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自分の選択に言い訳をしないこと

ここ数日、文にしろ絵にしろ、表現するという気になれず。


何らかのカタチで自分を表現するには思いの外エネルギーが必要で、それは自分に何かしらの衝動がなければ生み出すモノに熱が入らないし、その衝動を生み出すためには、自分に余白がなくてはならない。


この余白というのは、何も時間的余裕に限らない。


よく「時間がなくて〜ができない」「仕事があって〜は無理」「子供がいるから〜できない」と言うが、そんなものは全てただの言い訳。自分を悪く見せない、あるいは良く見せるためのフェイクだ。

本音は、「そこに割く気持ちがありません」「それを選びたくない」「誰かに批判されるかも」「気分が乗らない」「怖い、心配だから嫌だ」「お金がもったいない」のどれかだ。


どんな言い訳をそこにくっつけてみたところで、結局は自分の選択に免罪符を付随させたに過ぎない。


わたしにはそれを叶えるだけのエネルギー、勇気がありません。つまりやりたくありません。以上。なのだ。


こういう取り繕いを自分から無くしていくと、より自分の本音に近づけると思う。
もちろんそれを遂行するにあたっては、相手が自分の選択をどう受け取ろうが全て流す、あるいは気にしない、もしくは受け入れる覚悟が必要となるが。


これに基づくと、わたしには表現に時間を割くエネルギーがありませんでした。やる気になれませんでした。やりたくなかったです。これで完結。


シンプルに生きるというのは、こういうあり方も含むと思うのだ。


できない、やりたくない自分に変な言い訳をしない。無力で非常識で腹黒い自分を認め、それをそのまま相手に表す。


偉そうに言ってみたところで、わたしだってまだまだだ。
ちょっとでも自分の株を上げようとするし、デキる人ぶって他人の無力や至らなさをぶった斬ることもある。約束を破ることもある。


されども、自分に正直な生き方に人一倍憧れているからこそこんなことを考えるのだし、怖いことにもトライする。
(何もそこに意見も憧れもない人なら、こんなことにいちいち頭を使わないし、気にも留めない)


こういう内容久々に書いたけど、やっぱり爽快。



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