[essay] 言葉の違和感 〜すごく・すごい〜
世の中「すごい」ばかり
テレビ、ラジオ、ネット動画などを聞くともなく聞いていると、これはどうにもおかしいと思うような日本語が蔓延している。いちいち取り上げればキリがないのだが、これは明らかな誤用であろうという言葉がある。それは、「すごい」。
「すごいおいしい」
「すごいうれしい」
「すごい楽しい」
若いタレント、YouTuberは言うまでもなく、若いとはいえ本来は言葉のプロであるはずのアナウンサーまでもが何の疑問も抱かずに使用していることがあるのだが、「おいしい」「うれしい」「楽しい」といった言葉が続く場合、本当ならば「すご『く』」と言わなければならないはずなのだ。
もう猫も杓子もすごい、すごいとばかり言っているわけだが、聞いているこちらからしたら、あまりに「すごい」が連呼されると、非常に稚拙な印象を受けるのである。文法上の間違いでもあるのに、それを平気で公共のメディアに流してしまうあたり、そういったことどもを指摘できる、言葉尻に敏感な人間がそれだけ減っているということなのだろう。
国文法を紐解く
そもそも、われわれ日本人は中学国語において「国文法」を学習する。そこで、言葉はすべからく10品詞に分類され、その中でも動詞・形容詞・形容動詞の3つを合わせて「用言」というと習った。そして、言葉には「活用」といって、語尾の変化するものがあり、その活用形をそれぞれ未然形・連用形・終止形・連体形・仮定形・命令形という。
その流れで「すごい」を考えてみよう。
言い切りの形である終止形、その語尾が「イ」になるものを特に「形容詞」ということから、「すごい」は形容詞であることがまずわかる。
となると、「すごく」は「すごい」の連用形ということになる。連用形とは、その字面のとおり「用言」が後に続くのだが、先に挙げた「おいしい」「うれしい」「楽しい」はすべて形容詞、すなわち用言なので、やはり「すごいおいしい」ではなく「すごくおいしい」と言うのが正しいことになる。
言葉は変化していくもの、だがしかし
これを言葉の乱れと言うか、時代とともに変化しているだけだと言うかは、議論の分かれるところである。国語学者なら前者だと言うし、言語学者の立場なら後者だと言うだろう。
ただ、時代とともに変化するというのは長期的スパンによる比較論的なもので、やはりその時代ごとに正しいとされる用法はあるわけである。
若い世代が間違えるのは百歩譲って仕方のない面もあるかもしれない。まして、YouTuberなどはその多くが個人で編集作業をしているのだから、衆目にさらす前に修正されないこともあるだろう。だが、テレビ局やネット配信会社といった第三者の手を経たものが、間違いを間違いのまま公開してしまう現状はいただけない。
先にも言ったが、これはひとえに、間違いに気づいて指摘できる人が減少していることを意味している。論理的に、というよりも、感覚的に違和感を抱く人がメディアの世界に少なくなっていることが、この先ほかにどういった影響を及ぼすのか、他人事ながら心配になるところである。
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