他人は自分を映す鏡|実家に帰れば、家の会話は愚痴のオンパレード。「特技:ネガティブ思考」の母で気づいたこと
どうも関西人です。
年末年始から実家に戻っています。嬉しい予定が実家の方面であるから、なので、そんな大した理由ではありません。今日は親を見ていてふと気づいた話。
うちの母。普段の会話は正直そんなに上手くないです。晩ごはんとかテレビ流してないと、ほぼ食器の音しかしません。
でも、たまーに饒舌になって喋る瞬間があります。
それは愚痴を喋る時。
職場でなかなか変わった癖を持った人とうまくいかない
離婚した父親のことで「そういえば」とムカついた瞬間を掘り返す
などなど。
誰もが愚痴って嫌だとは思う(喋ってる本人がストレスを溜め込まないためにはある程度はOKだとも思う)のですが、それ以上に私は「また嫌な時間が始まってしまった…」とゲンナリしてしまいました。褒めるのは全然できんくせに、なんで愚痴だけ浴びせられなあかんの、なんで?
と、気合い入れてた本番の朝が、ちょっとご機嫌斜めな朝になった私です。
確かに愚痴を聞くことは、気持ちの良いものではない。
ですが!
今朝気づいたこともありました。それは自分の価値観や感じ取り方の癖。
多分私は「愚痴を話すこと」に対して、こんな価値観や固定概念を持っています。だからこそ、愚痴を話している人に遭遇すると、「愚痴を言いたくても私は言えない(あっても言わないように我慢している)のに、なんでこの人は私に向かって愚痴を言っているんだ」というちょっとした、ぷち爆発を起こしちゃった。
自分が過度に嫌な気持ちになってしまう時は、もしかしたら自分が自分で作ったルールの鎖(我慢しなきゃルール)に捕まっているから、なのかも。だったら、それに捕まらない道を歩けるようになればいい。
そんなことに気づけた今朝でした。
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