吉祥経(Maṅgalasuttaṃ)
幸せって何だっけ。
そんな歌が昔あったような。。
この度は吉祥経について、書いてみようと思いました。
この施本を元に、書いてみます😊🙏
生きるなら幸せに生きていきたい。
誰もが幸せに生きていきたいと思うものだと思います。
誰も不幸になりたいとは思わないと思います。
皆様は今お幸せにお暮らしですか?
この吉祥経は、「恵み」、「福徳」、について書かれてあって、どうしたら幸せに恵まれて生きることができるのか、女神がお釈迦様に聞いたら、こんな答えが返ってきた、みたいなお経です。(適当)
スマナサーラ長老の経典解説は勉強になります。
そこからまた私のフィルターがかかっちゃうので、そこは注意してお読みいただけたらと思います。施本ですから、協会へ行かれれば無料でいただくことができますよ〜😊
このようにアウトプットすることで私自身が学ばせていただいています。
幸せとは、苦しみのない状態だったり、満足感や充足感のようなもの、安楽、安穏な感じだなあと私は思いますが、皆様にとっての幸せとはどのようなものでしょうか。
このようなことが最上の吉祥です。と、一つ一つの偈にあります。
一番最初はこれ。正直私はあんまり好きなフレーズではないんですけど😂
経典はパーリ語で書かれています。日本ではスッタニパータというお経の中にある偈なので、読んだり聞いたことがある方も多いかもしれませんね。
悪い人と付き合わないこと
善き人と付き合うこと
でも賢者って、周りを見渡しても自分を見ても、いますかね?
完璧な人なんていないんですよね、当たり前ですが。
みんないいところもあれば悪い所もあるじゃないです?
私としては、世間的には悪いことを平気でするような人、には近づかずに、なかなか悪いことはできないというような人、と親近した方がいい。
ということな気がします。
道徳を守る人、人を害することを恐れる人、なるべく五戒を守れる人かなあと思います。日本においては、お酒は、、、難しいところかもしれませんね🤭
五戒は、殺さない、嘘つかない、盗まない、不倫しない、お酒や麻薬しない。
たぶんですけど、だいたいまともな判断ができる状態でいる人、でしょうね。
あとは、賢者、というならば、Monk、お坊様でしょうね。お坊様でも色んなお坊様がいますから😂💦
やはりここはお釈迦様、が一番ですね!
智慧のある方、慈悲のある方、です。
もう一ついきますか。
長老はここを、「環境を整えること」と意訳されています。
愚者に近づかず賢者に親近することも、環境を整える一つな気もしますね。
人はその環境にやはり影響を受けるものです。
これもダンマ(法)ですが、何かに依存しないでは成立することができない存在。
ですから、幸福な善き道を歩もうと思うならば、まずは善き環境に身を置くことなのだろうと思いました。
環境を整えること。
善きことと共にいること
これって親が子どもにできることのたった一つのことかもしれませんね。なんて思いましたが。
ついつい子どもを強制的に善き環境に入れようとしちゃうんですよね。
たぶんそういうことではなくて。
子どもの一番近くにある環境である私がどうあるか。
私自身が周囲の人々の環境の一つ。ですね!
なんかずれちゃいましたが😂
仏法は不思議なもので、何かどれでも一つのことを実践していっても、結局は同じ一つに収まっていくといいますか?
たぶん、この吉祥経も、どの偈でもいいので、一つでも真剣に実践していくと、そこが入口となり八正道を進んでいくんじゃないかな〜。
以前になされた福業、は、過去のことなので、今はどうしようもないことのように思えますが、今、善きことを積み重ねていくことは、以前になされた福業となっていくんですね〜と思います。
でも、
業の働きは複雑なので、必ずその結果が見えるように出るとも限りません。
自業自得とか。簡単に言ってしまいがちですが、これって残酷なことです。
業のことは人間には理解できないことなので、考えない方がいいとご法話でお聞きしたことがあります。
自業自得だと思う、その方が成したこと(業)全てを知っていますか?
業という働きがどのようになっているのか、本当に知っているでしょうか?
無知だからこそ堂々と言えると思います。自業自得だと。無知な私もそう思うことはありますし、言ってしまうこともあります。
自分に置き換えた時、その業の結果を素直に受けることができるでしょうか?
不幸な出来事を業の結果であると、怒らずに受け止めることはできますか?
無知な私や人々を目の前にしたとき、
慈悲を持って忍耐を持って勇気を持って生きていくことだと思いました。
慈悲を持って、忍耐を持って、勇気を持って、不放逸に生きていく。
ああ、これって仏道だなあと思いました。
生きとし生けるものが幸せでありますように
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