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【兵庫県】「西の宮」廣田神社(2024/05/22)

前日、六甲比女大善神社で出会った方からもオススメされた廣田神社。
ずいぶん前に参拝した記憶があるのですが、旧ブログを辿ったら2005年の秋で、しかも「参拝した」とは言えない、ただ寄っただけでした。
これは改めて参拝せねば。


兵庫県第一の古社・廣田神社

前回の記憶がほとんどなく、しかも夕方に近かったので薄暗いイメージしか残っていない中、GoogleMAPを頼りに、そして最後には道行く人に尋ねてやっと駐車場に到着。
駐車場の出入口にはバーなどがなく、無料です。しかし、広々としているわけではないのでキャンピングカーはちょっと停めづらいかも。
この日は端っこが空いていたのでラッキーでした。

三世代でお宮参り

まっっったく記憶にない、立派な鳥居。3年前に大規模な改修工事が行われたそうです。

平日なのに参拝者が絶えません。そして参道にはキッチンカーと、占い?癒やし系の出店が。

変わった注連縄

こちらは鳥居ではなく、注連(しめ)柱。こういう形状の注連縄も、あまり見かけない気がします。

ハイテクになってた

説明板も新しくなっていて、しかも左側はタッチパネルです。

廣田神社の御由緒

御祭神は“天照坐(あまてらします)皇大御神(すめのおおみかみ)の荒御魂(あらみたま)”
「伊勢の神宮に坐す天照坐皇大御神の、勇猛果敢で活動的・進取的な霊験あらたかな御霊」とあります。

以下は、公式サイトより抜粋↓

御主神の御名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と申し奉り、即ち伊勢の神宮の内宮に御鎮座の天照坐大神の御荒御魂に坐しまし、神功皇后御征韓の時、御霊威を示し給える大神なり。又御脇殿奉祀四社は御主神に尤も縁由深き神々にして古くは併せて廣田五社と称せり。−廣田神社由緒記より抜粋−

廣田神社 公式サイト より

神様の御魂のおだやかな働きを「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、荒々しく格別に顕著なご神威をあらわされる御魂の働きを「荒御魂(あらみたま)」とたたえます。
別宮|皇大神宮(内宮)|神宮について - 伊勢神宮

右の石柱に官幣大社の文字

式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社で、旧社格は官幣大社。

拝殿

廣田神社は、神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を示し、皇子(第15代 應神天皇)のご懐妊を告げ、安産を守り、軍船の先鋒となり導き、建国初の海外遠征に大勝利を授けられた天照大御神の御神誨を受けた神功皇后(第14代 仲哀天皇のお后)により、御凱旋の帰途、武庫の地・廣田の国(芦屋・西宮から尼崎西部)に大御神の『荒魂』を国土の鎮め外難の護りとして鎮め祭った、と『日本書紀』に記されている兵庫県第一の古社です。

廣田神社 公式サイト より

神社の由緒書って古くから伝わるものだから、現代人には難解な文言が多いですよね。つい、読み飛ばしがちです。

しかし上記の公式サイトの中の文章にはない部分が、参道に掲示されてた由緒書の中の「御創祀」にあることに気がつきました。

神功皇后 摂政元年(201)、国難打破の道を示し、八幡大神の御懐妊を告げ安産を守護し、軍船を導き、建国初の海外遠征に勝利を授けた、廣田大御神の御神誨(おつげ)により、御凱旋の帰途、御心・廣田の國に国土安泰・外難の守護として御創祀されたことが、我が国最古の国史書『日本書紀』に記されています。

由緒書より

注※「御心(みこころ)を」《「を」は間投助詞》み心が広い、長い、よいの意から、「広田」「長田」「吉野」などの地名にかかる。( Weblio辞書 より)

日本書紀、読んだことないからわからんけど、天照大神の荒御魂=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命=廣田大御神ってこと???

狛犬様

むちむち、口元もキュートな狛犬様の笑顔にホッコリ。

拝殿

廣田神社は、西宮(にしのみや)という地名の元になっているそうです。

廣田神社は、京の都から西方にある特別に重要な神社ですので、中世の貴族達は「西宮」と別称し、当社への参拝を「西宮」参拝、「西宮」下向と称しました。
平安時代の百科事典である『伊呂波字類抄』をはじめ、本居宣長『古事記伝』、伴信友『神名帳考証』にも廣田神社を【西宮】と称したことが記されています。
後に、「西宮」の語は廣田神社の荘園である廣田神郷(神戸市東部〜尼崎西部、有馬、猪名川に及ぶ)全体の地名として使われるようになり、近世には末社の南宮や、戎社(現在の西宮戎神社)のある浜南宮を中心とした地域(旧西宮町)の地名となり、現在は西宮市の名称へと受け継がれています。

廣田神社 公式サイトより

「えべっさん」で有名な西宮神社は、元は廣田神社の摂社・浜南宮で、西宮神社 境内社の南宮神社がその名残なんだそう。(廣田神社 - Wikipedia より)

巨大絵馬

今年の干支、龍の巨大絵馬。雷を伴っています。

伊和志豆神社

何となく気になった、伊和志豆(いわしず)神社。石碑には「延喜式内社 摂社」と彫ってあります。※延喜式神名帳に記載された神社という意味

御祭神は、伊和志豆之大神。

創立年代は詳でないが、清和天皇貞観元年(859)正月廿七日 従五位下より従五位上に進み、延喜の制には官弊小社に列せられる。
室町時代には白川神祇伯の祓を修した六社の内の一社として厚い崇敬を集めていた。
御祭神は一説によれば彦坐命(開化天皇の皇子なる日小坐王で廣田神社を創建せられた神功皇后はその四世の孫にあたる)を祀るといわれている。
もとは廣田本社より東南約1.5kmのところに在り、大正六年七月十六日に廣田神社の境内に移転したが、戦後は本社に合祀していた。
平成二年の御大典にあたり社殿を再建し奉齋することとなった。
兵庫県武庫郡の式内社は廣田神社本社、摂社名次神社摂社岡田(太)神社、伊和志豆神社の四社でいずれも廣田神社の所管である。

説明板より

伊和志豆之大神=彦坐王?
(古事記では「日子坐王」だけど日本書紀では「彦坐王」)

記紀等に伝わる古代日本の皇族。
第9代 開化天皇の第三皇子で、第12代 景行天皇の曾祖父である。事績に関する記載は少ないが、『古事記』において詳細な系譜が記される人物である。

彦坐王 - Wikipedia より

神社創建の歴史とか調べてると御祭神の名前が変わってたり御祭神自体が変わってたりするから、個人的にはあんまり気にしてない。
そもそも、わたしが神社をよく訪れるのは土着信仰の方に興味があるからで、山とか岩とか自然のものを御神体としているところが好き。

古地図

こういうの大好き!

御神水

今日の第1の目的は、この御神水です。
旅してると湧水めぐりも楽しみの一つなのです。(これは湧水じゃないけど)

前日に訪れた六甲比命大善神社の御祭神、瀬織津姫は水を司る神様。その世話人の方に「近くで(キャンピングカーで行ける)水を汲めるところがないか」尋ねたところ、「ちょっと金(かな)っけが多いけど、廣田神社の御神水もいいですよ」と教えてくれました。

六甲山を水源とする有馬温泉、灘五郷の酒造に用いる夙川の伏流水の宮水、KOBE WATERとして世界の船乗りにも知られる布引の滝の水が特にオススメだそうです。

ゆっくり、ゆっくり

少〜しずつしか出てこないので、時間をかけてゆっくり新緑を眺めながら心を落ち着けて汲ませていただきました。

廣田神社秘蔵の霊宝、現存する日本最高最古の如意宝珠「剣珠」の存在にもたいへん惹かれます。
『日本書紀』仲哀天皇二年の条に「神功皇后が豊浦(とゆら)の津(※関門海峡)にて海中より得られ給うた」と記されている、水晶の中に剣の姿が顕れた丸い珠で、公式サイトに写真が載っています。
見てみたいけど、特別公開とか、そんな機会はないんだろうなぁ。

広田山公園

境内の総面積は、約53,000㎡。
花の時期は終わっていましたが、広田山公園にはコバノミツバツツジ(兵庫県天然記念物)群落が広がっています。ゆっくり散策したかったな。


GoogleMAPと関連リンク集

廣田神社 参拝者専用駐車場(GoogleMAP)
廣田神社 公式サイト


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