【M-1GP 2021 事前予習】ツッコミから見るランジャタイのお笑い
お祭り前夜。布団の中で。
「ランジャタイって、知ってるかい?」
ランジャタイはボケの国崎とツッコミの伊藤による漫才コンビだ。
狂気じみた国崎のボケがなんだかわからないがクセになる芸風で、Wikipediaによると「イリュージョン漫才」とも呼ばれているらしい。
私とランジャタイとの出会いは3年前。
「欽ちゃんの仮装大賞」のネタを披露していたランジャタイを「にちようチャップリン」で偶然見かけた。
あまりの面白さに涙を流しながら笑い散らし、咄嗟に録画したスマホの動画を見返しては、また笑い転げながら涙を流した。
そうして目から出せるおよその水分を出し尽くしたあと、私のテレビ録画キーワードに、「ランジャタイ」の文字が追加された。
以来欠かすことなく彼らのテレビ露出を追っている。
そんな大好きなランジャタイが、今、M-1グランプリ 2021を前にして、とてもいい感じなのだ。
もしかしたら、決勝に進出してしまうのではないか・・・
2021年10月29日放送の「ザ・ベストワン」で披露されたネタ『谷村新司』を見て、本気でそう思ってしまった。
このお祭り前夜のわくわくした気持ちを誰かと共有したい。
そんな思いが止まらなくなり、気づいたら今noteを書いている。
M-1グランプリへの思い
少し、M-1グランプリとランジャタイの関係について書きたい。
昨年、ランジャタイはM-1グランプリ2020の準決勝に出場。
敗者復活戦にて、曲者ぞろいの芸人たちの中、国崎はぎっくり背中を患いながら前述のネタ「欽ちゃんの仮装大賞」を決行。
会場は、困惑と動揺を混ぜ合わせたかのような異質な光に包まれた。
決勝後巻き起こったマヂカルラブリーの漫才論争など、ランジャタイの異光っぷりにはシャドウ化してしまうほどの大立ち回りを披露する。
結果はもちろんぶっちぎりの最下位。
しかし、順位中間発表時に叫んだ国崎の「国民最低~!」発言がTwitterのトレンド入りを果たしたし、知名度は一気に上昇。
数多くのテレビに出演し、千鳥の大悟には「ワシのあこがれ」とまで言わしめ、間違いなく2021年はランジャタイ史上最もメディア露出の多い1年となった。
そして今年、M-1グランプリ 2021においても、本日11/1時点では、危なげなく2回戦を通過している。
ランジャタイの二人はM-1に対してアツい思い入れがあるようだ。
伊藤は「M-1決勝で優勝し天下を取りたい」と発言しており、国崎は「M-1の決勝で信じられないくらい大スベリをしたい」とインタビューに応えている。
見据える未来は違えど、M-1決勝の舞台に立つという目標は一致しているのだ。
M-1グランプリ2021の予想
ここからは少し未来の話。
前述のとおり、筆者は、ランジャタイがM-1グランプリ2021で「決勝進出してしまうかも・・・・・・」と思ってしまっている。
正直、5割以上はあるのではと、本気で思っている。
そう感じる根拠は以下の3つ。
①のメディア露出については前述の通り。
②については、M-1グランプリ 2020におけるマヂカルラブリーの優勝が端的に物語っている。
いわゆる正統派漫才ではなくてもM-1で優勝できるという前例があることは、ランジャタイにとって大きな追い風である。
「ランジャタイを、漫才という枠で、地上波の番組で何回も流す」という経験を、テレビ業界側にも、視聴者側にも植え付けることができたという点を見逃してはならない。
そして、本記事の主題である③について。
伊藤幸司のツッコミがどのように進化してきたのか、その変遷を辿っていきたい。
ランジャタイの芸風
さて、ようやく本題。
ランジャタイの躍進に大きく貢献しているのは、伊藤のツッコミ力ではないかというお話だ。
ネタ動画を見ていただければわかると思うが、国崎の繰り出す変幻自在な世界観は、極めて独創的で意味不明である。
だが同時に、なぜかその意味不明な光景が、映像として目に浮かんでくる。
一発ギャグのような所作の群れを、国崎が身体ひとつで切り刻み、繋げ、編集し、再構築してみせる、フォルマリズム的実験映像。
視聴者も、いつのまにかのめり込んで、国崎ワールドの住人になってしまう・・・
そんな国崎のボケがランジャタイのネタの根幹ではあるのだが、正直、独創的過ぎるあまり、大きく客を選ぶのも事実である。
しかし、我々には国崎の世界観を私たちにわかりやすく案内してくれる頼もしい味方がいる。
そう、ツッコミの伊藤である。
国崎いわく、結成から今まで14年、ランジャタイの芸風は大きく変わってはいないらしい。
それなのになぜ、今になって彼らが世間に受け入れられ始めているのか。
そこには、先に述べた時代の変容以上に、伊藤のツッコミ方の変化が、大きな要因となっている気がしてならない。
伊藤幸司という国崎ワールド案内人
筆者の知る限り、伊藤のツッコミは、直近の5年間で3つの変遷を遂げているように思う。
ここでは勝手に、古い順から「しゃべくり時代」→「薬味時代」→「ナビゲータ時代」と名付けてみていきたい。
デビュー当時から丁寧にたどれば、もう少し見えてくることもあるのだろうが、新参ファンである筆者が入手できる最も古い映像は、2016年にポニーキャニオンより発売されたベストネタDVD「ランジャタイのキャハハのハ!」である。
したがって、以降のお話は全て2016年以降のランジャタイのみ対象としていることをご容赦願いたい。
しゃべくり時代
2017年4月19日まで。
ベストネタDVD「ランジャタイのキャハハのハ!」発売以前が相当する。
この時点で国崎の世界観は既に確立されているのがDVDから確認できる。
今と大きく異なるのは、伊藤のツッコミ方。
いわゆるしゃべくり漫才に近い形で、手数多く、声も張ったような感じだ。
そのスタイルで、突拍子を刻む国崎の世界観に対して、すべてツッコミで解決を試みようと頑張る伊藤。
しかし、国崎ワールドに対してすべてのツッコミを完璧にこなすのは、土台無理な話である。
そもそも国崎ワールドは存在自体がボケみたいなものである上、たびたびフラクタル構造を取り、同じところを無限ループしたりするので、まともに反応しているとツッコミ過多になってしまう。
漫才を楽しむためには国崎ワールドに没入して住人になる必要があるのだが、見ている側としても夥しい伊藤のツッコミで我に返ってしまい、うまくのめりこめずに消化不良を起こす。
結果、アクセルは吹けども車は走らず。
ものすごく面白くなりそうな予兆だけが心に残る、そんな印象のDVDだ。
薬味時代
2019年9月10日まで。
グレープカンパニーへの移籍直前までに相当する。
この頃のネタは、YouTube公式チャンネル「ランジャタイぽんぽこちゃんねる」で確認できる。
この時期の伊藤のツッコミは、国崎ワールドに対して「寄り添う」ような形をとっているのが特徴である。
立ち姿にしても、以前の「さぁ、今から漫才をやりますよ、みて、今、漫才をやっていますよ!」といった雰囲気から、「また国ちゃんがアホやってんなぁ」くらいの、友達みたいな感じで立っている。
放課後に親友のバカ話を聞いているような、あるいは5歳児を見守る保護者のような、慈愛に満ちたまなざしだ。
そんな「薬味」伊藤は、冒頭、観客を国崎ワールドに引き込むことに専念する。
国崎の話を邪魔しない、最低限のツッコミと相づち。
まるで刺身のツマのような、牛丼の紅しょうがのような佇まいは、見ている側もとても安心感がある。
もともと伊藤の声質は比較的高く、澄んでいてよく響く。
大声を上げずとも、囁き声で耳に残るしゃべり方ができるのだ。
ツッコミの一言をとっても、際立たせたい単語のみに力を入れ、残りをフェードアウトしながら言い流すことで、国崎ワールドへの自然な再帰を実現させている。
ときには国崎ワールドを祝福する福音ように感じてしまうことさえある。
2021年9月18日放送「そろそろ にちようチャップリン~大悟のお墨付き芸人を決めよう!THE大悟杯~」で披露された「おなら」のネタで、国崎がう〇ちを素手で掴み、伊藤の左上腕付近に擦り付ける場面が存在する。
擦り付けられた伊藤が発する「んみゃぁぁ…」という優しい奇声は絶品である。
伊藤が国崎の世界観を補助する名わき役ぶりを身に着けだしてから、ランジャタイは頭一つ抜けて面白くなってきたように感じる。
ナビゲーター時代
そして、現在。
そんな伊藤のツッコミが、さらに深化しているように感じる。
特に、この記事を書くきっかけとなった、2021年10月29日放送「ザ・ベストワン」で披露した「谷村新司」のネタは、ランジャタイにとってもターニングポイントになった作品のように思う。
「谷村新司」のネタ自体は、2021年3月6日の時点で既に存在しており、地上波でも5回程度は披露されているネタだ。
例のごとく、いろんな素材を混ぜ合わせて再編集することでネタをつくるため、ザ・ベストワン版と完全に同一ではないが、ベースの型はこのYouTubeのものであろう。
見比べてみていかがだろうか。
YouTube版と比較して、ザ・ベストワン版は、限りなく洗練されているのがわかる。
テレビ番組用の尺に抑えつつも、間の緩急を崩さない掛け合い。
独自の世界観を眼前に降ろしきる国崎のすさまじい集中力。
M-1グランプリ 2021を目前に控え、ものすごい練習量を感じさせる出来栄えだ。
もともと国崎は、ガソリンスタンドのバイトをしていた頃、あまりに暇すぎて電柱を相手に8時間話しかけていたという。
DVD「ランジャタイのキャハハのハ!」には、馬車楽亭馬太郎(国崎の亭号)が40分近い落語「パカラ」を、空が白むまで何回も先輩に見せ続けるという「パカラ地獄」なる特典映像が収録されている。
ここまでくると忍耐ではなく狂気だ。
事務所の先輩にあたるサンドウィッチマン伊達は、「ランジャタイは異常なほどネタ合わせをやる」と話していたが、その成果が十分に感じられる傑作ではないだろうか。
では、伊藤はどうだろう。
実は、漫才の最中、伊藤は5人のレイヤーの人間に擬態する。
5人の人格は、伊藤の口を借りて入れ代わり立ち代わり登場する。
伊藤は、漫才という土俵の上で、5人の人格を演じ分けながら、観客の心を漫才から逸らさないよう絶妙にコントロールしているのである。
ゲームでは、ゲーム世界と現実世界をつなぐようなメタな存在を「ナビ」と呼ぶことがある。
伊藤は、観客のいる現実と、漫才と、国崎の生み出す世界を自由に行き来する案内人(ナビゲーター)なのである。
「谷村新司」における伊藤の演じ分け
2021年10月29日放送の「ザ・ベストワン」で披露した「谷村新司」のネタがなぜ傑作なのか。
それは、5人の人格を操る運転技術が、他のネタと比較しても抜群に高い点にある。
以降の記事は多分にネタバレを含みます。
先にTverで動画を見てから読むことをお勧めします。
以下は、「谷村新司」における伊藤の発言と、その前後の国崎の発言を、上記5パターンに沿って一覧にまとめたものである。
冒頭から見ていこう。
国崎はまどろっこしい掴みの挨拶などしない。
(ザ・ベストワン版はM-1を意識してやや駆け足にはなっているが)たっぷりの間を使い、芝居がかった表情としゃべり口で一気に観客を惹きつける。
計算されつくした一言で会場全体の注目を一気に集める様は、一流のエンターテイナーか詐欺師に見える。
意外なことに、ネタの出だしは正統派な掛け合い漫才から始まる。
(これは、ランジャタイの他のネタにも言える。)
国崎の小ボケに対し、伊藤は腕の良いドラマーのように相づちを打つ。
たまに心地よいツッコミでジャブを入れて、リズムにメリハリをつくることも忘れない。
これはランジャタイの戦略なのだ。
いきなり突拍子のないことをするのは素人のする行為である。
それでは観客に恐怖を与え、身体を委縮させてしまう。
よい意味で「見慣れた漫才」を入り口にすることで、観客はランジャタイの言葉にリラックスして耳を傾けられるというものだ。
観客の緊張を解きほぐすことができないと、笑う土台はできあがらない。
ネタは続く。
なにやら不穏な空気を纏い出し、異常な国崎ワールドがゆっくりと顔を覗かせはじめる。
どうやら国崎という男は、本気で谷村新司になりたいらしく、また、この会場にいるみんなも谷村新司になりたいのだと信じているらしいのだ。
漫才という体裁に安堵していられるのはこのあたりまでが限界だろう。
伊藤がいくら話そうとも、国崎の目線は二度と伊藤を捕らえない。
伊藤が何を言おうと関係なく、国崎はどんどん前に進む。
もはや対話は成立しない。
伊藤もまた、観客と同様に異化していく国崎についてゆこうと必死なのである。
必然、伊藤から状況を整理するような発言が多くなる。
困惑の最中、意を決した国崎の発言が会場にこだまする。
伊藤渾身のツッコミである。
おそらく、本ネタの中で、漫才という型を保ったまま放たれた、最高で、最後のツッコミだ。
会場に安堵の笑いに包まれるも、国崎はわき目もふらずに走りづづける。
やめてくれ。
これ以上わたしたちを置いていかないでくれ。
今後の展開が全く読めなくなった私たちに、再び緊張が生じ始める・・・
衝撃の発言。
なんと、国崎は私たちのことを見捨てていなかったのだ。
あんなに独走しているように見えて、私たちのことを忘れていたわけではなかったのだ。
ありがとう国崎。
伊藤と観客の気持ちは完全に一つとなる。
システム上あり得ない。シンクロ率99%である。
あの国崎が、わたしに気を使ってくれたのだ。
もうキュンキュンの心をなんとか抑えつけ、好きな子に話かけられたヤンキーのような強がりが、出だしの「あ」に集約される。
よかった。
対話が成立した。
(ちなみにネタ中に対話が成立したのはこの一回のみ)
相変わらずこっちを向いてはくれないが、そんなことはどうでもいい。
これでもう、どんな異常事態が起ころうと、私たちは受け入れられる。
このあたりになると、観客はすっかり、国崎ワールドに住民票を移し終わっているのである。
ネタはクライマックスに入っていく。
直後の国崎の様子を、時系列順に箇条書きする。
恐ろしいのは、これらの展開をほぼ身体ひとつで展開させていく国崎の表現力である。
到底結びつかないような個々の事象が、国崎の編集マジックによってひとつの作品へと統合されていく。
どんなに振り落とされそうになっても、伊藤は決してあきらめない。
いいぞ伊藤
がんばれ伊藤
が、がんばれ伊藤。
言葉がままならなくなっても、何とかしがみつこうとする伊藤が、感嘆を漏らす。
しかし、この相づちともツッコミとも取れない発言を織り交ぜつつ、伊藤は確実に国崎ワールドの面白さを増幅させてゆくのである。
大げさな動きでもってネタを展開させているのは国崎なのだが、観客に先行して、言葉巧みに笑いの起点をつくっているのは間違いなく伊藤である。
伊藤は国崎ワールド案内人として
という完璧なまでのエスコートっぷりを披露しているのである。
見ている観客が暴走国崎列車から振り落とされないよう気を配りながら、並行して案内人の仕事もこなす。
批評家が好みそうな国崎の実験映像を、伊藤の手腕により、ハリウッド映画へと昇華する。
芸人ウケや通好みと言われがちなランジャタイが、大ブレイク間近と呼ばれるほど観客に受け入れられるようになってきた秘密が、ここにある。
それを可能にしているのが、言わずもがなレイヤーの異なる5人の伊藤なのだ。
そして、その時は唐突に訪れる。
すがすがしい
あんなに歩み寄ってくれていた国崎。
目は合わずとも、心は通じているはずだと信じていたのに。
国崎。
ああ、国崎。
少し遅れて頭を下げはじめる伊藤。
なんだ、お前もグルだったのか、伊藤。
すっかり騙されてしまったよ。
気持ちの整理を待たずして、下げ囃子が流れ出す。
二人が舞台袖に消えてゆく。
宙に浮かぶ私の心を、ランジャタイはいつまでも揺さぶり続ける。
おしまい。