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JR総武線御茶ノ水駅からの車窓くらいの穏やかさ

土曜日、書道の教室に行くため9時半ごろ家を出る。
土曜日に早起きして午前中に習い事に行くのは気分がいい。
あたしんちの「みかん、なんかいい日」の現実版である。世界が急に穏やか路線に変わってくる。総武線各駅電車の御茶ノ水駅を通る電車の車窓からの景色くらい、なんか良いなの空間がよみがえる。
書道教室へ行く道のりは、木々がワサワサと生えていて、そこから午前中の日の光がキラキラと差し込んで、しまいには水の流れる音。豊かな時間が過ぎていると思う。
書道は一年半前くらいから始めている。現在の夫と付き合っていたとき、いきなり遠距離になってしまい、休みの日の予定がボッカリ空いてしまったため、この機を利用してなにか趣味と呼べるものができないかと考えた結果、小学校まで習っていた書道を始めてみた。

体験授業を受けて、昔取った杵柄が、見事に朽ちていることを実感した。
そもそも書道はとっても頭を使うものだ。
なんとなく感覚でやっていたキッズの頃とは全く考え方が違って、まず字の大きさが決定する最初の一画目を書く場所の選定、筆の運び、各書く線の配置、思ったよりも見本に忠実に書かなくてはならない。全然、アートじゃない。文字の構造を解読する作業なのである。
そして、先生からの添削を理解し、一画ごとに忠実に落とし込む。
何となくやっていても全く級は上がらないのだ。
あ、今回は一番低い級から始めてます。

普段文字を書く際に、まったく綺麗さを意識して書いていないので、毛筆よりもペン字がかなり下手である。やばい。全然昇級試験に受からず、なんなら後から入ってきた人の名前が、自分より前にきていないか、と脂汗をかく。(毎月もらう課題の雑誌みたいなのの後ろのほうに、先月の課題の出来がランキング形式で名前が一覧に発表される、名前が前に行けば行くほど上手い。)
毛筆以外のペン字とかは家でも自主練できるので、とにかく先生から言われたことを思い出し、大量に書きまくる。数うちゃ当たるで、10回に一回は理想的な書き方ができるので、その感覚を脳裏に焼き付ける永遠の作業。

先生がライブで見本を書いてくれるとき、携帯でビデオ撮影させてくれないかと聞こうか迷うが、以前ラジオで聞いた「over the sun」の堀井美香さんが「着付けの習い事で、先生の着付けの見本を撮影できないか聞いたら怒られた」というエピソードを思い出し、口に出かかったところでやめる。

先生と私の筆の運びが違いすぎて、私がいままでやっていたことは、何!?とショックを受ける。実のところ、凄すぎて唖然としてしまい覚えていない。
ただ、先生が書くお手本を見せてもらって、すごーいとも言うのも絶対失礼なので、お礼を言ってすぐに机に向かう。
先生のように書けるようになるには、一体あとどれくらい書けばいいのだろう。脳裏に書道の半紙で構築されたエアーズロックが浮かぶ。
こう考えている間、バレーボール元日本代表の古賀紗理那選手の、7月9日の引退発表の文書にあった”もっとバレーボールが上手くなりたい!の一心で”という言葉も思い出した。
上手くなりたい、上達したい、書道の道もこれに尽きると思う。
勿論、芸術としての書道は違うと思うが、まずは上手くなることが第一だと思う。
JR御茶ノ水駅を通る電車の車窓からの景色を見ている時のこころで、いつまでも書道を続けていきたいと思った。


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