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女の生き首
『新伽婢子』
今は昔の話である。
京の都に一人の若い僧がいた。
この僧、学びの途上でありながら、人の娘に恋をして深い契りを交わしていた。
ある時、師匠の僧侶から修行を深めるため関東へ下るよう仰せつかった。
女に未練があった僧は、仮病など使ってぐずぐずと出立の日を先延ばしにした。
だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。
ある夜、女に暇乞いをして、東に向かおうとした。
別れ言葉に女は悶え、僧の袖にすがって泣いて送り歩いた。
二人は、粟田口まで歩いて来た。
東の空は、白々と明るくなって来る。
僧は、傍の女に云った。
「いつまでも尽きぬ名残であるが、夜が明ければ多くの人の目に晒される。
遠く離れても、空の月が消えた後にまた巡って来るように、また会うだろう。
ここで、帰りなさい」
だが、女は分別をわきまえず、
「今別れたら、もうこの先は片時も生きてゆけません。しかしながら、付き添って
東へ下ることも叶いません。どうか、ここで私の首を切って、形見に持って下さい」
と云って、懐から小さな脇差を取り出した。
僧は、あまりのことに途方に暮れた。
どうしても、この女は生きては帰らぬ心であったのだ。このような剣(つるぎ)まで
用意しているとは。帰れと云っても帰らぬだろう。かといって、連れてゆく訳にも
ゆかない。夜が明けるのは早い。このまま時を無駄にしていれば、人目につきどんな
恥を重ねるか分からない。
自らを薄情にも思いながら、雪のような女の肌に氷のような剣を当てた。
後ろの襟口から首に当てた刃を一気に前に押すと、ごろッと首が落ちた。
油を引いた布に首を包むと、僧は泣きながら東へと旅立った。
そして。
僧は、飯沼の弘教寺(ぐぎょうじ)に辿り着いた。飯沼は、今の茨城県常総市である。
ここの寮に入り、修行が始まった。
寮は、薄い壁に仕切られ、何人もの僧たちが寝ている。
各々にあてがわられた空間は、とても部屋と言えるようなものでは無かった。
だが、この若い僧が部屋を出る時、あるいは帰って来る時、必ず女の声がする。
時には、高らかな笑い声まで聞こえる。
壁の向こうの僧は、不審に思った。隙間から何度も隣を覗いてみた。
だが、見えるのは若い僧ただ一人。他に人は無い。
それに、あまりにもこの空間は狭い。人を隠す余裕など無い。どうなっているのか。
こんな様子で三年が過ぎた。
ある時、僧の母が病に倒れたという知らせが都から届いた。
僧は、取るものもとりあえず都へ登った。
それから三十日ほど経ったある日。寮の中から女が泣き叫ぶ声が上がった。
人々は肝を潰し、寺の中は騒然となった。声は、若い僧の部屋からである。
入口の戸におろしてあった錠を打ち抜いて、中に踏み込んだ。誰もいない。
だが、女の声は続いている。それは、小さな渋色の紙包みの中からだった。
恐る恐るそれを開いてみると、薄板の曲げ物の入れ物の中に、若い女の首が
入っていた。黛は緑色、艶やかな化粧を施し、生きている人以上に
生き生きとした美しい首だった。その両目は憂いを湛え、涙が溢れ、腫れていた。
が、人々に気がつくと恥ずかし気に俯いた。
そしてみるみるうちに朝の雪が日に当たるが如く、ジワジワとその皮膚の色が変わった。
女の首は、花のように干涸らびて枯れてしまった。
どういう事なのか知らぬが哀れである、と僧たちはこの首を葬って懇ろに弔った。
その後、都より飛脚が届いた。手紙には、こうあった。
「かの若い僧は、急な流行り病にて何月何日に亡くなりました。よって、そちらの寮の
部屋を明け渡します」
若い僧の、師匠からだった。各々思い返すと、確かに首が泣いたのは、これと同じ日
であった。
女の首の凄まじい一念の強さに、僧たちは舌を巻いた。
かの唐土の伍子胥、あるいは相馬の将門は、首となっても人々を震い上がらせたが、
それは猛々しい侍といった人々である。
このような形優しい女にも、同じようなことがあるとは、極めて稀な事である。
(終わり)