2023年まとめ

※この記事は年末投稿予定だったこともあり、時空から取り残されています。

2023年も終わりますね。
自分の所感からすると音楽活動の改革が行われた年だったように思う。
作家業の拡大もしたいなと年始にいろいろ動いていた。
ただ近しい友人ら数名に言わせると2023年のオレの一年は「厄年」だったらしい。

たまにはこういうの書いてみようかということで。
ただ書いててちょっと苦しくなる割とストイックな一年でした。
疲れちゃうようだったら読むのやめてもらって。
正月三が日暇のお供などにどうぞ。(もう終わったけど)

1月エマージェンザジャパンに出る。


「例年にない激戦区になってしまいました」「ステージ素晴らしかったです」
主催の方に励まされた言葉を「負けは負けですから」と生意気なことを言ってつっぱねていたように思う。
確か悔しく悔しくてしょうがなくその数日後にカバー動画を出していた。

ツイートを遡ると、この頃ずっと声が不調だったらしい。
とにかく裏声がでない。数曲ですぐ枯れる。
オーディションが近づけば近づくほどどんどん不調になった。
仕方ないので用意したセトリを直前で変えたり、MCを多めにしたりして対策をしてステージは保った。
ここでsuichublancoイノサイドといったバンドと知り合えた。

あ、あれ、、、
1月からめちゃくちゃ重くね?

2月DON☆DON声が出なくなる。


もうこの頃は調子が良い日が基本ない。
これ絶対なんかやっちゃってるよ。
ボイスクリニックはこの時期は世間で花粉症が流行っていたこともあり、予約が取れたのは3月頭になってしまった。

ひとまずできることをやろう。
今年は宅録を頑張りたいから、これ一本で一生戦えるマイクを探そう。
恥ずかしい話で、当時持っている楽器の中で一番安いのが自分のコンデンサマイクだった。商売道具だし妥協はなしで探そう。
SoyuzNEUMANNAustrian Audioなどが候補に上がっていた。
いろんな店に行かせてもらった中で神田のRPMさんには非常に良くしてもらった。
特に自宅へのマイクレンタル(なんと無料)
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3月慢性声帯炎になる。


慢性声帯炎になった。(なってた)
声帯の使いすぎによって声帯の全体が手にできるマメのように固くなってしまっているそう。
なんというか当時すごく合点がいったように思った。
全然高音伸びてこないし、裏声のピッチが操れなくなってて、普通に歌えることのほうが少なくもなっており、ああ、これが加齢による声帯の変化か。
短いピークだったなあ。とか取り留めなく悩んでたから。

「一緒に頑張りましょうね」
と心強く言ってくれた先生の言葉にとても励まされた。
治療は先生の飲み薬や吸引機によるステロイドの投薬治療となった。
早く治したかったから予定してた遊びの約束をすべてキャンセルした(人に会うと大声で笑っちゃうんで)
まあ一生治らないわけじゃないっぽいしな。
という流れで宅録強化、ミックスの本格的な勉強をすることにした。

数人の作家の方からノウハウを伺ったのと、オンラインサロンというのがあってそこに片っ端から入会して四六時中動画を見て学習した。
今の時代はyoutube本当に便利でありがたい。

声が戻ったらちゃんと巻き返そう。一人で完パケする覚悟を持とう。

4月慢性声帯炎が治る。


「エマージェンザです、芝さん、準決勝に出ませんか?」

意味がわからなかった。
どうやら敗者復活枠ということで予選での投票を総括した結果自分が選ばれたらしい。
そうなんだ。。。どうしよう。
ひとまず会場は昨年ワンマンをやったエッグマンだそうだ。
良い箱だよな、新規が増える可能性もある。
じゃあサポート呼んでバンドでやらなくちゃ応援してくれた人に申し訳ないよな。
そうして参加へ動き出した。サポートも快く引き受けてくれた。
ドラムのぼぶさんはドイツに行くためパスポートを取りにいったそうだ。
こういうところだよな。士気が上がった。

そんなおり、慢性声帯炎が治った。
これでいつでも歌える。
おー、裏声でるー!高音も!違和感もねえわ。
声帯にメスを入れるようなことがなかったこともあり、
体感これまでの絶好調を悠に超えるコンディションだった。
本当に知らぬ間にすこしずつ患っていたようで、もはや年々ヘタになっているようにすら感じていたので、そんなスパイラルから抜け出せたようにも感じてとても嬉しかった。

とにかくライブがしたかった。

5月エマージェンザ準決勝に出る


当たり前だけどすごく会場内ピリピリしていた。
それもそのはずでリハが1時間ぐらい押してた。前の演者のセッティングに想定よりもかなり時間がかかったらしい。
エマージェンザジャパンはセッティングにもタイムテーブルが設けられており、運営はかなり時間には厳しい方針だった。
そういった経緯もあり、運営もだいぶ荒れていた。
運営に煽られ、箱のスタッフも、演者も萎縮していた。
「今日こんなですから、ひとまずスタッフには頼れないと思って、しっかり各々セッティングを自衛しましょう」
そんなことをサポートに伝えた。
明らかにミスやトラブルが起きやすい空気だった。

本番も結果最後の曲で同期が途中で止まり同期がズレた。
ライブ中それぞれがそのことを察知しその場でブレイク時に尺を補完するというウルトラCが起きた。
この人達に頼んでよかった。

おかげで客は誰一人トラブルが察されることがなく終われた。
これだからライブはおもしろい。
声も絶好調。
この日シャウトの声量でスピーカーが歪んだそうだ。
歌えるというのは本当に幸せなことだ。

気になる結果発表。
決勝進出は男性アイドルグループだった。
こういう手合いを薙ぎ倒してこそのロックフェスのオーディションだったのかもしれない。
しかしその日は不思議とその場のバンド陣と交流が深まりやすかった。

6月宅録、ミックス本格化


いろいろ悩んでマイクはLEWITT LCT 940 にした。
自分が強いのは中音なので、そこが太く出てくるマイクが欲しかった。
音質としての良さなら他のマイクなのかもしれないが、ミラクルが起きる期待がこのマイクにはあった。
それからUADのプラグインを購入した。
これでミックス面で悩むことが少なくなるだろう。

リクエストでカバーなんかをやったりした。
これはおもしろかった。
いろんな曲を歌えて楽しかった。
オケがない場合自分で弾き語るということでアコギで作ることができた。
洋楽をカバーした時外人からコメントが来たのは本当におもしろかったし嬉しかった。
ただなんだか毎度毎度告知してやるのも厚かましいのかななどと思ってさっさとやめた。

7月夏休みこどもアニソン祭り

いろいろ理由をつけて懐かしい曲をカバーしたいなと思って始めた企画。
もう新しい曲全然聴けない!30代ぐらいの人と仲良くしたい!
という目論見から始めた。
カバーの生産スピードがあがったのはこれをやったからだと思う。
ボーカルエディットとかテキトーだったんだけどちょっとずつ詰めていけたし、実際懐かしさで沸く場面にでくわせてよかったし楽しかった。
2024年はたぶんやらない←

8月暑すぎて防音ブースを破壊する。アコギ買う。

夏が暑すぎて防音ブースをぶっ壊した。
というのは冗談で、アルバムでもお世話になったエンジニアのコレナガさんに録り音を相談したところ、きちんと空間の広いところで録った方が音が良いというススメを受けた。
音は空気の振動であって、その逃げ場が狭いブースだと音としても十分な音が録れないそうだ。
今でも宅録の環境づくり(ルームアコースティック)は試行錯誤で一朝一夕では整っていかない。
とんでもない沼にハマっちゃったよなあ。

そしてこれが年内最後のライブになった。
アコースティックブッキング。
ライブをやって気づいた。
メインのJ-45がどこを鳴らしてもビビる。
緊急でサブ機を導入。YAMAHA1974。
オレより年上。ビンテージなのに入門ギター。
音がやばい鳴る。ボディのカラッとした音が小気味良い。陽キャ。最高。

9月自宅スタジオでRECサービスを始める。


そういった後ろ向きな要素もありつつも
この時期数名のシンガーにお願いして自宅スタジオでのRECモニターをお願いしていた。
人のミックスをガンガンやりたかったし、部屋の状況を客観的に監視したかったし、自分で歌って探すのでは限界があった。

この時期にカバーに対して意欲が減ってきていたのも事実だった。
一旦人のミックスなどをやりつつ、自分のフィードバックに生かそうなどと立ち回っていた。

10月心が折れる。


この時期が一番きつかった。
一回心が完全に折れた。
時間と労力を注いでいるにも関わらず思った以上の成果が出ない。
悪いことは重なるもんで、提供楽曲の編曲が納期を超えてもまったくあがってこず、そのゴタゴタで揉めていた。
もう全部やめたい。もう何に触れるのも辛い。

この時期支えてくれたみなさんのおかげで今楽しくやれている。

当時はどう考えても稼働のしすぎだった。
この先に旅行があるから今は我慢!(しかし台風でご破産になる)みたいなのはやめたほうがいいよな。
こまめなガス抜き、睡眠、規則正しい生活習慣ですね。。。

とはいえそんな中新しくRECエンジニアのお仕事をさせてもらった。
同時にボーカルディレクションもやらせてもらった。
やはりボーカルっておもしろい。
上手くいってない時でもこういう仕事の場があることには感謝してもしきれない。

11月バースデーワンマンをやめる。そしてBFへ。

実はこれは春先ぐらいから決めていたことだった。
今まで自分の一年の柱として機能していたけれど、ここでこの活動を止める必要が間違いなくあった。
あらゆる面でとにかく採算が取れていない。
この活動をやることでその後のバランスが崩れていっている。
このままでは先細りだ。
もう一度きちんとしたやり方に変えるために一度ワンマンをやめる必要があった。
宅録でのカバー活動によって新規獲得を狙うのが今年の新しい柱だった。

ゆえにこの月を待っていた。
ブラックフライデー。
プラグイン問題は今年で全部終わらせたいということで必要なものは全て買った。
先の編曲家問題もあり、自分で編曲をやることにもトライする気でいろいろ買った。
道具が揃った。

12月少しだけ軌道に乗る。

めちゃくちゃ忙しかった。
しかし動画がすこしずつ数字になりだしてきた。
ミックスの手法だとかも少しずつ画一されてきた。
それからミックスのコミュニティへ参加したりもした。


まとめ

結果、ちゃんと厄年

得たものはあった。(必死)
なんか物ばっか買った一年だった。
おかげで得たものもあった。(繰り返し)

2024年の目標

・オリジナルが発表できなかったからする。
・行っていないところへ旅行にいく。
・作家のコミュニティを増やす。
・ミックスとかエディットの時間を半分にする。
・ミックスを10曲は人にお願いする。
・他の人と絡む。
・今まで避けていたことをやる。

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