龍、石の中に潜む事
『耳嚢』根岸鎮衛 文化十一年(1814)
からの現代語訳です。
声に出して読む語りテキストとして
書きました。
どうぞお楽しみください。
原題「石中蟄龍の事」
近江の国に
石亭(せきてい)という人が居る
裕福な農家の主で
本名は木内重暁(きのうちしげさと)
という
この人は名石
すなわち由緒ある石や美しい石を好み
これらを沢山集めていた
石亭は「雲根志」(うんこんし)
という本を書いている
これは奇石
いわゆる珍しい石の数々を
それらにまつわる云われと共に
紹介した本である
石亭はこれを書き上げるのに
二十八年をかけた
世間でこの本のことを
知らぬ人は いない
ある年のこと
諸国を巡っている僧が
この石亭の家に泊まった
僧が石亭の石たちを
まじまじと見ているので
石亭は思わず声をかけた
「あなたも
珍しい石を集めてるのですか」
すると僧が こう云った
「いえ いえ
われらは諸国を巡る修行の身ですから
石を集めるということはありません
しかし私は
あるとき一つの石を拾いまして
常に荷物の中に入れております
これと云って
不思議ということもありませぬが
水気を生じますので愛でております」
こう聞いて
もとより石に目がない石亭は
ぜひとも見せて頂けないか と云った
僧は袋の中から一つの石を取り出した
それは 色は黒く
大きさは握りこぶし一つくらい
石には窪んだ所があるが
そこに湿り気があった
石亭は大いに感心し
「相応の物を差し上げますので
どうか譲って下さらないか」
と云った 僧は
「愛でている石ではありますが
わたしは僧侶ですから
執着の心は有りません
打敷(うちしき)でも作って頂ければ
すぐにお譲りします」
と云った
ちなみに打敷とは
仏壇仏具の下に敷く布のことである
石亭は大いに喜び
さっそく打敷を作らせた
出来上がるとこれを僧に与え
替わりに石を得た
さて 石亭はこの石を
机の上に置いてみた
だが ふと思い付いて机の上の
硯の上にそっと置いた
すると 石からこぼれた水が
硯の中に満ち満ちて
何とも云い表せぬほど見事である
たちまちこの石は
石亭が深く寵愛する物となった
あるとき
一人の老人がこの石をつくづくと見て
こう云った
「このように水気を生ずる石には
おそらく中に龍が潜んでいる
もしこれが 天に昇ることとなったら
大きな災いを成すであろう
遠くへ捨てるがよろしい」
だが
常日頃もっとも愛する石であった為
石亭はその言葉に従わなかった
ある日のこと
石亭が部屋に居ると
にわかに外が曇り出した
空の色が何となく冴えない感じになった
すると例の石が内側から気を吐き出した
その勢いは尋常ではない
石亭は大いに驚いた
あの老人の言葉が蘇った
石亭は
村の長老や近くに住む人々を集めて
こう云った
「この石は遠くの人家のない所へ置いて
ゆこうと思います」
するとその場にいた一人が
「そのような怪しい石ならば
どんな害を成すか分からぬ
焼き捨てるべし」
と云った だが
「それはとても出来ぬ」
と石亭は云った
結局その石は離れた所にある
お堂に納めることになった
みんなでそこへ行き
無事に石を置いて帰ったその夜
嵐になった
雨風が吹きすさび 雷鳴が轟いた
お堂から雲が湧き立った
そして激しい雨と共に
天に昇ったモノがいた
あとで人々はお堂に行ってみた
あの石は真っ二つに砕けていた
お堂の有り様は
全く龍が昇天した跡であった
村中の人が不思議な思いをした
なお
「石を焼き捨てるべし」
と云った人の家は
木っ端微塵になっていた
と云われている
(了)