつくエリカがうらやましく、そうした「イカれたこと」はスルーして、この一文を入れたのだった。
当時、初めての子を妊娠していた私は、今は亡き母からこう言い渡されていた。
「ママは子育てのサポートはしないからね。○○君(夫)と二人でやりなさい」
自分の仕事に専念したいというのが理由だった。母は脚本家だった。
「里帰り出産」という言葉があるように、よく産前産後の時期をお母さん(祖母)に世話してもらったりするが、出産の際も手伝わないと母は言った(実際、娘が生まれても、父はいの一番で飛んできたが、母は来なかった)。
私は女性が孫の世話をすることで、自由に過ごせるはずの老後の生活を犠牲にするのはおかしいと思っていたので、母の考えに賛同しようとした。でも、内心は心細かった。無事に出産できるのか、育てられるのか、何より、育児をしながら会社でこの先、働き続けられるのか、不安だった。
試写を見た時期は年の暮れで忘年会が多く開かれており、たまに母と一緒になると、「おなかが隠れる服を着なさい」とか「もっと綺麗にしなさい」と注意されることにも悩んでいた。どうしたらいいのか、分からなかった。
なぜ自分が号泣したのかの理由が判明したあと、同時に当時のことが思い出されて、私はしばらくひとりで泣いた。
ところで今回の二度目の鑑賞では、忘れていたエリカの突拍子もない行動にびっくりさせられ、泣くことはなかったが、私はやっぱりこの映画が好きだった。もともとイザベル・ユペールとミヒャエル・ハネケ監督作品が好きということもあるが、二十二年前に書いたように、「強烈なキャラクターが激しくぶつかり合って、息苦しいほど」なのは変わらなかった。エリカも母親も必死なのが、おかしく、哀れで、かわいそうなのだった。
あのときの宣伝担当の女性の顔も思い出す。あれほど号泣していた私を彼女は内心はどう思っていたのだろう。エリカと同じく、少しイカれているのかなと思ったかもしれない。そう思った。
(黒の会手帖第27号 2024.11)