花のように凛と、儚くも逞しく、すべてを受け容れる強さを。
今の仕事が、だんだんラストに近づいてきています。
それで切羽詰まったりちょっとした無理をふっかけられたりで、ピリピリっとした時間が続いていました。
だけどそれも、あと少しなのだよな。
今まで長いことやってきたこの仕事。
もしまたこの世界に戻ることがあれば、受注ありきで作るのではなく、自らの意欲を元にやっていきたいなと思っています。
さて今日はそれとは変わって、お花の話を。
お花ってね、わたし正直つい最近まで、それほど重要視してなかったのですよ。いや、見ればキレイだなとは思うけれども、常に身近に置いておきたいという欲求が薄かったというか。まあ、貰えればそりゃめっちゃ嬉しいけど、自分で買うほどでもないなというか。ぶっちゃけ、そこにかけるお金が惜しいなと思ってたのですよね。だって切り花なんて、一週間やそこらで枯れちゃうわけじゃないですか?すぐに枯れて無くなってしまうものに、わざわざ、ねえ?と思っておりましたのです。
んで、たとえお花をもらうことがあったとしても、めんどくさがりなのでマメにお水を替えてあげたりするタイプでもなく。ゆえに、早々に枯らしてしまう→わたしにはお花とか向かない→やっぱムダ、という思考に入っておったわけで。
それがここ数ヶ月ずっと、自宅の仕事場デスクにお花を飾るようになりまして。
しかもそれを都度、自分で買ってくるようになりましてですね。で、仕事してる最中とか、日中のほとんど、お花が視界に入る生活をしておるわけです。
いやこれね、お花のパワーをマジでナメてましたよね。
お花が視界の隅っこに入るだけで、無条件に心が和むのですよ。
でもってそれが嬉しくて、毎朝お水を替えてあげたり、お花を見て「今日もキレイね〜、咲いてくれてありがとね」とか、そんな言葉までかけるようになりまして。
この激変っぷりな。
心のあり方が変わると、花への接し方まで変わるという。
そんでね、こないだは仕事の合間に、バラ園に行ってきました。
いやね、まじでね、
めっちゃ
癒された。
お花ってスゴイ。
だってね、どんなに厳しい天候に見舞われても、咲くタイミングが来ると誰に命じられるまでもなく花を咲かせて、その命をその場で全うしようとする。枯れるときもその姿を一切隠すことなく、人目に触れることを許容し、朽ちる時にも潔く朽ちていく。そして、そこにいるだけ、ただそれだけで、人を和ませてしまう。
こういう女でありたいものだわ。
咲かせているピーク時の美しさだけに甘んじることなく、朽ち果てていくときも、その場から逃げない。美しいところだけ見せるんじゃなくて、枯れていくところも隠さない。
自分の美醜をすべて受け入れているひとは、容姿や年齢に関係なく美しい。
いいところもイヤなところも、長所も短所も、魅力もコンプレックスも、賢いところもエグいところも、どんな部分もすべて受け入れる姿勢。
これが、自分らしく生きるための秘訣でもあります。
花のように凛と、
儚くも逞しく、
自分のすべてを受け容れる強さを。
今デスクにあるのはこのお花。かわいい〜♡