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もしも森でクマさんに出会ったら??

姉崎等さんの「クマにあったらどうするか」を読んでみました。


ここで皆さんに質問です。

ある日、森の中でクマさんに出会ったらどうしますか?

①死んだふりをする

②全速力で逃げる

③目を合わせながら動かない




正解は



③でした。



まずはどんなことがあっても絶対にクマに背を向けない
そして目を絶対にそらさない。クマが目をそらすのを待つ。

そしてクマが立ち上がるのは周囲を確認しているだけ。
この時、
「ウオー」と言う。焦らず、腹の底から大きい声をだす。
落ちついて、焦っている感じが伝わらないように。
こちらからまず他に若いくまがいないか確認する。
この時、大きいクマの方が安心。子連れの場合は母親だけ見ながらあとずさり。
とにかく逃げたらだめ。逃げるということは弱いということを認めることになり、
クマは弱いと知ると向かってくるから。
棒立ちで動かないで睨んでいるのも良い。威圧する。
にらめっこで根比べ!

あと、クマは蛇が苦手。ベルトをヘビのように見せるのも良い。
自転車のチューブとか。
空のペットボトルのヘコヘコ音が嫌いみたい。
笛の音は慣れちゃったらしい。鈴も意味なし。

熊は別に人間を襲おうとはしていないのです。
むしろ人間が怖いようです。(子熊なんて山の帰り方がわからない。)
また畑の楽さを知ってしまうと山には戻らない。
なんだか人間みたいです。

そして人間のことをよく観察しているようなのです。


しかし熊も一度人間を襲って殺したことのある熊は最初から襲いかかってくるようなのです。そうなってしまった熊は駆除しなければならない。
人間が弱いことも、人間の味も知ってしまったので。


なんだか読んでいて私は熊が愛おしくなってきました。


最近は札幌でもいろんな森林公園で熊が出没して、
今まで駆除から防除と言って、殺さないで山に追い払う方針に変えましたが、
近年、あまりにも熊の被害が増えたため、
ついに三角山の熊の駆除をしましたね。
私の住んでいるエリアも思いっきりヒグマ対策重点エリアに入っています。
私が好きな野草を見に野幌森林公園とか、滝野とか三角山、宮ヶ丘公園とか旭山記念公園も奥にいくにつれて熊が出たらどうしようと不安になり、断念したこともありました。
私だけならまだしも、息子に何かあったら・・・と思うとね。

でもそもそも人間たちが矛盾した行動をしている。
熊を防除して山奥に行かせたところで、山奥に餌がない。
野生のクマはもともと大好きなコクワ、どんぐり、葡萄が無いから仕方なく生きるために、子供を育てるために降りてきているのです。
北海道は針葉樹がたくさんあるけどそもそもクマは針葉樹が好きではない。



そんな中のアウトドアブームで、マナーの悪い一部の登山好きやアウトドアをやる人が食べ残しを山に置いてきたりしてそれをクマが食べてしまい、
どんどん人間の食べ物の味を覚えていく。
エゾシカはたくさんいる。(エゾシカはなんでも食べられるので)
それで木の実の代わりに肉食になっていく。。。



大きいクマは危険な人間のエリアから離れていて、悪さもしないから長生きしているのです。
悪さをしていないから、人間に駆除されていない。


クマがいるメリットとは?

クマがいなくなることで、生態系のバランスが崩れる。
生態系に多大な貢献をしているクマがちゃんといる森の生態系はバランスが整っていることを意味します。クマが森の中を管理しているマネージャーみたいなものかな?

というか、これはこの世の中に何一つ無駄なものは存在しないということにつながる。人間に危害を与える恐ろしい動物だけを処分してしまえばいいという考えは、短絡的だし、人間のエゴ。
植物連鎖で一番頂点が人間だという考えもどうでしょう?
人間は裸一つになった時、どの動物に勝てますか???
小さな虫に刺されてギャァギャー騒いでいるんですからね。
(ちょっとアツくなってしまいました)


ところで、今回読んだこの
「クマにあったらどうするか」がほんとに面白くて。
ぜひ読んで見てほしい。
私はやはり北海道で生まれ育っているので
アイヌとかクマの脅威については肌で感じていたので、
すごく共感できたのですが、
この姉崎さんというクマ狩猟家の経歴がかなりやばかった!
貧乏を恐れている人、
これから何か新しいことを始めるにあたって不安を感じている人は
この方の経歴を見てほしい!

↓  ↓  ↓


姉崎さんについて。
大正12年生まれ。鵡川村のキリタップで生まれた。
その後千歳のママチの奥にうつり、
8歳の頃には蘭越のアイヌの集落に移った。
父は福島から来た屯田兵
母はアイヌ民族でチエポップ(混血児)ハーフなので集落では冷たくされたらしい。
アイヌ語はヒアリングで覚えた。
9歳で千歳尋常小学校に入る。父親の仕事がなくなり、9歳にして一家を支える。
12歳の時に父親が亡くなる(72歳)
朝早起きして魚を釣って、千歳の旅館、王子製紙の発電所に勤めている人のところに持っていく。椎茸など。イタチ採りでお金を稼ぐようになり、狩猟の道に入る。

このプロフィール、、、すごい。。。

その後15歳で板金屋に3年働けば店を持たせてやると言われ、奉公をしたが、
古いものを食べさせられるのが嫌でやめる
翌年、また、3年頑張れば、孕み牛を一頭もらえる約束で牛飼いの仕事をしたが、
4ヶ月でやめる。
17歳で蘭越に家を建てる!
札幌で木彫りの彫刻の仕事をしてみたり
21歳の時に入隊し、樺太に赴任、
終戦しても8月20日以降も戦闘、、、その後ソ連の捕虜になり
北樺太で道路の修復作業をし、3年ぶりに帰国するも母親が亡くなっていた。
25歳の時に結婚した奥さんが結核持ちで、薬は高くて闇でしか手に入らない。
入院費を払うと生活費が残らないので、医療保護を貰うために札幌まで行ったが
当時は国民健康保険は大きな市町村(札幌とか)しか使えなかった。

戦時中を生き抜いた人たちの話は引き込まれます。


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