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夢に妻を殺める
(夢に妻を害す)
『新伽婢子』
今は昔の話である。
都の片原というところに、一人の商人の男がいた。
他国で絹や布を買い付け、都で売る事を生業としていた。
ある夜。いつものように妻と並んで寝ていた男は、眠ったまま床から起き上がった。
夢とも現とも知れず、瞼を閉じたまま枕元に置いてあった刀を掴んだ。
そして、鞘を払うと妻に刃を振り下ろした。
それから何事もなかったかのようにそのまま床に入って、眠った。
朝が来た。男は目を醒ました。何も覚えていなかった。
いつものように、傍の妻を起こそうとした。
妻は、血まみれになって死んでいた。
男は驚き、さては盗賊の仕業かと思い部屋のあちこちを確かめた。
だが、何も盗られておらず戸の桟もしっかり降りている。
外から誰かが入って来た様子は無い。
男は昨夜のことを思い出そうとした。
何か、人と強く争った夢を見た気がする。
さては。そのために、傍にいた妻を知らずに殺めてしまったのか。
あまりのことに、男はこれを近隣の人々に話した。
親類にも話した。
話すたびに情けなさが込み上げた。己れを恥じ、哀しみに暮れた。
妻の親兄弟は、これは夢などではなく始めから殺すつもりだったのだ、
と奉行所に訴えた。男は牢獄に押し込められた。だが、恨みではない
誤って斬ってしまったのだ、と釈明し続けた。
その後、赦されて牢を出されたが、男は頭を丸めて出家した。
なんとも言えぬ因縁であったが、善き道を歩むことになったのだ。
その一方で、こんな話もある。
昔、ある人が旅の途上に、ある家のそばを通りかかった。
ふと、中を覗き見ると、錆びて朽ち果てそうな刀の抜き身が祭壇に祭られ、
しめ縄まであつらえ、その前で家の人が礼拝していた。
旅人は思った。全く名剣には見えぬが、何か珍しい謂れがあって、
このような尊いものとなったのだろうか。
それで、その家に立ち寄ってわけを尋ねると、亭主が云った。
「おっしゃる通り、これは無類の名刀なのです。
私、昨晩ある人の所にて大酒をし泥酔となって何も覚えず、持っていたこの刀を
抜くと人々に切りつけたのです。
が、このような刀ですから、皮の一枚も斬れずたちまち人々が集まって私を
寝付けさせたのです。
朝が来て目が覚めまして、一部始終を人から聞きました。
もし、この刀が切れ味見事なものであったならば、私も無事ではいられなかったでしょう。
つらつら思うに、これは命の恩人なのです」
何かおかしな言い草であったが、そういうこともあろうかとその人は思った。
こちらの方は、どこの国の話なのか伝わっていない。
(終わり)