絶対に癒されたくなかったわたし
ここ最近の多次元キネシオロジーでの自己調整のこと。これは!なことを書き記しておこうおこう。と思いながらも、、、どうも難しい。
それは、調整中は驚くほどの感覚に包まれたり、圧倒的な気づきがやってきているのに、終わって少し時間がたってみると、それを時系列に並べて(時空間を使って言葉として)表現することがとても難しいのです。
そもそも、時系列にしてみたら、自分でも理解不能だったりすることも。
論理的に説明できるようなことでなかったり、相反する思いがどちらも同じように圧倒的に存在していたりするのです。
う~ん!悩ましい!!!
この夏、調整していた一連のことを書きたいのですが、、、それは書けるか怪しいので(何度かトライしてみたのだけど。。。)
フレッシュ♡!な昨日の調整のことを書いてみます。
昨日の調整も記録しておきたいこと。
その調整のテーマは、「自分だけが豊かになるのは申し訳ない」という思いについて。この感覚は、日ごろ強く意識しているわけではないけれど、どこかにはあることはわかるし、何より筋反で訴えられたので、これは調整すべし。と取り組みました。
日常的には、この感覚はちらちらと登場します。悲しいニュースを目にした時、嬉しかったことを表現することにためらいを感じるとか。
大きく感じたのは、インドに住み始めた頃。自分は決して裕福だとは思ってなかったけれど、インドのスラムを目の当たりにし、これまで、お金がないとか、足りないと思っていた自分に耐えられなくなり、息をするのも難しいような感覚になったことがあります。
さてさて。
この日の調整は驚きの連続でした。
その一つは、「感覚、感情」について。
例えば、些細なこと(だと思って、判断して)で、特に気にしていなかった自分の感覚とか、まあ、不安やもやもやはあったとしても、それもしょうがないよね。それでも乗り切ってくでしょ。としていたこと。
これって、決してその感覚が小さい、とか、ない、わけではないんですよね。
理屈だとか、頭で判断したり、これ以上辛くなりたくないと閉じたこともあれば、はたまた、ポジティブさや前向きな気持ち、勇気勇敢さ、達観力などなど、で、かき消し封印、蓋をしていたということがなんと多いことか!!!
そして、多次元キネシオロジーを通じて、そのエナジーはみつけて昇華するまではずっとそこに存在し続けていて影響をしているのだとういうことを、何度も発見してきました。
で、昨日みつけたのは、周りの状況が不安定な時とか、この先どうなるのかな?なんて思っていた時期のこと(わたしが会社を辞めようと決めたころとか、夫が教員として働き始めた頃のことがあがってきました)
その時の、不安な感覚が、これでもか~!!!と泣いて訴えてきたのです。こんなに不安だった気持ちを誰にも言えずに、だれにも理解できないと、抱えていたなんて!わたしよ~!!!とぽろぽろ、ぽろぽろと泣けてくるんです。
同時に、わたしの中には未来への希望と楽観さ、ポジティブなわくわくも存在していたことは間違いなく、トータルでみれば、当時のわたしは、その影響で、多少の葛藤やもやっとしたりしながらも、割とらくらくん♪とそのプロセスを体験したと、「思っていた」んです。
こんなに辛いと感じているのだと認識できていたなら、間違いなく、それは誰かに訴えたり、寄り添ってあげるよね。と思うレベル。
けれども、自分ではそう認識できてないのだから、それはそのまま、置き去りにされていました。もっといえば、これまでも、この場面は向き合ってきたことはあるけれど、その時に、そこまで深いレベルで認識できていなかったんだなぁと。
多次元なわたしたち。
そんなわたしたちの存在、構造はややこしいとか、めんどくさいやつ、でもなく、愛しすぎるよ。君。
「自分の感覚を受け入れること。自分の闇(弱さ、ネガティブさ)を受け入れること」というメッセージも何度もでてきたのですが、、、
「受け入れる」って、ただみつけるとか、認識するとかではまったくなかったということにも、深い理解とともにストンとやってきました。
それが起こるとき、、もうネガやポジとか二元的なものにカテゴライズされるものではなく統合され、すべてが自分として溶け込んでいく、祝福のプロセスでした。
そして、ここからが、一番書きたかったこと!
(前置きだけで長っ~!!!)
ハートチャクラとアストラル体の調整をしていた時のことでした。
「苦しい状態のままでいる」「いつも一生懸命」という言葉があがってきました。いつも一生懸命という言葉に、ぎゅっと胸を捕まれるような感覚がありました。
高校1年生、16歳の頃のことがあがってきました。(この時の出来事は、ある意味ドラマチックなので、これまでも、もう何度となく向き合ったことはあったのですが)
その頃の我が家は、もう何年も会話らしい会話はなく、父親の声はほとんど聞くこともなく完全に家庭内別居状態。だからといって、わたしは反抗するとかもなく、外から見れば、明るく成績優秀、家では調和、調整役を務めていたと思います。でも、内心は、会話もしないのに一緒に暮らしている大人に、生活に、もううんざりしていました。
ある日のこと。
ド!ヘビースモーカーだった父が鎮座していた紫色の煙に包まれた魔界のような部屋を見た時、わたしの中で何かがぷつんと切れたんです。反抗的な言葉など、それまでほとんどいったことがなかったのですが、父にたてついていました。
そして、父に思いっきり殴られ蹴り飛ばされわたしは吹っ飛んでいました。(日常的に暴力があったわけではありません。父にこんな風に暴力を受けたのは、この時の一回限り。武道家でもあった父は切れた時の破壊力が半端なく、父を怒らせることに、そもそもおびえていたと思います)
この時、私の中では、時間がスローモーションに流れていました。なにより、これで両親はやっと離婚してくれるかもしれない。ここから抜け出せるんだ。と変な安堵感のようなものまで湧いてきていたのを覚えています。
顔面血まみれのまま2階の寝室へあがっていき、母に、もうこの生活は嫌だということを訴えました。(この訴えも初めてだったと思います)
母は父と話してみることを約束してくれました。何年も会話をしていない二人だったので、これは、もう天地がひっくり返るような展開。
ただ、もし別れてこの家をでていくことになったら、あなたを大学にいかせることはできないかもしれない。ということも言われました(これはこれで衝撃でした。今までのこの生活は、わたしの大学の学費がネックで、わたしのせいだったの?という思いが沸いていました)
歯は欠けていたし、翌日には顔の形がなくなっていたけれど、鏡をみて、悲しさと同時に、その顔を誇らしく感じていました。これで変わっていくんだ。って思って。
そして
父と母は話し合い、、、、仲直りしたんです!
衝撃の展開で、これを聞いたとき落胆したのを覚えています。ここから抜け出せなかった。自由になれなかった。と。
父は子供の頃から、家庭らしい家庭を知らず、どうしていいのかわからなかったこと(これは本当にそうだと思う。祖母のことは以前も書いたけれど、地獄からの使者のような人だと思ってたから)、でも、これからは、それを改め努力していきたいこと。やりなおしたいこと。などを話したのだそう。
で、父は、数年ぶりに2階へとあがってきました。あまり覚えていないのだけれど、父はわたしにも謝ってくれたました。父が心の底から苦しく感じ後悔し謝っていたこともわかっていたけれど。それでもわたしは、欠けた歯はもう元には戻らない!って言ったような気もするのですが、、、
で、ほんとに、そこから仲直りし、穏やかな生活に一変したんです。母が大変な時期に、無口ながらも寄り添い盾になっている父がいたり。
でも、わたしの中では、なんとも言えない消化不良感がありました。穏やかになった家族をみて、これは茶番だ!と思う自分が、いつもどこかにいました。
こんな些細なきっかけで(まあ、わたしが殴られる事件は、両親にとってとんでもない衝撃だったのですが)仲直りできるなら、この何年もの今まではいったい何だったんだろう。これまでのわたしが、必死で頑張ってきたことも、いろんな思いも、全部なかったことにされたような気持ちすらしていました。
そして、どこかで誓っていたみたい。
わたしだけは、辛かったわたしのことをいつまでも忘れない!って。
そんなわたしがいました。
不器用な大人たちを絶対に許さない。こんなにあっさり変わってしまったら、今まで苦しかったわたしがかわいそう。この苦しみを私は一生忘れない。この思いは誰にもわかってもらえないけれど、私だけは一緒にいるよ。
そんなわたしをみつけて、ぼろぼろぼろぼろ涙があふれてきました。
そして、聖母マリアと大天使メタトロンのエナジーがやってきました。
その子がわ~っと堰をきったように泣き出しました。
怒り続けること、恨みつづけること、辛かったね。ずっとあなたをそのままにしていてごめんなさい。泣きたかったよね。苦しかったよね。って
ずっと苦しいままでいる!って誓ったその子は、ずっとずっと苦しんでいて、ずっとそこから、本当には、連れ出してほしかった。みつけてほしかった。
ふはぁ~。
この調整はまだおわらず、それはターニングポイントでした。爆
そのあと、これまで癒してきたことのあるありとあらゆる前世の総集編のような展開どど~んとやってきました。(前世のできごとって、今のこの時代には信じられない、それはそれは悲惨なもの盛りだくさんです涙。それら全部、絶対に癒されてたまるもんか!っていう部分がこれまであったなんて驚きとこの変化の大きさよ)
「自分のことでないことまで責任をもつ、責任感が強い」「変化変容を受け入れること」「今を生きること」という言葉とともに。
絶対に癒されたくなかったわたし。が溶けていったら、これまで決してそこから先は許していなかった部分、前世のエナジーが昇華されていきました。
トートの深い理解のエナジーとキリストの赦し、慈愛のエナジーがやってきた時。
母のありとあらゆる姿が目の前に現れてきました。
若かった頃、年老いて、体がちいさく小さくなっていた時までも。そのどれもに、大きな大きな輝く魂のヒカリが重なっていました。それはいつもどんな時もわたしを包んでくれていたことを感じ、それを受け入れている私がいました。
その時、わたしにとっては初登場!
金星のエナジーがやってきました。
愛を受け取ることへの恐れと罪悪感が解放されていきました。
この調整をする前のこと。その日の朝、トートからもらっていたメッセージがありました。これを目にした人へのメッセージにもなりそうな気がして、ここに記しておきます。
ここ数日、トートがよく登場してきます。わたしにとってトートは、ここぞ!という一連の調整に区切りがつきそうな時に登場し、深い深い理解をサポートしてくれます。
「豊かさは終わることのないサイクルです。愛がすべての中心にあることを思い出しなさい。あなたは今、大きな変容の時期へと入ろうとしています…………これから先にある変化のすべては大きな幸せのためにあると信じてください。本当にそうだからです」
上記はメッセージの一部ですが、これをもらった時は、そうだよね。と思いながら、まだまだそれは頭や表層、それまでの「わたし」での理解でしかなかったことにも気が付きました。
今は、まったく違うレベルでこれを知っているような気がします。まだまだ、この理解は進んでく。思い出していくのでしょう。
長くなりました~
今回の記事は、おそらくこれまでの最長記事ではなかろうか。言葉にしてみると、あの圧倒的な感覚はどうしてもかけてないと思うのだけれど。それでも、自己満足がすごい♡書き終えてみたら、さらに新しい風が吹いているような気がします。
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