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言伝(ことづて)
~芥川龍之介
『椒図志異(しょうずしい)』より~
平田篤胤(ひらたあつたね)氏の縁者に、浜田三次郎というひとがいた。
このひとの妹婿に、能勢平蔵という男がいた。
町同心をつとめており、男の子ふたり、女の子三人の父親であった。
だが五十年ばかり前に、突然平蔵は家を出て行方しれずとなった。
時代が時代であったので、家は断絶とされた。
五人の子どもたちは三次郎が引きとって養育し、みな立派に成人した。
そのうちのひとりの男の子は、他の家へ養子入りさせられた。
この人は、高橋太右衛門(ふとえもん)といった。
あるとき、ひとりの老女がその太右衛門の家をたずねて来た。
この老女は、いまから六、七年前までその家のちかくに住んでいたが、もとは平蔵につかえた召使いであった。
老女は、太右衛門の前にすわり、その顔を見ながらこう言った。
「あなた様のお父上の平蔵さまが、我が宅に来られました。
そのむかし、家を出られたときの衣服ありさま、そのままのお姿で。
平蔵さまは、こう言われました。
われは、いまはこの世ながら、この世ではない世界にいる。
わが子らをときどき見ることはあるが、いかんせんものを言うことができぬため、そのまま時が流れてしまった。
いまここに来たのは、言伝をたのむためである。
われは家は出たが死んではおらぬ。
だが死んだものとして、家を出た日を命日ときめられ、仏法風に戒名まで背おわされている。
このために、われはこれ以上高みにのぼって先に進むことが、出来ぬのだ。
そのほう、太右衛門の宅にゆき、こう告げよ。
われに戒名をつけて死人あつかいすることをやめよ、と」
老女は言いおわると、去って行った。(了)