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2/22 無知、知〜。
おはようございます。特に何か書きたいことがあるわけではなく。しかしながら、先日急遽実家に帰るイベントの発生に直面し、私といたしましては、新幹線に乗車したわけです。新幹線とスターバックスの組み合わせがどうにも好きで。カフェミストをアーモンドミルクに変更して熱めの温度で注文するのにハマってます。このメニューのいいところは、ラテより安価なところにあります。カフェミストってなんなのか、いまいち理解していませんけども、とにかくあっさりしているような気がします。猫舌なんですけど、ぬるいと一瞬でなくなってしまうので、ちまちまと飲むための、エクストラホット。
今回私は早朝の新幹線に乗車し、そこからまた移動を重ねる必要がありました。全くもって関係のない話題ですが、最近早起きにハマっています。早起きとはいえど、会社勤めの方でしたり学生の方でしたり、とは比べるのも失礼、といったレベルですが。おおよそ八時半から九時半にかかるくらいには起床するようにしています。(ここでは、この時間の起床を『早起き』と定義させていただきます。)自分の生活的に、日付が変わってから帰ってくることの方が多い毎日ですので、以前は昼まで寝てたり、夕方まで寝てたり、みたいな。申し訳ない。太陽に申し訳ない。
早起きを目標に掲げて今年を始めたなんてことは全くなくて、早起きするのがもっとも合理的に、また自身の元々持つポテンシャルを最も遺憾無く発揮することができることに、気がつきました。弱冠_年齢非公表_才にして。ようやく気がつきました。ロングロング睡眠時間こそ正義、と思っていましたがそれよりも、決まった時間に、しかも人間の活動の時間帯に起床して、朝ごはんを拵えているときなんて、マジで生きているのを実感する。とはいえ何をするでもなくゆったりとした時間を甘んじて享受しているわけですが。もしおすすめの朝の過ごし方などあれば、ご教授願えますか。いわゆる朝活というものをぜひ、してみたいなって。普段は一応、絵を描いたり、朝ごはんを作ってみたりとか。とはいえ準備の時間とか考えたら別にめちゃめちゃ余裕があるわけではないのかも。
人間には、一日の中で自由な時間がたったの、二時間あればいいらしい。二時間の自由時間と、五時間の自由時間では幸福度が一緒らしいです。片野秀樹さんの著書『休養学』にて読みました。この事実を知ってから、こんなに!?ってくらい楽になった気がします。肩の荷が降りたみたいなね。
毎日、どれだけの自分の時間があったらいいのか知るまでは、忙しない日々の中、焦りだけが先行していきました。自分の時間ってどれくらいあったらいいかなんて、普通に「あればあるだけいい」としか考えられなくて、具体的に何時間!って決めたことがなかった。だからこそ、ああ今週は忙しくて自分の時間なかったどうしよう、、みたいな自分の中身を省みるタイミングに出会えていないと途端にストレスが溜まってしまってました。自分自身を蔑ろにしている気分。荒んだ気分。
んでな、本当の自分って絶対に自分一人じゃないと出会えないと思ってんねん。なんちゅーか、自分と一緒におる時間っちゅうか。日記かいとうと、文字の中にホンマに愛しい自分がいることに気がつくんよな。愛しいって感じるってことはつまり、客観視の証明やねん。自身を俯瞰して見下ろし、愛してんねん。それができるんは絶対一人じゃないとあかんなあと常、思うんよな。
もちろんそれは毎日一人であれば絶対に知り得ない、人と一緒にいることによって育っていく目線の高さであって、孤独こそ自分を知ることであるとは全く思いませんねえ。
とはいえ世間一般的にいう「自分の時間」というのはもっと広義なのかもしれないですが。勉強したりYouTube見たりするみたいな。
こうやって、科学的根拠のある真実を知ると、自身のコントロールできていなかった部分が途端に制御できるようになったりして、いいですね。無知、知〜。賢くなるってこういうことなんだ、とまたひとつ学びました。
阿佐ヶ谷姉妹のエッセイで、妹のミホさんが一人になりたい時「ちょっと西友にいってきます」っていうらしくて、なんかいいな。
ありがとうございました。