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制裁者。

 き、きききき、ききききききぃ……。
 耳障りな音を立てて、錆び付いた校門がゆっくりと開く。


 俺は被っている紫色のペストマスクの頭部から嘴を撫でながら、その光景を眺めていた。


 視界が開ける。
 泥濘んだ地面に支配された楕円形の校庭。黒い夜に覆われて、まるで魔王の棲む城のような禍々しい雰囲気を放つ元中学校の廃校。


 先程まで騒いでいた人々も、異様な空気を感じ取ったのか静まり返っていた。


 右側の校門を開けた額に縦長の張り紙を付けた男と、左側の校門を開けた少し気の強そうな女子高生が俺達の集団に戻ってきた。


 静寂に包まれる中、顔を上げる。
 屋上から見下ろす人影と目が合った。
 お互い、目を離さない。


*


 街に黒羊駱駝のお面を被った男が現れてから、湿度の高いこの街を黒い夜が覆うようになった。


 街の人々は不穏な夜を恐れ始めた。


 そんな中、林檎を崇拝するカルト宗教、「林檎教」が真っ黒な林檎を街中に配り始めた。


 黒色の林檎を食べた街の住人は暴力的になっていき、日を追うごとにその破壊の波動は広がっていく。


 そして今夜、遂に街が崩壊を始めた。


 今まで溜まっていた負の感情を吐き出すみたいに、黒い林檎を食べた街の住人は「湿気の街」を壊し始めた。


 至るところで暴動が起こり、建物が爆発し、車が炎上し、泥濘んだ地面に死体が転がる。


 黒い林檎を配った、あいつの所為で……。


*


 屋上から街を見下ろす、シルクハットを被った男。
 林檎教の教祖、「シルクハットの林檎屋」。


 モデルのようにすらりとした体型が、湿った闇夜に妖しく浮かび上がる。


 にぃっ、と真っ白な歯が三日月みたいな光を放ち、どろどろと輝いた。


 ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ……。
 前方から複数の人が泥濘んだ地面を踏む音。


 シルクハットの林檎屋から目を逸らし、足音のする方へ顔を向ける。


 黒装束を着た集団が、校舎からぞろぞろと出てきた。林檎教信者だ。100人以上はいると思う。


 見る限り、彼等を倒して灰色の憂鬱を取り戻す為に集まった僕等とほぼ同数だった。


 林檎教信者と反林檎教は向かい合いながら無言で校庭を歩き、近付いていく。


 10メートル程離れたところで、互いに静止した。


 誰もが理解していた、この静寂の意味を。


 シルクハットの林檎屋が両手を広げ、真っ黒な夜空を仰いだ。
「禁断の果実に、憂いなき破壊を!」


「禁断の果実に、憂いなき破壊を!」
 彼の後に続き、林檎教信者が一斉に叫び、武器を天に向けた。


 俺は右手に持ったバールを、カルト集団に向けた。
「乾いた悪には、湿った制裁を」


「うおおぉぉぉぉおおおぉぉおおぉっ!」
 俺の後ろから雄叫び声を上げた反林檎教が駆け出した。俺の横を物凄い勢いで走り去っていく。
 ほぼ同時に、林檎教信者も走り出した。


 黒い夜空の下、校庭の中心で林檎教信者と反林檎教がぶつかり合った。


 殴り、蹴り、切り、叫び、血を吐き、噛み千切り、刺す……。


 ぶつかり合い、なんて生易しいものじゃない。誰もが目を背けてしまう程、無様で、醜く、汚い殺し合いだった。


 女子高生が日本刀で男の鼻を切断したかと思えば、ショートヘアーの少女がトレンチナイフで女の目玉を突き刺している。


「んあぁぁああぁぁぁっ……」
 目の前で女が絶叫しながら溶けていく。皮膚が爛れ、肉が落ち、骨は液体になり、泥濘んだ地面へ染み込む。


 ホースを構えた灰色の防護服を着た男が正面に立っていた。


 そうだ。これは戦争だ。いくら残酷でも、街を守る為の戦いだ。街を壊す悪は消す。跡形もなく、彼等が生きていた意味も、価値も全て溶かしてなくしてしまうみたいに。


 むちゃ、にちゃ、くちょ……。
 四つん這いで、男の死体を貪り食う少女。
 彼女に向かって金槌を振り上げる、黒装束の男。


 ぶぉんっ!
 俺は金槌の男の後頭部にバールをスイングした。固い物を打つ感触が右手に広がる。金槌の男は呻きながら左側の後頭部を抑え、蹌踉めいた。


 足りない、足りない足りない。
 今度は反対側から殴る。
 ぐぼっ、と頭蓋骨にバールが食い込む。


 悲鳴を上げ、四つん這いになる金槌の男。
 今度は脳天に1発。蹲って地面で震える男の背中に更にもう1発。止まらない。もっとだ。もっと。悪には制裁を、悪には制裁を、悪には制裁を制裁を制裁を!


 気が付くと、地面には血塗れの死体があった。身体のあちこちに赤黒い穴が空いていた。


 自分の身体の中で、紫色のねっとりとした粘液が喜ぶように踊っているのが分かる。


 次だ。次はどこだ。次が欲しい。
 近くで凶器を振り回す黒装束の女を見付けると、躊躇なくバールで殴った。


 次。
 死体に馬乗りになって、何度も何度も凶器を突き刺す少年をバールで殴った。


 次!
 涎をだらだらと流し、凶器を振り回す男をバールで殴った。


 次!!
 こちらに向かって走ってきた女をバールで殴った。


 次!!!
 こちらに向かって凶器を振り上げた男をバールで殴った。


*


「はぁ……はぁ……」
 林檎教信者全員、恐怖を感じていないのか、まっすぐこちらへ向かってくる。目を見開き、嬉々として。死ぬことすら気にしていない。全部、あの真っ黒な林檎を食べた所為なのだろう。


 次々と迫りくる林檎教信者に、早くも体力が尽き始めていた。
 屋上にはもっと、バールを振り下ろさなくてはいけない人間がいるのに。


 辺りを見回す。
 なんとなくだが、反林檎教全体に疲れが見え始めているように感じた。


 勢いよく向かってくる林檎教信者に押されて、泥濘んだ校庭に倒されていく反林檎教達。
 目玉を抉られ、滅多刺しにされ、腸をかき混ぜられ、集団リンチされ……。


 このままではまずい。
 そう思った矢先だった。


「がががががががっ!」
 背後から飛んできた野太い声。
 反応するのに、数秒遅れてしまった。


「んあっ!」
 背中に鋭い痛みが走る。
 前のめりに倒れそうになるのを両足で踏ん張った。


 背中に広がる生温かい液体に身体から力が抜けそうになりながらも、なんとか振り返る。


「がが……ご……ががががが……」
 そこには、首を右に傾けた大男がいた。身長は2メートルを優に超えている。
 黒装束を着た彼の右手には、刃が鮫の歯のようにぎざぎざに尖った両手剣。


「ががががが……が、ごががががが……」
 彼の口には、後頭部から一周するように巻かれた大振りの鎖が食い込んでいた。


「がごががががっ!」
 両手剣の大男が、両手剣を振り上げた。


 避けようとした瞬間、背中に再び痛みが走る。
 先程かなり深く切られたのか、動く度に血が流れ出る。


 中途半端に動いた身体に、両手剣が振り下ろされた。


「あがぁっ!」
 左肩に鋭い痛み。


 ぎじゅ、じゅじゅじゅ……。
 両手剣の大男は、両手剣の刃をそのまま俺の左肩に食い込ませるように力を入れた。


「あぁっ、あああぁっ!」
 俺はバールを地面に落とし、両手で両手剣の男の右手を掴んで、刃が入るのを拒むことしか出来なかった。


 ぎじゅ、ぎじゅ、ぎじゅ……。
 ぎざぎざの刃が左肩の肉を裂いていく。裂く、と言うより、削る、の方が表現として近い。肉が削がれる度、じゅくじゅくと新鮮な血液が流れていく。


「あ……あぁ……」
 両手がぶるぶると震える。圧倒的な力の差にどんどん体力を奪われていく。肉が削られる。肉が削られる。やがて、骨まで達し、骨も削られ、仕舞いには……。


 もう、駄目だ。
 直感でそう思った。
 自分が助かる光景を想像出来なかった。このまま逆転して、彼を倒すシミュレーションが一切出来なかった。


 周りの音が消えていく。
 左腕を肩から切断されたら、俺は、もう、湿気の街の制裁者ではなくなってしまう……。


 両手から、力が抜けた。


 こん。
 両手剣越しに、軽い振動が伝わる。


 こん、こんこん。
 再び、振動。
 両手剣の大男の力が抜けた。


 よく分からなかったが、チャンスは逃さない。
 俺は膝を曲げ、痛む身体に鞭を打って、両手剣の大男から離れた。


 ずちゃ。
 そのまま後ろ向きでお尻を地面につけた。


 両手も地面につき、息を整えながら両手剣の大男を見た。


 両手剣の大男は首を横に向け、後ろを見ていた。
 やがて、ゆっくりとこちらに背を向ける。


 右手で左肩の傷を押さえながら、両手剣の大男の視線の先を追った。


 そこには羊駱駝のお面を被った男がいた。
 黒羊駱駝のお面の男とは違う、余裕がなく、緊張で身体が、がたがた震えている男だった。


「こ、こっちだ!」
 羊駱駝のお面の男は鉄パイプを両手で握り、両手剣の大男を見上げていた。


「お、お前の、お前の相手は僕だ……僕がお前を……」
 羊駱駝のお面の男は今にも潰れてしまいそうな程、声に力がなかった。
「だから……だから、ペストマスクのあなたは……あなたは行ってください。あなたには、行かなきゃいけないところが……会わなきゃいけない人が……いる、筈です……」


 俺は、ふと校舎の屋上を見上げた。
 シルクハットの林檎屋がにやにやと笑い、俺達を……いや、俺を見下ろしていた。


「早く……早く行っ、ひぃぃぃっ!」
 両手剣の大男が凶器を振り上げ、羊駱駝のお面の男が頭を抱えた。


 ごんっ!
 鈍い音が辺りに響く。


 いつの間にか羊駱駝のお面の男の前に、黒い布で目隠しをした女がいた。黒いコートの下に、黒いブラジャーを付け、黒いパンティを履いた、不気味な女。


 彼女を知っている。湿気の街では有名だ。
 深夜にこの街にいる悪意を持った人間を斧で殺す、イカれた女。
「夜の執行人」。


 夜の執行人が歯を剥き出しにして、振り下ろされた両手剣を斧で防いでいた。


 がごんっ!
 重い音共に、両手剣の大男と夜の執行人の凶器が離れた。
 だが、お互いにしっかりと殺意を向け合っている。


「行って……行ってください……」
 夜の執行人の後ろで、尻餅をついている羊駱駝のお面の男が震える声で俺に言った。


 俺は無言で頷いた。


 立ち上がる。
 傷口から血が流れていくのを感じながらも、今出せる最大限のスピードで校庭を走る。


 至るところで悲鳴が上がり、呻き声が上がり、泣き声が上がる。


 それでも戦いを止めないのは、皆、憂鬱を求めているから。
 この街を支配していた、苦しくも心地いい、あの灰色の憂鬱を。


 校舎の前に着いた。
 再び、屋上を見上げる。


 シルクハットの林檎屋が、挑発的に首を軽く傾けた。


 ずっと待ってた。お前に制裁を下す時を。



【登場した湿気の街の住人】

・ペストマスクの男
・張り紙の男
・正気な女子高生
・反「林檎教」達
・シルクハットの林檎屋
・「林檎教」信者達
・日本刀女子高生
・トレンチナイフの少女
・死体掃除屋
・狼少女
・両手剣の大男
・湿度文学。
・夜の執行人

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