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坂田ヶ池の人柱
いつの頃の話か、定かでは無い。
人と物の怪が共に生きていた時代の話。
下総国、坂田ヶ池にはヌシが棲んでいた。
それは、一匹の雄の大蛇だった。
梅雨の季節になると、大蛇は池から這い出して長沼に向かった。
長沼に棲む雌の大蛇に会うためだった。
雨が降りしきるなか、龍ほども大きな蛇がウネウネと池の土手をゆく。
人が作った柔らかな土の土手は、もろくも崩された。
池の水がドッ、と村に溢れ出す。
村の人々は総出で水留めにかかった。
どんどん石を投げる。
土を運ぶ。
家の畳を剥がしてぼんぼん投げる。
だが、水はゴウゴウと音を立てて流れてゆく。
皆は手を止めて思わず互いの顔を見た。
打つ手は無かった。
憔悴しきって、誰も何も言わなかった。
その時、
「人柱を、立てるのじゃ」
と村の長老が言った。
思わず皆は、小さくうなづいた。
古くから、水の害にあったり橋や城の土台が固まらぬときは、そこに人を埋めるのが良いと言われている。
しかし、誰を。
皆は互いの顔を、そっと横目で見た。
すると、誰かが無言で土手の向こうを指差した。
見ると。
土手の向こうを一人の女が歩いてゆく。
この辺りでは見かけない顔である。
隣の村か、あるいは諸国を巡る生業の者であろうか。
その背中には小さな子供がいる。
子供は何かを一心に齧っているようであった。
無言で皆は、うなづき合った。
女は、幼子もろとも土手の下に埋められた。
それから水留めの作業は捗り、土は流されることなく土手は元の通り整えられた。
しばらくすると。
女を埋めたところから、一本の梅の木が生えてきた。
春が近づくと花が咲いた。
そして実がなった。
だが、その実はどれも半分しか成らなかった。
誰かがすでに齧ったような形をしていた。
あの、人柱にした女の子供が齧ったのだ、と誰かが言った。
その梅の木も、今は枯れてしまったと言う。
池の水の蒼さだけが、今も変わらず残っている。
(終わり)