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夜光X。
「マスターのお勧め」
静かな店内に、抑揚のない声が響く。
7席あるカウンター席の真ん中に座る、黒羊駱駝のお面を被った男以外にお客さんはいない。
「かしこまりました」
演技のようにも自然体にも見える爽やかな笑みを浮かべ、マスターはドリンクを作り始めた。
かしゃかしゃかしゃ……。
しゃりしゃりしゃり……。
液体を掻き混ぜる音、氷を砕く音、硝子と硝子が重なり合う音……。
心地のいいメロディーのような音が、今は不快に感じる。
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ……。
黒羊駱駝のお面の男はドリンクの作られる過程を楽しみながら、カウンターチェアを左右に回す。
マスターの揺れ動く背中からは一切の敵意を感じない。いつもと変わらない。癒しと安心と、少々の危うさ。
ぎぃ……。
カウンターチェアの回転音が止まった。
同時に、全身に緊張が走る。
背中に感じる冷たい視線。
「ここ、凄い綺麗」
どうやら、私に話しかけているらしい。
マスターの後ろ姿にちらっと視線を送る。
変わらず、ドリンクを作り続けている。
私は丸テーブルを拭く手を止め、黒羊駱駝のお面の男に身体ごと向けた。
「ありがとうございます」
可もなく、不可もなく、ただ、中立の立場を保っていられるような笑みを浮かべる。
「深海魚」
黒羊駱駝のお面の男が天井を見上げた。
「沢山いる」
私も同じように顔を上げる。
天井はガラス張りになっていて、青黒く光る照明に照らされ、様々な種類の深海魚が泳いでいるのが見える。
路地裏にあるバー、「深海魚」。
ここはまるで深海にいるような気分になれる、知る人ぞ知る路地裏バーだ。
「『湿気の魔女』って知ってる?」
突然の問いかけに、私は黒羊駱駝のお面の男の目を見たまま、一瞬固まってしまった。
あからさまに、知っている、ということを表情に出してしまった。
「知らないわけない。この街にいる限り」
黒羊駱駝のお面の男は私の顔をまっすぐ見ながら続けた。
「彼女達は魔法を使えない。なのに、魔女であることを誇りに思っている。『湿気の魔女』以外の魔女を許さない」
「え、えっと……」
まるで、責められているかのような感覚になった。
「魔法を使えない魔女。なんて中途半端な存在」
黒羊駱駝のお面の男は私から一切目を離さない。
「中途半端なら、壊すべき。どっち付かずなら壊してもいい」
それまで聞こえない振りをしていた外の音が嫌になる程店内に響いていた。
「だから、街の人々は壊してる。ここからでも聞こえる。魔女狩りの音」
無感情なのに、どこか楽しんでいるように感じる彼の声が冷たくて冷たくてしょうがなかった。
私は今、どんな顔をしているんだろう。きっとお客さんに向けるようなものではない。
爆発音、硝子の割れる音、悲鳴、泣き声、笑い声……。
暴徒と化した街の住人達による暴力の合唱。
「君は魔女?」
目を逸らすことが答えになってしまう状況になっていた。
鋭い視線に身体が微かに震えているのが分かる。
「聞いた。このバーは魔女を匿ってる」
マスターの背中に助けを求めることさえ出来ない。
殺意なんて感じないのに、今にも殺されてしまいそう。
叫び声、雄叫びのような声、爆発音、爆発音、爆発音……。
もう、限界だった。
黒羊駱駝のお面の男が首を傾けた。
「君は魔女?」
かこん。
硝子と何かが重なり合う音が地獄のような空気を破った。
「お待たせ致しました」
マスターが黒羊駱駝のお面の男の前に置いたのは、照明できらきらと光るロックグラスに入った真っ黒な液体。
「私のお勧めカクテル、『ヤコウ』でございます」
黒羊駱駝のお面の男はカウンターチェアを回し、再びマスターに身体を向けた。
不思議そうにカクテルを眺め、マスターを見る。
「ヤコウ?」
「はい。夜に光ると書いて、『夜光』」
マスターは人を魅了をする、いつもの妖しい笑みを浮かべた。
「不思議でしょう? 真っ黒なカクテルの中で輝く、荒々しくも、逞しいランプオブアイス」
黒羊駱駝のお面の男は両手をカウンターににつき、顔をロックグラスに近付けた。
「……夜光」
「今日みたいな夜に相応しいカクテルだと思うんです。暗くて、深い、呼吸なんてする余裕もない、悪魔のような夜」
マスターの声には人を癒す力があるように思う。どんなに最低で最悪な状況でも、一切乱れない。ベッドの上で天井を見上げながら聴く、真夏の夜風のよう。
「そんな闇夜の中でも、輝くものがある」
黒羊駱駝のお面の男はロックグラスを右手に持つと、お面を外さず、鼻に近付けた。
マスターがこちらを見て、微笑んだ。
恐怖で強張っていた身体から一気に力が抜けていく。
怖かった。怖かったんだ。私は怖かった。よく耐えた。よく耐えた私。
天井を泳ぐ深海魚が涙でぼやけた。
「がっかり」
一気に地獄へ堕とされるような一言だった。
黒羊駱駝のお面の男がマスターを下から睨んだ。
「がっかり」
心なしか外の喧騒がこちらに近付いてきているように感じる。
「僕をどうするつもり? 眠らせて、どうしようと?」
先程、私に話しかけていた時と同様、黒羊駱駝のお面の男はマスターから一切目を離さなかった。
失敗した。バレたんだ。カクテルに忍ばせておいた睡眠薬が。
外階段を激しく踏み鳴らす音。
マスターも穏やかな顔のまま、黒羊駱駝のお面の男から目を離さなかった。
「そちらこそ、どういうおつもりで?」
ドアを激しく叩く音。
手じゃない。固い何かで殴っている。
「壊しに来た、この街を。中途半端で、狂い切れないこの街を」
黒羊駱駝のお面の男は相変わらず、抑揚のない喋り方で続けた。
「この街を壊す。それだけ」
木製のドアが破られる音。
外からは怒号。
「この街の住人はあなたの所為で破壊を求め始めました」
マスターも一切声色を変えない。
「壊すこと。それが今、街の住人の求めていること」
「いたぞ! 魔女だ!」
金属バットや包丁、チェンソー……。様々な凶器を手にした男達が店内を荒らしながら入ってくる。
「そう、正解。今、街は破壊を求めている」
黒羊駱駝のお面の男はロックグラスを床に叩き付けた。
「君は?」
「嫌! 止めて!」
凶器を持った男達に腕や髪の毛を力いっぱい掴まれた。
「暴れるな!」
痛いと思う余裕もないぐらい、恐怖が身体を支配していた。
「そうですよね。この街の住人が求めているのは破壊……。つまり、街自体が破壊を求めている……」
マスターは困ったように溜め息を吐いた。
「お客様はご存知でしょう? 私は……私達7人は、この街の秩序を守っています。あまりに脆いこの街の求めるものが壊されないように。路地裏から監視し、手を差し伸べているのです」
「連れて行け!」
誰かが叫んだ。
「嫌! 止めて!」
笑い声と怒鳴り声と共に、強引に連れ去られていく。
「今まで湿度の高いこの街が求めていたのは、憂鬱でした。正気にも、狂気にもなれない、押し潰されそうな程の憂鬱」
マスターは昔話をするように、懐かしむような表情を浮かべた。
「でも、もし、次に街の住人全員の求めるものが破壊となるならば……私達は従わなければならない」
「マスター! マスター!」
いくら叫んでも、マスターはこちらを見なかった。
「マスター!!!」
「私達は見ているしかない。壊されていく街を。破壊という秩序を守る為に」
マスターは天井を見上げた。
「深海は、壊された」
「いいから来い!」
「殺してやる!」
男達の罵声を浴びせられながら、身体の半分以上が店から出された。
嫌だ。嫌だ。死にたくない。そんな、マスター! 秩序なんてどうでもいいでしょ? 何で無視するの? 仲間でしょ? 私、これからこの人達に……。
「ここで殺せ!」
鎌を持った男が叫んだ。
「うおぉっ!」と歓声が上がる。
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
店前の階段の踊り場で無理矢理跪かされた。
「魔女は全員殺せ!」
私の正面にいる男が金属バットを持った右手を振り上げた。
「湿気の魔女に、制裁を!」
「制裁を!」
熱気と狂気と殺意に呑み込まれていく。
もう駄目だ。
目を瞑る。身体が震える。
私はここで終わる。暗い暗い夜の中で。
せっかく、こんな街でも、生きてみようと思えたのに……。
「こーろーせ! こーろーせ! こーろーせ!」
頭の中がぐちゃぐちゃになって、もうわけが分からなくなっている。
「こーろーせ! こーろーせ! こーろーせ!」
苦しい。呼吸の仕方が分からない。苦しい。どうすれば……。
誰か……誰か……。
「……誰か……」
もう何でもいい。何でもいいから。
……どうか、お願い……私を……。
「助けて」
どかっ。
何かが激しく倒れるような音。
一瞬の静寂。
怒号と、再び倒れるような音。
恐る恐る目を開けて顔を上げると、よく知る後ろ姿。
細身なのに、頼り甲斐のある逞しい背中。
「1人でも憂鬱を求め、助けを叫ぶ者がいるのなら」
マスターがメリケンサックを嵌めた両手を身体の前で構えた。
「やはり、僕達は守らなければならない」
「何だお前っ……んぐっ……」
背後から私を押さえ付けていた力がなくなった。
何人もの呻き声と階段を転げ落ちる音。
「この子のこと魔女扱いしてたけど……馬鹿ね、私よ。お待たせ」
振り返る。そこには紫色のニットを着た色気漂う女がいた。唇に塗った紫色の口紅が、更に彼女を色っぽくさせている。
花屋であり、湿気の魔女の痙さんだ。
「こいつは害獣である」
1段、階段を降りたところに、病的な程に肌の白い男が立っていた。それとは対照的に目玉と歯が真っ黒な彼は、「害獣探偵」。
「この人がそう言うのなら……容赦なくやっちゃっていいわよね」
痙さんが微笑むと、害獣探偵の隣で四つん這いに座っている少女が牙を剥いた。両手に手甲鉤を嵌めた彼女は「狼少女」。
立ち上がり、害獣探偵と狼少女の後ろに目をやる。
階段の真ん中辺りには日本刀を構えた女子高生、「日本刀女子高生」が、1番下の段には灰色の防護服を着た「死体掃除屋」がこちらを見上げていた。
地面には先程まで店内で暴れていた男達が倒れたまま、動かなくなっていた。
「皆……」
明らかに男達より頭のおかしい人々に囲まれているのに、私は安心していた。
7人全員が揃ったのを確認すると、マスターは未だにカウンターチェアに座る黒羊駱駝のお面の男に目をやった。
「どうやら、この街に憂鬱を取り戻す時が来たらしい」
やれやれと言うように、演技がかった笑みを浮かべるマスター。
「ここまでは君の勝ちだね。深海は崩壊した」
黒羊駱駝のお面の男は座ったまま、黙ってマスターの話を聞いている。
「ここからだよ。闇夜に包まれた街の秩序を守る為に、僕達は立ち上がる」
暴動の音は止むどころか、更に激しくなっていく。
「だが、深海が壊れた今、深海を守る集団……『深海X』は名乗れない」
マスターは本当に残念そうな顔した。
「だから、あまりにも暗過ぎる今夜だけは、新しい存在としてこの街を守る。黒い夜を照らす、小さな光として」
身体の奥からぞわぞわとしたものが湧き立った。
不快じゃない。むしろ、気持ちいい。
「『夜光X』」
マスターの涙袋が妖しく浮かび上がった。
「今夜だけ僕達は、夜光Xとしてこの街の秩序を守る」
今までで1番大きい爆発音が街中に響いた。
「止められるなら止めてみろ」
黒羊駱駝のお面の男はそう言いた気な目で、私達を見回した。
「見せてあげるよ」
マスターが彼に背中を向けた。
「街がどうやって救われるのか。最善席で」
私達も彼に背を向け、階段を降りる。
街が燃えている。
火炎瓶が飛び、車が燃え、建物が崩れていく。
それでも私達7人は、どぶ臭い路地裏を進む。
黒羊駱駝のお面の男の視線を背後に感じながら。
いつの間にか恐怖は消え、室外機のファンの回転音に武者振るいしていた。
今度は私達の番だ。
湿度の高いこの街に、圧倒的な憂鬱を取り戻す。
あなたはただ、成り行きを見届けてればいい。
「夜光X、出動だ」
「格好付け過ぎよ」
待っててね。
全てが終わったら、次はあなたの元へ行く。
街の秩序を乱した罪は重い。
右手の中指に嵌めた指輪が、黒い夜を切り裂いた。
【登場した湿気の街の住人】
・正気な女子高生
・黒羊駱駝のお面の男
・路地裏バー、「深海魚」のマスター
・非悪魔
・花屋、「痙」の店主
・害獣探偵
・狼少女
・日本刀女子高生
・死体掃除屋