母
母が突然亡くなりました。突然でもなかったのかもしれない。
どうして今だったのか、まだまだ元気になってきていたから、今でなくても。だったのかもしれないけれど、今はまだわからないこともあるけれど、やっぱり今だったのだろう。と思います。
母が選んだタイミング。
宇宙が今だよって届けてくれたタイミング。
5本指の靴を履いてお出かけしていた日。
ふと足元をみたら、花が咲いていました。(指の間にひっかかっていた)
電車の中で一人ほっこりしながら、その花を手帳に挟みました。
母子草。花言葉は
「いつもあなたを想っています」
その日の夜、日付が変わるころ、母は心肺停止となり、蘇生をつづけながら病院に搬送されました。翌朝知らせに気が付き、母はもう逝ってしまった。しまうのだとわかりました。母子草は、日常のあちこちに遊び心を散りばめていた母らしいメッセージだったのかも。
コロナ渦ということもあり、同居者の父がほんの短い間だけ母に会った以外は、次は一週間後にまた、父だけがほんの短い時間だけ会えるとのこと。
そんな風に言われていたのに、病院についたら面会をさせてもらい、そして最期は、私たち家族、妹夫婦、父、と8人で母を囲んで見守る中、母の心臓がとまるその時を一緒に過ごすことができました。
それからの1週間、それぞれの夏休みに繋がっていたこともあり、私たち8人で共に過ごしました。私たちが子どもの頃書いた作文や手紙、母の日記、出産の頃の闘病生活中のメモ、離れて暮らすようになってからの手紙などなどを整理しながら。まるで、一台のバスにのっていろんな時を訪れ旅するみたいに。
子どもの頃、夜の散歩をしながら母とどこまでも広がる田んぼのあぜ道に寝転がって星をみました。
父の誕生日お祝した日の夜、空一面曇り空だったけど、どうしても星がみたくなって、子供の頃育った場所へ星をみにいきました。
星なんて見えそうになかった空に雲がはれて星が広がりました。
「おかあさーーん」って思いっきり叫んだら、これまでの人生でみてきた中で一番大きな流れ星が一つ流れました。
お母さんありがとう。
私からしか見えていなかった母のこと。私が知らなかった母のこと。そのことを、もっと早く理解できていたら良かったのかもしれないけれど。それも全部が、そうあったからこその今があるのかな。
私は、もっともっと思いやりのある人間になりたい。
これからは、沢山沢山与える人になりたい。
あなたたちは、私が生んだけれど、天から預かったのだと言っていた母。
45歳になってもわかってなかったこと、気が付けなかったことが、沢山あったけれど、それも今このタイミングでの母からの贈り物。
私の中にぽっかり穴があいたようで、すっかりすべてあるようで。
たくさん、たくさん、話したね。まだまだ、これからも話したいことがあるよ。たくさん、たくさんハグしたね。もっともっと抱きしめればよかった。
空がこれまでよりずっと綺麗にみえます。
明石へ戻る道すがらパチリ。石川にまたくるね。
p.s.
私は元気です。昨日明石に戻りました。
今日からセッションもスタートしています。日々の何気ないこと、これまでもよりもずっと愛おしく感じています。もっともっと素直に、抱きしめたい時には抱きしめよう。
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