信玄と小坊主(山梨の怪談)
出典
『義残後覚(ぎざんこうかく)』
(原題:小坊主、宮仕えの事)
戦国の世の時の話である。
ある日、甲斐国、武田信玄公の元へ一人の少年が連れられてきた。
身分卑しからぬ人のお子であります、と家臣の者が言った。
十五、六歳くらいの容姿端麗な若者である。
「おそばに置いて使ってみられては」と家臣は言った。
信玄公がご覧になると、なるほど世にも類稀なる美しさだった。
そのまま召し上げてそばに置き、やがて頭を剃らせ法師とした。
そして側近衆の中の、茶道の者である重阿弥にその身元を預けた。
こうして小坊主は信玄公の腰元として仕え日々その御心を前もって悟り、何事も先回りして整えておくように勤めたので、信玄公のお気に召す事は他に並ぶ者が無かった。
二年が経った。
ある夜のことである。
信玄公はこの小坊主に茶を立てさせていた。
すると、屋敷のどこからか若い侍たちの声がした。
どうやら十人あまりで話をしているようである。
が、だんだんとそれは口論になりやがては刀で散々斬り合う音になった。
小坊主が信玄公に言った。
「どうやら、お屋敷の中庭にて、若侍の方々が口論なさり、只今打ち合っているご様子」
信玄公はそれを聞いても騒がず
「一体、どこの者たちか」と仰せになったので、
「さぁどこの方々でしょうか。
聞きなれないお声と思われますが」
と小坊主は言った。
信玄公は
「癪に障るやつらめ。
目と鼻の先にいる我を、何者と心得ての
狼藉か。
ひとりひとり討ち果たすべし」
と仰せられた。
小坊主は茶を立てる手を止めてスッと立った。
そのまま音もなく縁側の方へ行って、障子をさらりと開けると庭をきっ、と見回した。
また静かに公の前へ戻ってくると、
「十人ばかり、
打ち乱れて斬り合っておられます。
御用心を」
と云って、隣の間に立て置いてある薙刀を取って公の傍に寄った。
「薙刀は置いておけ。
弓を」
と仰せられたので、小坊主は畏まって七所藤(ななところどう)の弓に矢を添えて持ってきた。
ちなみに、七所藤(ななところどう)の弓とは弓の湾曲部の七箇所に藤の蔓(ツル)を巻いた物である。
信玄公は立ち上がりその場で矢をつがえると、開け放たれた障子の向こうの闇へ、ひょうっと放った。
「どっ」という大勢の声がした。
慌ただしく退散してゆく気配がする。
あとは静寂が残った。
「不思議なことだ。
これはおそらく、天狗の仕業よ。
我は明けても暮れても戦術と戦略ばかり
考え、工夫をしてきた。
それを推し量るために、このような騒ぎを
起こし、驚かしたと見える。
全く、人の仕業ではあるまい」
すると、
「その通りでございます」
と云って、小坊主の姿が闇に隠れ見えなくなってしまった。
さては疑いなく魔物の仕業、常に油断ならぬ事よ。
と、信玄公はひとり闇の中に立って居た。
(終わり)