ひと山
苦労の末どうにかこうにか山を越えることができた。
それが昨日のことだった。
ひと山越えたので、実家に帰省した。
当然だ。ひと山越えたのだから。
親の作った飯を食ってだらだらとしていても許されるはずだ。
本当は税金の督促状が来てしまったのでやむなく実家に帰ってきたのが真実ではあるのだが。
新しいことがしたい。
ここは銭湯だ。
何を隠そうオレの実家の近くにはスーパー銭湯がある。
湯船につかりながらぼんやりと窓から露天風呂のほうを眺めてみる。
みごとに爺さんばかりだ。それもそのはず、ここは男湯だ。
それにしたって爺さんばかり。
オレも時間が経てば、あんな感じの爺さんになるのだろう。
毎日朝方や夕方を主軸として湯船に浸かる。
節々も痛んでくるころだから当然である。そのうちにお得意さんなどができてお互いの労をねぎらい合うのだろう。
うん、それ自体は非常に魅力的ではある。
だが、やはり無視できないこともある。
そのころにはオレだけじゃなく周りは爺さん。そして婆さんだ。
恋だってきっとしづらい。世間体もあるし、老い先も長くない。婆さんを悲しませるわけにはいかない。ワシャ一人で逝くよ。と、爺さん。
なので新しいことだとかやりたいことは身体の無理が利く今のうちにやっておいたほうがいい。最近じゃワニだってふっと死んだ折には儲かる桶屋もある。(すごいいい話だったよね、100日後に死ぬワニ)
オレは止まっているのが苦手だ。どう考えたって何かに向かい続けた人生のほうが楽しい。変化が好きだし、その上で出会える人々や、それを受けて変化したりしなかったりする自分も好きだ。
どうやら焦っているのだろうか。
回りまわってマンネリ化してきた思考、その鼻先で一人の爺さんが横切った。
この視界に現れた新しい爺さん。それはこの銭湯のお得意さんである。
実はこの銭湯でアルバイトとして働いていた経験のあるオレなので間違いない。彼はお得意さんだ。お得意爺さんだ。
9年や10年前からだろうか。よく生中を頼んでいた。
そんなお得意の爺さんはあのころのままの爺さんだった。
いかんいかん。
なるほど、自分はステレオタイプに物事を捉えすぎていたらしい。
湯船から出て、この銭湯代の元を取るべく湯船で思いついたメロディなどを形にする作業に向かった。
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