紛争地の支援に力を注ぐ――UNOPS駐日事務所代表、前川佑子さんインタビュー
週刊エコノミスト 2023年6月12日
国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所代表 前川佑子
東京・渋谷の国連大学本部ビルの中にあるUNOPS(ユノップス)駐日事務所。代表を務めるのは南スーダンやイラクの復興支援に携わってきた前川佑子さんだ。仕事に懸ける思いなどを聞いた。
(聞き手=井上志津・ライター)
── 前川さんは2021年4月からUNOPS駐日事務所の代表を務めています。UNOPSとはどんな機関ですか。
前川 紛争地や危険地域を中心にインフラの建設や医薬品、医療機器、車両などの調達を行う国連機関です。各国政府や国際機関から拠出を受け、80カ国以上で年間約1000件のプロジェクトを実施しています。日本政府は21年だと8600万ドル、為替レートで変わりますが約90億円を拠出しています。日本関連のプロジェクトは現在約30件あり、それらのサポートのほか、外務省やJICA(国際協力機構)、民間企業とやりとりしたり、SNS(交流サイト)などで広報したりするのが駐日事務所の仕事です。
── UNOPSの活動はあまり知られていませんね。
前川 そうなんです。昨年のウクライナ危機の際は日本政府の委託を受け、約115トン分の消防・救助関連資材と医薬品・医療機器などの支援物資をウクライナに輸送しました。それらには英語で「From the People of Japan(日本の人々から)」というメッセージと日の丸をシールにして貼ってありますが、日本の税金がUNOPSを通じてどのように使われ、役立っているかを、事務所代表としてもっと周知しなければと思っています。
── シドニーでの歴史の授業でどんなことを聞いたのですか。
前川 太平洋戦争中に日本がオーストラリア本土を攻撃していたことです。オーストラリアの歴史の中で、本土を攻撃したのは日本だけなんですね。私は日米が戦ったことは知っていましたが、日本人なのにオーストラリアへの攻撃を知らなかったことがショックでした。当時は1990年代後半でしたが、戦後50年が過ぎても人々の記憶は鮮明で、傷がとても深いことが分かりました。それで子どもながらに戦争をなくしたいと考えたのです。
「『真実は現場にある』が私の行動の基礎」
── 大学卒業後は国際協力銀行(JBIC)に就職しました。
前川 日本の政府開発援助(ODA)を通じて国際協力に貢献することは、平和構築につながると思いました。採用面接の時、インド駐在経験のある面接官の話が入行の決め手になりました。ODAに関しては「国内で苦しんでいる人がいるのに、なぜ海外でお金を使うのか」という批判がありますが、「インドで圧倒的な貧困を目の当たりにすると、日本のODAには意味があると思うし、真実は現場にある」とおっしゃったのです。その言葉は今も私の行動の基礎になっています。
── そのJBICを3年半で退職します。
前川 ベトナム向けの円借款の案件に携わるなどして、やりがいがありましたが、平和構築の専門性を身に付けたいと思い、アメリカの大学院で学ぶことにしました。でも、自分がしたいのは研究ではなく、現場で働くことだと気付き、UNDPに入りました。ちょうど30歳の時です。
念願かない南スーダンへ
── UNDPでは危機予防・復興支援局(当時)ジュネーブ本部に配属されました。
前川 元兵士の武装解除や動員解除、社会復帰に関する政策立案が主な仕事でした。ただ、私としてはやっぱり現場に住んで携わりたかったので、11年5月に南スーダンに移りました。念願がかなってうれしかったですね。
── 希望すれば移れるのですか。
前川 国連はポストに空きができるとインターネットで公募するので、それを自分で探して応募するんです。基本的に国連は契約制で、ポストごとに募集します。1年単位で契約更新し、2、3年で終了という形が多いです。
── 初めて南スーダンという現場に行ってどうでしたか。
前川 南スーダンは11年7月にスーダンから独立するまで、50年間紛争が続いていました。生活環境は厳しく、私もマラリアに2回かかり、食中毒にもなりました。ひったくりにも遭いました。仕事は、復興支援を進めるにあたってコミュニティーの人々から要望を聞き、現地政府とすり合わせた上で国連として要望をかなえるというものです。
しかし、平和な暮らしを経験したことがない人たちと一緒に、一つのことに取り組むのは大変ではありました。例えば、人事担当者が業務パフォーマンスの悪い現地スタッフを注意すると、逆に脅され、怖くなって異動してしまったということもありました。
イラクで住宅支援に取り組む
―― コミュニケーションの取り方は難しいですね……。
前川 具体的な正解はないのですが、私が感じたのは自分が誠意と熱意を持って取り組んでいれば伝わるのではないかということでした。とはいえ、裏切られることもありました。南スーダンには2年半いましたが、私が離任した後の13年12月、南スーダンが再び内戦に陥り、地元の人たちの要望で作ったラジオ局が、地元の人たちの手によって略奪、破壊されてしまったのです。混乱の中、機材を売り払えばお金になるというメリットの方が大きかったのかなと推測しますが、自分の2年半は何だったのだろうと悲しくなりましたね。
―― その後はニューヨークの国連人道問題調整事務所に勤務し、15年3月から国連人間居住計画イラク事務所に赴任しました。
前川 ニューヨークではやはりまた現場に行きたいという気持ちが強くなり、募集を探して応募しました。国連人間居住計画は都市開発や住宅政策を専門とする機関です。ちょうど過激派組織「イスラム国」が猛威を振るい、避難民が約600万人出た時期で、キャンプに仮設住宅を作ったり、紛争が落ち着いた後は住宅の再建や公共施設の修復などを行ったりしました。
―― 危険を感じたことは?
前川 なかったです。国連では安全のルールが厳しく定められているんです。専門の部署が常に治安情勢を分析し、例えばこの地域に行くなら防弾車が何台必要と決められています。そのルールに沿って行動している限り、怖いと感じることはありませんでした。
―― 南スーダンとイラクで違いはありましたか。
前川 国の状況が全く違いましたね。南スーダンは国のインフラもないですし、現地の人の教育水準もバラバラ。一方のイラクは、紛争以前は発展した国だったので、インフラも整っていますし、教育水準も高いんです。事務所のスタッフも熱意のある人が多くて働きやすかったです。
日本が拠出したプロジェクトにイラクで関わった経験を生かしたいと、UNOPS駐日事務所代表に応募して21年に就任。05年の渡米以来、16年ぶりの日本での生活となった。イラクで拾い、連れ帰った白い猫2匹と日本人の夫と暮らす。趣味は読書。好きな作家は遠藤周作と高橋克彦という。
「グローバル人材とは、この人とまた一緒に仕事をしたいと思ってもらえる人のこと」
「平和を一緒に作りたい」
―― 久しぶりの日本での生活ですね。
前川 お湯も出ますし、電気もインターネットもありますし、快適です。でも、社会全体に閉塞(へいそく)感を感じます。これからこの国は絶対良くなっていく、良くしていこうというエネルギーがあまり感じられないですね。
―― ウクライナ危機の終息が見えません。今の時代、国連の意義は何だと思いますか。
前川 ウクライナ危機に対しては国連安全保障理事会が機能していないという指摘がありますし、私も課題を感じます。大きな組織なので意思決定がスムーズに行かない面もあります。一方で、国連だからこその強みもあります。それはやはり現場で直接人々の声を聞くことです。平和構築はなかなか簡単にはいきませんが、自分としては、平和をみんなと一緒に作りたいということを伝え、熱意を持って仕事をしていくしかないと思っています。
―― 「グローバル人材」という言葉をよく耳にしますが、理想のグローバル人材とはどんな人だと思いますか。
前川 一般的に思い浮かぶのは、語学ができるとか海外経験があることでしょうね。でも、国連の中では英語が流ちょうでなくても、評価されている人も多いですよ。では、何が評価されるのかというと、自分の同僚やカウンターパート(交渉の相手方)に、またこの人と一緒に仕事をしたいなと思ってもらえるかではないかと感じます。そして大事なのは、自分が熱意を持って何を提供できるかということですね。
―― これからやってみたいことは?
前川 日本の税金はUNOPSを通じて世界で役立っていますが、日本の人々にも益があるようにしたいです。例えば、日本の中小企業に調達に参加してもらい、日本の製品やサービスを国連を通じて途上国に使ってもらえるようにしたいと思っています。
―― UNOPSの仕事がひと段落ついたら、また空席を探して現場に行きたくなるのではないですか。
前川 そうですね。日本の企業だと多くの場合、人事部から異動先を指定されますが、国連の場合は良くいえば自分で主体的に選べます。一方で、職の安定や収入の保証はありませんから、一長一短ともいえますね。これからも、私はその時々で自分に一番良いことを見つけていきたいです。
前川佑子
まえかわ ゆうこ
1979年、愛媛県生まれ。父親の仕事に伴い、5~9歳を米ニューヨークで、14~17歳をオーストラリア・シドニーで過ごす。京都大学法学部卒業。2002年国際協力銀行(JBIC)入行。米コロンビア大学院、バージニア大学院を経て11年、国連開発計画(UNDP)南スーダン事務所、15年から国連人間居住計画(UN-Habitat)イラク事務所に勤務。21年4月から国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)駐日事務所代表。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20230620/se1/00m/020/006000c