大学のレポート課題「インターメディアテクの感想」
このレポート、けっこう気に入ってるのでほぼそのまま載せる。(身バレ自宅バレ防止のためちょっとだけ変えた)
インターメディアテク、まじで楽しいよ。
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「どっかの大富豪のコレクションみたい」これが私の、インターメディアテクに足を踏み入れた時の最初の感想である。ジャンルや形式に統一性はない。博物館であるはずだが所狭しと並べられている展示物についての説明もあまり充実しておらず、"とにかく片っ端から集められるだけ集めて置いといた"みたいな雰囲気であった。この印象はあながち間違ってはいなかったように思う。恥ずかしながら私は、事前にインターメディアテクについて調べることもなく、予備知識ゼロであの場所を訪れた。しかしあとから調べてみたところ、あれは東京大学が1877年の開学以来蓄積させてきた学術標本の常設展示だそうである。なるほど、どうりで、"片っ端から集められるだけ集めて置いといた感"があるはずである。"コレクションみたい"もなかなか的を射ている。
インターメディアテクへは、東京駅から向かった。私は生粋の横浜市民であるが、東京駅から地上に出たのはなんとこの時が生まれて初めてであった。やっぱりなんだかんだ横浜は田舎である。東京駅は、いかにも東京、という感じがした。同じ東京都でも"若者の街"や"飲屋街"と呼ばれる地域とは雰囲気が異なり、なんだかどっしりとしていて、「ああ、国の中枢なんだな」という感じ。地図を見ながらキョロキョロ歩くのはなんだか恥ずかしく、「この辺りは歩き慣れています」感を出して堂々と背筋を伸ばしてインターメディアテクへ向かった。インターメディアテクのある建物は、東京駅に初めて降り立った私でも簡単にたどり着けるぐらい駅のすぐ近くにあった。建物に入ると、中は大きなショッピングモールになっていて、家族連れやビジネスマン、ビジネスウーマンがたくさん行き交っている。どうやらこのショッピングモールの一角にインターメディアテクはあるようだった。
先述したとおり、私はインターメディアテクについての予備知識は一切持たずにそこを訪れた。美術館なのか博物館なのかも知らなかった。知っていたのは入場無料ということだけである。ショッピングモールをうろうろとインターメディアテクへ向かいながら、「本当にこのショッピングモールのどこかの一角にあるの?なんかショボそう。無料だし。」とか思っていた。
ところが、それらしき一角を見つけると、「なんかショボそう。」は間違っていたことがわかった。まず、インターメディアテクとショッピングモールとの境目から雰囲気が違う。「ここから先は神聖な場所です」感がムンムンしている。いや、ムンムンではなんだか失礼だ。スウッ、だろうか。ガヤガヤとしたショッピングモールの雑踏と打って変わって、美術館や博物館特有の、あの張り詰めた、しかしどこか心地いい、ひんやりとした静かな空気がある空間。もはや「ショッピングモールの一角にインターメディアテクがある」というより、「インターメディアテクをショッピングモールが取り囲んでいる」ように感じた。
入っていくとまず、…いや、「まず」という副詞が使えるような光景でははい。「まず」が成立するには、何かが順番に並んでいて、それの最初にくるものが「まず」で修飾されるべきであろう。目に飛び込んできたのは、大量の標本である。そこに順路という概念はなかった。森に乱立する木々のように、そこかしこにスペースの許す限りガラスケースや棚があり、とにかく色々なものが並べられている。これほど「色々」という単語がぴったりな状況を私は見たことがない。キリンの実物大骨格標本から仏像まで、文字通り色々である。同じフロアにである。ちなみにキリンと仏像の距離は10mと離れていない。とにかく色々なものが所狭しと展示されていた。馬、アシカ、カエル、猿、その他大量の動物の骨格標本、数百の昆虫の標本、ムクドリからペンギンまで、350点以上もの鳥類の剥製コレクション、色々な植物の標本、貝、きのこ、蓄音機、ワープロ、ミイラ…、価値のありそうな学術標本や歴史を感じる物品の数々。そしてそれらの展示の適当さというか、ちぐはぐさというか、明らかにスペースが足りていない感じが、ごちゃごちゃしたおもちゃ箱のようでなんとも魅力的である。口を開けて見上げてしまうような、巨大なクジラの骨格標本のすぐ横に「他に置く場所がなかった」とても言いたげにアフリカのなんとか族の仮面が置かれていたりする。そのような展示のちぐはぐさで私が1番気に入ったのは、牛の胃の模型である。これはなんと、コガネムシやカミキリムシ、テントウムシなど小さな甲虫の標本がぎっしり並べられているガラスケースの、上に置かれていた。「いや、置く場所ここ!?(笑)」とつっこみたくなる。やはりほかに置く場所がなかったのであろう。そのようにして、あれこれつっこんだり、微笑んだり、目を奪われたりしながら今度は上の階へ進む。
こちらにも相変わらず大量の標本が置かれていた。1つも見逃すまいと端から順に眺めていくのだが、なにしろ、空間に対して展示物が多すぎて、順路がない。あっちこっち行ったり来たりしながら、なんとも非効率に部屋を進んでいく。すると、突如、とある写真に目を奪われた。川久保ジョイという写真家のインクジェットプリント作品である。度肝を抜かれた。大量の学術標本や模型、資料の中に、現代アートの作品が思い出したようにぽんと展示されていた。それは海を写した作品で、よく見ると今年の作品であった。思わずその作品の前でしばらく立ち止まってまじまじと眺めてしまった。通常、美術館や展覧会の展示においては、作品と作品には間合いがあり、無地の壁または空間にポツンと展示されている。それの鑑賞に最大限集中できる環境、といったところであろう。理にかなっている。しかしこの海の写真は、全くそのような環境には置かれていない。すぐ横には鳥の剥製があるし、この作品が展示されている壁には、この作品以外にも他のアート作品や、相変わらず学術的な色々なものが所狭しと貼り付けられている。この作品の鑑賞に集中できる環境とはあまり言えない。しかし私はこの展示方法がだいぶ気に入った。大量の標本や学術的に価値のありそうな資料などと対照的な、人工的な空気を放つ現代アート作品はしれっとそこに紛れ込んでいた。いや、どちらかというと浮いていた。しれっと割り込んでいる感じ。インターメディアテクに入ってからその作品にたどり着くまでに見せられてきた、数多の生物の営みや人間の歴史・文化と同じ世界、同じ時間軸の延長に、海を切り取ったインクジェットプリントのこのアート作品も存在しているのだと感じた。
インターメディアテクは、五感や好奇心が果てしなく刺激される、素晴らしい場所であった。こんなに色々なものを見れて、しかも無料だなんて、コスパも最高である。館内を歩き回っているときは「もっと説明書きをしっかりつけてほしいなあ」と物足りない気持ちになったが、今思うとあの乱雑さ、キャパオーバー感がインターメディアテクの個性であり魅力なのであろう。
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(レポートを書いた時期は2019年の初夏)
この課題を出した教授が「読んでいて楽しい文章を心がけるように」と仰っていたので、実際そのようにできたかはわからないけれど、わたしなりに心がけた結果、こんなかんじになった。
インターメディアテクはほんとに最高だった。無料だし。コスパ最高。
コロナがおさまったらまた行きたい。
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