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気候・環境は変わるのも

 多くの人が地球の環境や気候が変わってはいけないものと思い込んでいる
。基本的に気候や環境は変わりゆくもの。例えば気候は古代から多かれ少なかれ寒冷な時期と温暖な時期を繰り返している。このような情報はインターネットで調べればいくらでも出てくる。
 遷移という言葉をご存じだろうか。生物の授業の中でこの言葉を習ったはず。その例として湖が挙げられていた。自然の湖には上流の河川から土や堆積物が運ばれてきて(又は水生動植物の死骸が蓄積して)浅くなり湿地になる。そして湿地にはやがて草木が生い茂り、草原などの生態系に変わる。これを遷移という。他方、地殻変動や台風等の気候イベント、それらに伴うがけ崩れなど人間にとっての「自然災害」が新たな河川や湖や沼を作ることもある。こうして遷移と創生をダイナミックに繰り返しているのが地球である。
 人間も自然の一部なので、自らを優位な状況(生計向上、安全確保、食料確保など)に置くため、この「遷移と創生」をコントロールすることは間違えではないかもしれない。例えば河川や湖ではしばしば浚渫(底の堆積物を取り除く)を行い、深さを保っている。しかし、地球という大きな枠組みで考えたとき、このコントロールという行為がどこかほかの環境や生物に負の影響を与えることもしばしばある。例えば浚渫をすれば、底生生物のコミュニティが破壊され、それを餌としていた特定の生物が減少する。これは薬の副作用と似ている。
 「遷移と創生のコントロール」は大きな視点でみれば森ではなく木を見た西洋的な対応。しかし、ゆるやかに遷移しゆく湖や自然災害で変化する土地を「そうゆうものだ」とまずは静観する東洋的な森の対応も必要である。もちろん、コントロールすることでその生計が維持される漁師や観光業者などがいる。安全な生活が確保される住民がいる。なので手放しでは静観できない。しかし、資源や環境の劣化が著しい昨今では、今ある自然に手を加えずそのままにしておくという発想こそが、長期的にみれば持続性や快適な社会の構築にに貢献するだろう。里山もしかりである。里山は人がコントロールして形成されてた生態系。人の手が入らないと荒地となる。しかしこれは自然の流れ。目くじらを立てて保全しなくても良い。
 何が言いたいかというと、大きな視点で考えれば「コントロール」よりも既存の自然や文化をあるがままの姿で受け入れ、尊重し、手を付けない思想や政策が持続可能な社会の鍵となる。他方では人工的な環境改変、つまり富と便利のために過度に行われる開発や介入を自主的に抑制すべきである。加えて、できるだけ自然をコントロールしなくても良いように、市民の理解を得ながら人口増加抑制を進めるべきである。
 マスコミや国際機関が変わりゆく気候・環境を「異常」だと騒ぎ立てる。なぜか?それは暗に経済活動と人口増加の抑制を進めたいからと推測する。しかし、そのような姑息なやり方でなく、きちんとした科学的根拠に基づき、そのニーズを市民に説明し理解と協力を得ながら経済活動と人口増加の抑制を進めるべき。そして国には木ではなく森を見ながら政策を推進していただきたい。


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