楽になりたい
「結婚しよう」誰かがそう言ってくれるのを待っている気がする。
「離婚してもいいから、結婚しよう」だめだったらすぐ離婚できるスタンスで結婚したい。
というか、結婚後の生活なんて二の次で「好い人いないの?」と親戚から聞かれることを防止するため、偽装結婚のように結婚したい。もっと大きく言えば、結婚しないことによって起こる不利益から逃れるためだけに結婚したい。
一回結婚して離婚すれば、その後は「あの人に結婚の話振っちゃダメよ」みたいな扱いになって楽になれるんじゃないか、そんな幼稚な想像をしてしまう。しかも一回試してダメだったっていう実績も付いていて折り紙付きだ。一度も試していないと、臆病者あるいは高望みと思われそう。
同い年の友達が結婚した。めでたい。ひとしきり、祝福の気持ちに浸った後でつい考えてしまった。
私には結婚する資格があるのかな。相手を大事にできないのに。そもそも結婚がゴールじゃないわけで、その後の生活込みなわけで。そんなにずっと相手のことを大事に思い続けられるだろうか。大事にできなかった悔恨の記憶が自分を縛り付けている。
出会う、付き合う、結婚する。
出会わなければ、付き合わなければ、結婚しなければ、別れることもない。
『手に入らなくていい。だけど誰のものにもならないで。』と片思いしている時は思っている。本当は手に入れたくて仕方ないくせに。高嶺の花の扱いをすれば、見ているだけで十分だと思えるから。
でも時々、破壊衝動に襲われる時がある。
ずっとこのままの状態が続くのかが、不安で、それならいっそ、壊してしまいたい。
どっちつかずの、ぬるま湯の幸せな日々こそ怖い。
ダメならダメでさっさと諦めて次に行く。そう決断した方が楽になれる気がする。
諦めたいのか、諦めたくないのか、よくわからない。矛盾した自分の気持ち。
どうしたら諦められるのか考えている時点で、諦められないことを認めたようなものだ。
諦めることなんて本当は簡単だ。他のことに夢中になる、我を忘れればいい。ずっとそのことばかり考えてしまうから、諦められないのだ。
諦めることは明らかにすること、実はとっても前向きだって、誰かが言ってたってnoteのどこかで書いた気がする。
付き合えるか、付き合えないかわからない状態は、全く明らかになっていな。
諦める方法は2つ考えられる。
1つにはアクションを起こして振られる。
2つ目は今の状態を受け入れ、現状で満足する。
でも2つ目は諦めているか、諦めていないか、客観的にはわからない気がする。
ぐるぐるぐるぐる考えてしまう。
願いを捨てて幸せになりたい。
考えるのが面倒になると思考停止の自動思考で思うことがある。
偽装でいいから結婚して欲しい。で、すぐに別れたい。それか、『いつか別れるとしても、それでも結婚したい』という思いになれる人と一緒になりたい。
2023年5月21日 下書きに加筆