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人相占い奇談

根岸鎮衛「耳嚢」より
(原題:相学奇談の事)

ある人が、わたしに語ってくれた。
「浅草の町屋に、人相を見て占う人が居る。
私も友人も見て貰ったが、いやはや。
先々のことを悉く言い当てるのだ。
まったく、大したものだ」

これは、その人相見の男にまつわる話である。

麹町の辺りに若い男がいた。
この男は、とある裕福な商家で働いていた。
幼い頃からこの店に召使として入り、今は手代である。
手代とは、番頭と丁稚の中間といったところであろうか。

商いのこともよくわきまえ、加えてまじめな務めぶりであったので店の主人も
「そのうち元手を貸してやって、暖簾分けでもしてやろう」
と思っていた。

さて、ある日この手代の男が例の人相見のところへ行って、相を見て貰った。
すると、人相見は
「そなたは、人生の良し悪しなど、見るどころではありませんよ。
気の毒なことに、来年の六月には死ぬ、という相が出ている」
と、言った。

いわれた方は、言葉もない。
その顔をなお、人相見の男はじっくりと、あるいは少し離れたりして見ていたが、
「とにかく、死相がある」
と言った。

まったく、ほんとのこととも思われなかったが、金を払うとそのまま帰った。
が、何をしていても気がかりで、鬱々として、心が晴れない。
もとより真面目な男であるから、一途に
「来年は、死ぬのだ」
と思いつめて、ついに店の主人へ暇を願い出た。

主人は驚いて、
「なぜ店を辞めるのだ、訳は」
と何度も問うたが、男は
「たいした訳ではありません。
ですが、とにかく出家したいと思います。
ですので、お暇を」
と言って頭を上げない。

「ならば、当面は何かと入用であろう。
金をやるから持って行きなさい」
と主人は言ったが、この男はもとより世を捨てるつもりであったので
「いえ、もし入用となったそのときだけ、それをお願いに参りましょう」
と言って、一銭も受け取らずに去って行った。

それから男は、全ての衣類などを売り払い、小さな家を買って住んだ。
そして、ある日は托鉢へ、ある日は神社仏閣詣でと、その日暮らしを送った。
その日限りの身の上、と自らに言い聞かせ、宣告された命が尽きるその時を日々待っていた。

そんなある日のこと。
朝、両国橋を渡っていると、橋の欄干のところに二十歳ばかりの女が立っていた。
男がそのわきを通り過ぎようとすると、女はやにわに欄干に上がり、手を合わせて飛び込もうとした。
あわてて男は女を引き下ろした。
「なぜ死のうとする」と尋ねると、女は、だいたいこんなことを語った。

女は、越後国高田に住む百姓の娘であるという。
暮らし向きには困らない家であったが、女は近くに住む男と親に隠れて密通していた。
女はやがて男と駆け落ちし、江戸へ出た。
そして五・六年も夫婦暮らしをした。
だが、夫は卑しい身分の生まれだったせいか、やがて生活が荒れ出した。

二人の暮らしはその日にも困るようになり、ついに夫は病にかかり死んでしまった。
たまった家賃、そのほか数々の借金。
それらが女にのしかかった。
女の実家は、国元では名の知られた長者だった。
それを知った借金取りたちは『返せぬはずは無い』と毎日取り立てに来る。
若気の至りだったとはいえ、いまさら親に顔向けも出来ない。

もう、死ぬしか無いのです、と女は泣く泣く語る。
聞いている男は不憫に思い、その借金は幾らだ、と聞いてみた。
かくかくしかじか、と女が告げる家賃借金は、たいした額ではなかった。

それならば、と男は女を連れてかつて勤めていた店に足を向けた。
主人に訳を話し、私ではなくこの女にあの金を貸していただけないか、と頼んだ。
あるじも哀れと思い、男に与えるつもりであった金のうちから五両を女へ与えた。

その金で家賃を払う。
借金を返す。
そして書状をしたため、それを持たせて女を越後の親元へ返した。
老いた両親の喜びようは、例えようもなかった。
篤い礼をしたためた書状と女に与えた金が男のもとへ届いた。

さて、その男の死相のことである。
年が明けて春がきた。
夏が来た。
六月に入り、三十日も過ぎた。
なにも男の身には起こらない。
日々、至って健やかである。

「さては、だまされた」
と男は憤って、店の主人に事の次第を全て話した。
主人も驚き、憤り、懲らしめてやると息巻いて、手代だった男をつれて人相見の元へ向かった。

その家に着くと主人は男を外に置いて客を装って案内を乞い、人相見と対面した。
すると、
「あなたは、人相を見て貰いに来たのではありますまい。
外にいる方のことで来たのでありましょう」
と人相見は云った。

呆気にとられている店の主人を残して席を立つと、家の外に目を向けた。
格子戸のところに手代の男がいるのを見ると、
「やあ、これはこれは」
と中に招き入れた。
「うむ、死相であったはずが、見間違えたか?」
と人相見はブツブツ言っていたが、元手代の男の顔をまじまじと見つめて、
「もしや、何かの命を助けたのか?」
と云った。

驚いて主人と手代の男が全ての事情を話すと、
「ああ、それで。
それがあなたの相を変えたのです。
もう大丈夫ですよ」
と言って、ぱん、と涼やかに手を打った。

やがて、主人はこの男を還俗(げんぞく)させ、僧侶から俗人に戻らせて再び店の手代とした。
そして男は越後から女を呼んで、夫婦となった。
二人は、いまでも睦まじく暮らしていると云う。

(了)

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