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牡丹灯籠
江戸の世の時の話である。
季節は夏。
人々がお盆の支度に追われる頃。
この時期になると人々は、仏壇を飾り灯りを付け、軒下には灯篭を吊るす。
そうして、亡くなった先祖や親しい人の霊を、あの世から迎えるのである。
根津の清水谷に住む、萩原新三郎もその一人だった。
それは彼に恋して死んだ娘の為だった。
二人は、たった一度しか会っていなかった。
新三郎は長屋を人に貸して生計を立てていたが、あるとき知人の医者と、飯島という旗本侍の家を訪ねた。
医者の山本は、この家のお抱え医師だった。
新三郎はここで飯島家の一人娘、お露と会った。
二人はたちまち惹かれ合った。
新三郎が帰るとき、お露が言った。
「また来て下さい。
でなければ、死にます」
それは新三郎も同じだった。
お露を思うと食事も喉を通らなかった。
だがある日、医者の山本が来てこう言った。
お露は、死んだ。
新三郎を思うがあまりの恋煩いで。
後を追って女中のお米も死んだ、と。
新三郎は打ちひしがれた。
そんなわけで、死んだお露のために盆の支度を済ませた新三郎は、軒の下の縁側に座っていた。
日が暮れた。
夜の闇が降りてくる。
するとどこからか、カラン、コロン、と音がした。
高下駄の音だった。
それはこちらに近づいてくる。
この夜更けに誰が、と生垣の方を見れば二人の女である。
先を歩くのは三十くらいの女。
牡丹の花が付いた灯篭を持っている。
飯島家の女中のお米だった。
その後ろに、十七、八と思われる振袖姿の娘がいる。
お露だった。
二人の足が止まりお露がこちらを向いた。
「新三郎さま」
新三郎は思わず駆け寄った。
「お露、そなたは死んだと聞いたぞ」
するとお米がこう言った。
「それは、医者の山本さまの嘘でございます。
あの方は、飯島のご主人に二人の仲が知れて、お怒りを被る事を恐れたのです」
お露が新三郎に寄り添った。
「私たちは家を出る事にしたのです。
新三郎さま、二人の仲を妨げるものは、もうありません」
新三郎は二人の女を家の中に入れた。
新三郎とお露は、情けを交わした。
そして夜が明ける前に二人の女は帰って行った。
日が暮れるとまたやって来た。
そして同じように夜明け前に帰って行った。
こうして七日が経った。
さて。
新三郎の長屋に住む、伴蔵(ともぞう)という男がいた。
伴蔵は、近ごろ毎晩新三郎の家から女の話し声が聴こえるので、ある晩こっそり覗いてみた。
どこの娘だろう、と伴蔵が思っていると二人はひしと抱き合った。
その拍子に男の肩口に乗った女の顔が見えた。
その肉が、腐っている。
目も鼻も、黒い穴。
背中にしがみ付いた手は、白い骨だった。
伴蔵は悲鳴も上げず腰を抜かして這って逃げた。
そしてそのまま、同じ長屋に住む白翁堂勇斎(はくおうどうゆうさい)という人相見の男の所へ行った。
夜が明けるのを待って、勇斎と伴蔵は新三郎を訪ねた。
新三郎の顔を観て勇斎は言った。
「死相が出ている。
あれは死霊だ。
このままでは精気を吸い取られて死ぬぞ」
だが、新三郎には信じられない。
新三郎は二人の女がいま住んでいるという三崎村を訪ねてみた。
だが、村の誰もそれらしき女たちを見ていなかった。
途方に暮れて帰ろうとすると、ある寺の墓地に牡丹の花が付いた灯籠が見えた。
その後ろに新しい墓が二つあった。
驚いた新三郎は寺男に訊いてみた。
墓は、お露とお米のものだった。
お寺の和尚が言った。
「これは、ただただ恋しい、というそれだけの死霊です。
しかしそれだけに逃れるのは難しい。
だが、防ぐ手立てが無いという訳ではありません」
新三郎は家に帰ると和尚から貰ったお札をあちこちに貼った。
そして教えを受けた雨宝陀羅尼経(うほうだらにきょう)というお経を詠んだ。
外は闇。
丑三つ時の鐘が鳴った。
その音が消えると、カラン、コロン、カラン、コロン、、、。
その音は近づいて来て、しかし生垣の所でピタッと止まった。
やがて哀し気な女のすすり泣きが聴こえた。
そして、コロン、カラン、、、と去って行った。
次の夜もそのまた次の夜も、同じように女たちの幽霊はやって来て、去って行った。
ある夜のこと。
伴蔵が夜中に目を覚ますと、枕元にお米の幽霊が立っていた。
幽霊は凄まじい顔で何事か囁いて、消えた。
あくる日。
日が暮れて、カラン、コロン、という音が聴こえて来た。
伴蔵がジッと耳をすませていると、その音は新三郎の家の中へ入って行った。
伴蔵は首をうなだれた。
お米の幽霊におどされて、窓のお札を一枚だけ剥がしたのだ。
朝になった。
伴蔵は新三郎の家へ飛び込んで行った。
新三郎は、死んでいた。
その横に振袖を着た女の白骨が、ぴったりと、寄り添っていた。
(了)