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鬱になっても、自分に有難うと思えるか。

昨日あまり寝れず今日はぐっすり寝れて回復したかのように思いきや、、、
早朝に神社の掃除お手伝いして帰ってくると体がだるい…思考も遅い…

これはもしや、鬱スイッチが入ったか

自分の体の感覚を内観してみる。
うーん、遅い。心臓の鼓動も遅い。
躁のツケでついに速度制限がかかったみたい。

どうやら僕の身体はパケット放題という訳にはいかず、体力や気力を使い果たすとスマホのデータ容量と同じように速度制限がかかる。年始から調子が良くなり、ちょうど3ヶ月間ほどで使い果たした計算になる。ここ最近、気分が高揚して急に寝れなくなったり、あれこれとやりたい事を思いついては即行動して楽しんでいた。躁の操縦も、鬱の波のコントロールも思い通りにはならない。
できることといえば両極な波にのって、のまれないようにする。躁鬱の波は自然と湧き起こってしまうから、波を起こさないのは至難の業だ。

躁になると、高速データ通信モードになり、頭もアイデアも冴えてとにかく動き回ってしまう。ワクワクとドキドキが鳴り止まないファンタスティックな気分だ。でも必ずツケがやって来る。いくら運転手の心が楽しくても、宿っている体はガス欠になる。だから休もうと教えてくれ、高速を下りて速度制限がかかり鬱になる。
パケット(体力、気力)を使い切ると消極期、低速モードに自動で切り替わる。

30代後半に足を踏み入れ、ようやくそんなアップダウンの激しい双極な自分すら愛おしいと思えるようになった。20代は世間や他者からもっと認められたいと執着してだいぶ苦しんだ。その根っこには、母にもっと認められる人にならないと自分は愛されない存在なんだという強迫観念が生み出された幻想にずっと囚われていた。自分を内観して、母とも直接対峙して、それはただの幻であり、自分が作った思い込みだったと30代前半になってやっと白状し、そこから抜け出す道へ自分の人生の歩みを進めていった。いまは、母との関係も良好で、程よい距離感を保ち、喧嘩することも無くなった。自分が変われば、世界が変わる。対人関係も、住む世界も、見え方も変わるのだ。

世間では躁鬱病と呼ばれ、一生治らず薬を生涯のむ必要がある病気とされているが、ぼくは躁鬱は気質であり、特性であり、個性だと思っている。人と違うことをすぐ病気扱いする、いじめる社会は嫌いだ。社会という見えない枠に人を収めるより、唯一無二なそれぞれの個性と多様性を認め合える社会のほうがいい。そんな社会がないなら、つくればいい。無理して枠に収まるより、自由になってそもそもなかったはずの檻みたいな枠からはみ出していく人生をぼくは選ぶ。

2月からヴィムホフメソッド(WHM)という呼吸法と寒冷トレーニングを続けていて、躁鬱の気質にどんな影響をもたらすか自分を使って検証している。
WHMにより心が鍛錬され、ストレスにも強くなり、体力もつき、ふとしたとき呼吸にも意識を向けるようになった。鬱になってだるくても、無茶せず、ゆるくても続けていきたい。

という訳でブログ書いて気持ちが少し落ち着いたので、
さっそく呼吸法と、軽い10分ほどのランニング、3分海に入って戻ってきた。
気分はよくなった。寒冷するとうつ病の症状が緩和されたり、運動は鬱に効く。

隠岐ウルトラマラソンがあってエントリーしてよかった。
隠岐の島という自然豊かな環境に包まれ、
躁鬱でも自分を快く受け入れてくれる仲間がいる有り難さ。
だから、鬱になっても自己否定に陥らずゆっくり休もうと今は思える。
鬱になった自分にも、癒しを与えてくれる環境、そして支えてくれる周りにも、
心から有り難くありがとうと感謝したくなる自分がいる。

躁鬱で苦しむあなたへ
これを読むと気持ちがすぅーと楽になる。

これを聴くと、ふぅーとお気楽になる。

ああ すべて与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物手放そう
憎み合いの果てに何が生まれるの
わたし、わたしが先に忘れよう
あぁ 今日からどう生きてこう

帰ろう 藤井風

自分に還ろう。
Love yourself.


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司運
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