聖なる夜の特別編:麻薬サンタ。
「奴が来るぞ 奴が来る
聖なる夜に 奴が来る
真っ赤な帽子と鬼のお面
奴が来るぞ 奴が来る
聖なる夜に 奴が来る
大きな袋と錆びた鋸
奴が来るぞ 奴が来る
人肉求めて 奴が来る」
シャッターに両側を挟まれた地下通路に、歌詞の内容とはかけ離れた楽しげな歌声が響き渡る。
以前は栄えていたであろうこの地下商店街には、今や不快な湿気と点滅する蛍光灯と錆び付いたシャッターしかない。動きがあるとすれば、逃げるようにして走る紫色の鼠ぐらいだ。
そんな廃れた商店街を、被り物をした2人の女が歩いている。
人がいる場所に、「正しい」、「正しくない」という評価が出来るとすれば、私達のいるところは「何もかもが間違っている」という回答になると思う。自覚はしている。だけど、これが年中湿度の高いこの街での日常だ。
「もうすぐだと思うんだよね」
前方を歩く相方が振り返った。
赤い帽子とピンク色の鬼のお面を被り、真っ赤なワンピースを着た少女。大きな真っ白の布袋と錆びた鋸を持って、楽しそうに歩いている。
彼女は、「死肉サンタガール」。聖夜、12月24日の日没後から同月25日直前までの数時間限定でそう呼ばれる。孤児院の子供達の為に、彼女が肩にかけている袋に人肉を集める。勿論、食用で。
現在、12月24日22時。もうとっくに仕事を始める時間だ。だけど、その前に死肉サンタガールには、どうしても行きたい場所があるらしい。それがこの地下商店街にあるとのこと。
私は若干の焦りを覚えていた。
「そろそろ死体集め始めないと、クリスマスパーティに間に合わなくなりますよ。皆、楽しみに待っているんです。去年は殺し屋に死体を準備してもらってましたけど、今年は前準備何もしてないんですから」
「大丈夫大丈夫。分かってるよ。堅いなぁ、『馴鹿ガール』は」
馴鹿ガール。聖夜限定の私の名前。馴鹿マスクを被り、薄茶色のワンピースを着た少女。死肉サンタガールが付けてくれた、見た目通りの名前。何の捻りもなくて、ちょっと悲しい。
そんな私、馴鹿ガールは、死肉サンタガールのサポート役。
「んーどこかなー」
何度も言うが、死肉サンタガールと馴鹿ガールは、同じ孤児院で暮らす子供達の為、聖夜に人肉を探すのが仕事。それなのに……。
「まだ、着かないんですか?」
かれこれ15分程、地下商店街を歩いている。でも、どのお店もシャッターは閉まっている。出口にも辿り着けない。
「……ん?」
死肉サンタガールが立ち止まった。私もそれに倣って、彼女の後ろで足を止める。
少し先、天井に等間隔に取り付けられた蛍光灯が3本消えている箇所があった。そこだけ真っ暗だった。その中に、ターコイズブルー色の光が見えた。こちら側から見て右側、ターコイズブルー色の光を放つ提灯2つが火の玉のように暗闇に浮かんでいた。
死肉サンタガールを先頭に、妖しい光を放つ提灯へ近付く。
「あ、発見」
死肉サンタガールが足を止め、右側に身体を向けた。私も彼女に続いた。
シャッターの前に、簡易的なお店のような空間があった。パイプ椅子とその前に置かれた折り畳み式の長机。机の上には、果物から、煙草、注射器、酸素マスクのような物まで、統一性のない様々な物が置かれている。後ろにあるシャッターの左右上部に、1つずつ取り付けられた提灯。それ等から放たれるターコイズブルー色の光が、机に置かれた物達を照らす。
「ふあぁぁぁ……。おう」
パイプ椅子に座っている男が、大欠伸をしながら右手に持った缶ビールを掲げた。
「……行きたい場所って、ここですか?」
「うん、そう!」
私の問いに、何の迷いもなく死肉サンタガールは即答した。
「ふぁぁ……。どれがいーの?」
生気を感じない目に涙を浮かべ、左手の人差し指と中指で挟んだ煙草を吸う男。私は彼の顔から目が離せなくなっていた。
肩まで伸びたぼさぼさの黒髪、一重で眠そうな三白眼、目の下にある濃い隈、高い鼻、鼻の下と顎に生えた無精髭。
タイプだった。ヒモそうなイケオジが好物の私の心には、彼のいかにも駄目人間そうな顔がまっすぐまっすぐ深く深く突き刺さった。
それだけじゃない。猫背で細身、黒色のロングTシャツ、灰色のスウェットズボン、黒色のサンダル、右手には缶ビール、左手には煙草。
完璧だった。妄想に妄想を重ねたヒモそうなイケオジ像が、完璧に目の前に再現されていた。貢ぎたい。彼のパチンコ代の為に、働きたい。彼がセフレと行為に及ぶラブホ代の為に、金を稼ぎたい。彼に、人生をめちゃくちゃにされたい。
「……馴鹿ガール、大丈夫?」
死肉サンタガールの声で我に返った。
危ない。ずっと、彼のことを見つめていた。見つめたままにやけていた。よかった。馴鹿のマスクを被っていて。初めて、この重たいだけのマスクに感謝した。
「ふぁああぁぁ……。でー? どれがいーの?」
大欠伸をしたヒモ男(勝手に命名)は、短くなった煙草を不味そうに吸った。セクシーなかさかさの唇を丸め、思いっ切り煙を吐き出す。その光景に、またもや見惚れてしまった。
「え……どれ、って……何ですか?」
ヒモ男の質問の意味が分からず、私は首を傾けた。
「話、聞いてなかったの?」
死肉サンタガールが驚いたようにこちらを向いた。
「麻薬」
ヒモ男が、低くて心地のいいざらざら声でそう言った。
「どの麻薬でイキたい?」
麻薬? 何のことを言っているのだろう? もしかして、机の上に置いてある物? 果実に、煙草に、お菓子みたいな物まで。これ、全部、麻薬?
やれやれと言うように、死肉サンタガールが溜め息を吐いた。
「彼は、『麻薬サンタ』。12月24日21時から25日4時まで限定で、この地下商店街に店を出すの。そして、店に並んでいる麻薬の中から1つだけ、好きな物を無料でくれるんだよ。麻薬を配るサンタクロース。通称、麻薬サンタ」
ヒモ男こと麻薬サンタは、黒色のサンタ帽を被っていた。適当に被ったのか、ほぼ脱げかけている。可愛い。
「くあぁぁぁ……。色々あるよー」
麻薬サンタは煙草を缶ビールの中に入れた。缶の中からじゅっと音が鳴る。煙草を入れた缶ビールを飲むと、足元に置いた。
「例えば、これ」
麻薬サンタは、机の上にある濃紺色のビー玉のような物を手に取った。
「『夜行飴』っつって、これ舐めると、目の前に好きな人が現れて、その人にされたいことをやってもらえる感覚になる。主に、この街のドヤ区域で流通している。ドヤ暮らしの日雇い労働者達には、人気の商品さ」
次に手に取ったのは、藍色の液体が入った注射器だった。
「これは、『藍の麻薬』。これを投与すると、誰にでも愛を捧げたくなる。心温まる麻薬だよ。『藍』っつー、売春組織が使っていて、そこで働く娼婦に定期的に打たせてるんだ」
すらすらとざらざらな声で話す麻薬サンタを見て、ふと思った。
「これはこの街にいたら、知らない人の方が少ないどぎついやつだ。『林檎の麻薬』。これを食べると、理性が吹っ飛ぶ。『林檎教』っつー、カルト教団が……」
彼は、麻薬が大好きなんだ。薬物中毒者という意味ではなく、麻薬の存在が好きな……そう、麻薬オタク。
「果物関連で言うならね、これ。『桜桃の麻薬』。これを食べると自然と笑顔になる。『悦』っつー、巨大麻薬組織が売り捌いてる物の1つだ。これは元々……」
麻薬サンタは麻薬の話をしている時、全く欠伸をしない。あんなに死んでいた目だって、今はターコイズブルー色の光に照らされて、ぎらぎらと輝いている。
「ふあぁぁぁ……。で? どれがいーの?」
満足するまで話したのか、麻薬サンタは大欠伸をしてから、新しい煙草を咥え、火を点けた。
「んー……楽しい気分になりたいからなぁ……んー……」
死肉サンタガールは、トイザらスで玩具を選ぶ子供のように興奮していた。
麻薬サンタのことばかり考えていて、全然冷静じゃなかった。これから私達は薬物を使用するの? そもそも、何で死肉サンタガールは、麻薬サンタの存在を知っていたの? もし、孤児院のお爺ちゃんにこのことがバレたら……。様々な疑問と不安が頭の中を駆け回った。
「じゃあー、これがいんじゃない?」
煙草の煙を吹かしながら麻薬サンタが骨張った手で差し出したのは、綺麗な黄緑色をした洋梨だった。
「桜桃の麻薬も笑顔になれて楽しい気分になれるけど、この『洋梨の麻薬』は、比じゃないよ。一口食べたら、遊園地にいるような感覚を味わえる。全てが楽しくて、興奮して、頭の中がハッピーになる。ハッピーお花畑」
麻薬サンタが痩けた頰を吊り上げた。その色気たっぷりな表情に、全てがどうでもよくなった。いっそのこと、彼に人生をめちゃくちゃにされたかった。その方が華やかに幕を閉じられるとさえも。
「え、いいね。いいね! それ欲しい!」
死肉サンタガールは、ぴょんぴょんと楽しそうに跳ねた。
「くああぁああぁぁぁ……。はいよ」
麻薬サンタは今までで1番盛大な欠伸をすると、死肉サンタガールに洋梨を渡した。
「ありがとう!」
「ふあぁぁ……。で? 君はどーする?」
麻薬サンタの眠そうな2つの目が私を捉えた。ターコイズブルー色に照らされた彼の三白眼から、目が離せない。
「どーする?」
私は……。
*
「ふあぁぁあぁ……。ほら、舐めてみて」
麻薬サンタから受け取った濃紺色の飴玉を、口元まで持ってきた。
「一緒に食べよ」
同じく麻薬の洋梨を口元まで持ってきた死肉サンタガールは、こちらを見て微笑んだ。
私と死肉サンタガールは、被っている物を口の上辺りまでずらしている。お互い、麻薬サンタに無料で貰った薬物を楽しむ気満々だ。
「いっただきまーす!」
「頂きます」
隣から、しゃりと洋梨に歯を立てる音が聞こえたと同時に、私は夜行飴と呼ばれる飴の形をした麻薬を口に入れた。
「……ん」
口の中に果実のような甘い味がじゅわと広がった。コンビニとかスーパーで売っている物とは比べ物にならない。濃厚な甘いエキスが口の中に広がる。ぷかぷかと温かい液体の中で、心地よく脳が揺られているような感覚になった。
「……ごきゅ」
甘くなった唾液を飲み込む。初めて麻薬を使用する不安、仕事時間を割いてまで己の欲に溺れたことに対する孤児院の子供達やお爺ちゃんへの罪悪感、人間の死体を回収しなければならない嫌悪感、嫌なこと全てが一気に唾液と共に溶けて喉の奥へと流されていく。
視界の隅で、死肉サンタガールが笑い声を上げてスキップをしながら、ぐるぐると辺りを回り始めたのが分かった。
「目を閉じて、噛んでみな」
麻薬サンタのセクシーな低音ボイスが、愛撫するみたいに鼓膜を震えさせた。
彼の言葉に従って、目を瞑り、いつの間にか小さくなった夜行飴に歯を立てた。
がりっ、がりぐぎっ……。
脳を震わせるぐらいの破壊音が、口の中からはっきり聞こえる。
がぎっ、ぐぎっ、しゃしゃしゃ……。
夜行飴が粉々になり、舌の上をざらざらの破片が楽しそうに踊る。
「飲み込んで」
「んんっ」
硝子の破片のように鋭い粒達を全て、熱くなった喉の奥へと流し込んだ。
「目、開けていーよ」
瞼を上げると、目の前に誰かの胸辺りがあった。顔を上げる。麻薬サンタが死にそうな目を細めて、こちらから見て左側の口角を上げ、冷たい三白眼で私を見下ろしていた。
「ふあぁああぁぁ……。これ、邪魔だね」
麻薬サンタは私が被っている馴鹿のマスクを両手で持ち上げ、地面に放った。その乱雑さに胸がときめいた。
「耳、弱いもんね」
そう言うと、麻薬サンタの口が私の左耳に近付いた。煙草の臭いにすら、色気を覚えた。
「食べたげるよ」
彼の舌が私の左耳上部をぬらりと撫でた。生温かい液体が舐められた部分に残り、耳の熱を冷ましていく。
「これからだよ」
麻薬サンタが両手で私の両肩を横から掴む。逃げられない、と思った瞬間、彼の舌が左耳の外側を一周するようにべろりと舐めた。
「ん、んあっ」
思わず、声が漏れた。今まで自分が放ったことのない声だった。大人で、いやらしい声。こんな音を発せられるのか、と自分でも驚いた。
麻薬サンタの舌は止まらなかった。むしろ、どんどん舌の動きが速くなっていく。周りから徐々に徐々に、中心へと近付くように円を描いていく。彼の舌が左耳の穴へ寄ってくる。ぬめぬめした体液を辺りに残して、穴へ近付いてくる。身体が震える。内股になる。両手を股の前で握り締める。生き物のように動き回る麻薬サンタの舌。あぁ、もう駄目。彼の舌が、穴へ……。
*
呆然と立ち尽くしていた。
廃れた地下商店街の出口の前で、動けずにいた。
身体中に纏わり付く湿気も、じっとりと鼻を侵すどぶの臭いも、お気に入りのベージュ色のスニーカーを汚す泥濘んだ地面も全て、今の自分には反応するには値しなかった。
「ね? 楽しかったでしょ?」
隣で、死肉サンタガールが地下商店街に入る前よりもテンションの高い声で話しかけてくる。返事をする気力すら、今の私にはなかった。
「何ぼっーとしてるの! 早く人肉集めないと! 皆待たせちゃうよ! へへへっ!」
死肉サンタガールはへらへらと笑いながら、夜の湿った路地裏へと入っていった。
夜行飴を舐めてからの出来事が、お気に入りの映画のワンシーンを観るみたいに頭の中で何度も何度も再生される。
口には出来ないようなあの行為が、私の醜態が、幻覚なのか、それとも本当に起きていたことなのか分からない。
ただ、しっかりと、脳裏にあの数分間が刻まれていた。
「馴鹿ガール! 早くおいでよー!」
紫色の蛙が鳴き叫ぶ路地裏から、死肉サンタガールの楽しそうな声が飛んでくる。
廃れた街で、被り物をした2人の薬物使用者が死肉を探している。
人の生き方に、「正しい」、「正しくない」という評価が出来るとすれば、私達の行いは「何もかもが間違っている」という回答になると思う。
「死体はっけーん! ふうぅぅっ!」
そんなこと自覚はしている。だけど、これが年中湿度の高いこの街での日常だ。
「……あ、はい。……今……行きます」
そして多分来年の聖夜も、私達は大いに間違える。
【登場した湿気の街の住人】
・馴鹿ガール
・死肉サンタガール
・麻薬サンタ