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服を買いすぎてしまうあなたへ〜消費の坩堝にハマるな〜


買っても買っても満たされない。そんな経験ありませんか?

どうもこんにちは碇穏空です。

今回は「消費」を題にしたお話をしていこうと思います。

あなたは最近、何かを買って満たされた気持ちになりましたか? それとも、どこか物足りなさを感じましたか?

単に「消費」と言ってもさまざまな定義付けがありますが、今回は最近読んだ國分巧一郎著『暇と退屈の倫理学』での定義に従って、自分の実体験と照らしながら考えてみようと思います。

消費とはなんなのか?

「消費」という言葉と似たものに、「浪費」という言葉があります。皆さんはこれらの違いを説明できますか?
國分さんの言葉をそのまま引用すると

浪費とは何か?浪費とは、必要を超えてものを受け取ること、吸収することである

暇と退屈の倫理学より

人は消費する時、物を受け取ったり、物を吸収したりするのではない。人は物に付与された観念や意味を消費するのである。

暇と退屈の倫理学より

としています。この説明だけでは少しイメージが湧きづらいので、僕なりの例を挙げてみます。

  • 消費 = ブランド物を買う、流行りのカフェに行く、趣味のためにグッズを買う

  • 浪費 = 美味しいものを食べる、いっぱい寝る

國分さんが言う通り、消費には限りがなく浪費には限界があるものです。
この2つの差は、前者には観念的豊かさ、後者には物質的(情報なども含む)豊かさがあることが大きな違いでしょう。
浪費と消費の定義はこれに沿って、私の実体験から消費を考えてみます。

消費の坩堝にハマった実体験

僕は服が好きで、よく買います。アパレルのバイトもしているので、服好きの人たちに囲まれる環境です。でも、一口に「服好き」と言っても、そのタイプは大きく3つに分かれると思います。

  1. 特定のブランドや有名人が着ている服が好きなタイプ

    • ブランドや「価値」としての服を追い求める人。お金や時間を費やしやすい。

  2. 服の素材やデザインが好きなタイプ

    • 服の素材や希少性、デザインの面白さに惹かれる人。

  3. コーディネートが好きなタイプ

    • おしゃれな組み合わせを楽しむ人。1や2のタイプにも混在する。

僕はこれら全てのタイプを経験してきましたが、一番危険だと感じたのは「1」にハマったときです。

ある時、試しにデザイナーズブランドの服を買ってみました。デザインやシルエット、素材は確かに魅力的でした。でも、それ自体はハマるほどのものではなかった。

しかし、その後「Number (N)ine」というブランドを深く知るうちに、僕は「ハマって」しまった。相場の安いものを探し、新着を追い、時間とお金を費やすようになった。けれど、買っても買ってもなぜか満足できない。「満たされなさ」が常に付き纏う。これこそが「消費の坩堝」なのだと気づきました。

それはいけないことなのか?

 じゃあ、満たされない消費を続けることは悪いことなのか? 僕の意見としては、「やめた方がいい」です。

一度始めた消費癖は、なかなか抜け出せません。現代人は常に情報を消費し、スマホを見るだけで「欲しい」と思わされる。この終わらない消費のスパイラルが、僕たちを無意識のうちに支配している。

もちろん、消費と成功がイコールとは限りません。キャバクラ通いの経営者だっている。でも、それがいつ終わるかはわからないし、満たされない心を埋めるためにまた消費を繰り返してしまう。

厄介なのは、この消費が日常生活にわずかな支障しか与えないことです。

現代は分割払いや借金が簡単にできる時代。気づけば、お金が貯まらない生活に追い込まれてしまう。だからこそ、僕ははっきりと「やめた方がいい」と断言します。

じゃあどうしたらいいのか?

 服に限らず、何かを買いすぎてしまう人へ。消費のスパイラルから抜け出すための方法をまとめました。

消費癖を抑えるためのステップ

  1. まず、すべての支払いが終わるまで新しいものを買わない。

  2. 一括で買える状態まで我慢する。

  3. 余ったお金で別の楽しみを見つける(旅行、美味しいもの、趣味)。

  4. 年収の○%までしか使わないルールを決める。

  5. お金をかけずに楽しめる遊びを探してみる。

一度ハマった消費を抑えるのは簡単ではない。でも、人生は一度きり。本当にやりたいことがあるはずです。それをもう一度、自分に問いかけてみてください。

最後に

ここまで読んでくださりありがとうございます。自分の反省から学んだ知見を自分で文字にしてみるとともに、誰かの人生に豊かさができたら幸いです。グッバイ!


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