黒い夜を処理する者。
暗い廊下を進んでいく。
泥濘んだ土を踏む音が嫌に響く。
どの教室も真っ暗で、中から人の気配は感じない。
ここは元々中学校だった。
だいぶ前に廃校になり、それ以来解体もされずに「湿気の街」の住宅区域に放置されている。
2階へ続く階段を見つけた。
隣を歩くツインテールの少女に目をやる。
彼女も僕を見上げていた。
無言で頷き合い、階段を登っていく。
2階に着く。
1階とは違い、整備されているように見えた。
蜘蛛の巣もないし、泥濘んだ土も落ちてない。
1階と同じように廊下があり、左側に教室がある。
1番手前にある教室を覗いて、ぞっとした。
暗闇に10人以上の人影があった。
円を作っているように見える。
目を凝らす。
真っ暗な教室。円を作るようにして椅子が並べられていた。中央を向くようにして座る人々。
そしゃ、そしゃ、そしゃ……。
固めの何かを削るような音。水分を含んでいるようにも聞こえる。
円の中の1人の女が無言で立ち上がった。
ごろん、と彼女の足元に円形の物体が落ちた。
女は椅子を両手で掴むと、窓に近付いた。
突然だった。
女は奇声を上げて、持ち上げた椅子を窓に向かって投げ付けた。
がしゃん。
窓硝子が割れ、椅子が外に放り投げ出される。
がぐん、という落下音が外から聞こえた。
彼女が元いた場所には、食べかけの黒い林檎が転がっていた。
電気を点けていないから、そう見えたのではない。
その林檎は明らかに真っ黒だった。
ふと視線を感じ、窓の前にいる女を見た。
女は身体ごとこちらを向いていた。
彼女だけじゃない。
教室にいる全員が立ち上がって、こちらを見ていた。両手に椅子を持って。
「うえぇぇええおぉぉぉっ!」
その時、奥の教室からも男性の奇声が聞こえた。
まずい。
そう思った時には、2人して駆け出していた。
階段横にある職員室のドアをスライドさせ、中に入る。
本当は1階に降りて廃校を出るべきだったんだろうけど、本能が今すぐ隠れられる場所を求めていた。
真っ暗な職員室。
一切の明かりも、音も、許されないような張り詰めた静寂。
足音を立てぬよう、ゆっくり前へ進む。
1番奥にある革製の椅子が、後ろを向いていた。
背凭れ越しに見える、尖った黒色の、何か。
ぎ、ぎぎぎぃ……。
錆びたドアを開けるような音を立てて、革製の椅子がゆっくりこちらを向いた。
そこに座っていたのは、シルクハットを被った男だった。
誰だかはすぐに分かった。
林檎を崇拝するカルト宗教の教祖、「シルクハットの林檎屋」。
彼はモデルのように細い足を組んだまま、僕達を見上げた。
「いつからだろう。人が破壊衝動に駆られる姿を求めるようになったのは」
突然、シルクハットの林檎屋がドラマの冒頭シーンのように語り出した。
「今までは、人が狂気に呑まれる光景を見るのが好きだった。私達の聖なる果実を食べ、憂鬱で押し潰されそうだった街の住人が狂うことで快感を得るその瞬間。私は大好きだったのだ」
僕達は黙って聞いていた。
「人は自分を隠しながら生きる。命ある限り、永遠に。それは当たり前だよね。だって、隠しに隠されたそれはもうきっと、人じゃなくて、怪物だから」
窓の外や廊下から破壊音や奇声が飛び交っているのが嘘みたいに、職員室内は静寂に包まれていた。
「そんな理性に縛られた人々が狂う……いや違うな、その人の本性が見れるのだよ」
シルクハットの林檎屋が静かに微笑む。
「たった1個の林檎を食べることで」
「あの……あなた達ですよね? 街の人々に、真っ黒な林檎を配っていたのは」
僕が質問すると、シルクハットの林檎屋は無表情になった。
静寂が、怖い。
「街が黒い夜に包まれた」
シルクハットの林檎屋は窓の外を眺めながら言った。
「そうだ。黒い夜に包まれるようになってからだよ。人々が破壊衝動に駆られる姿を求めるようになったのは」
僕達もつられて、窓の外を見る。
黒い夜に支配された街。至るところから黒煙が上がっている。BGMは、阿鼻叫喚。
「飽きたのだよ、狂うだけじゃ。今度は、狂った人々が何かを壊す過程が見たくなったのだ」
「だから」
再び、彼の方を向いた。
「だから、黒い林檎を配るようになった?」
太い針を心臓に刺されたみたいに、呼吸がし辛くなった。
「貰ったのだ」
シルクハットの林檎屋は窓の外を見たまま、立ち上がった。
「黒羊駱駝のお面を被った男に。それはそれは純粋な破壊衝動の臭いがする男だった。『これを配れば、君の見たい世界が見られる』。そう言ったのだ」
爆発音と悲鳴が職員室に届く。
どこか退屈そうだったシルクハットの林檎屋の顔に、真っ黒な愉悦がてかてかと輝いていた。
「思い通りになった。黒い林檎を食べた人々が街を壊し始めた。見たかった。これが見たかったのだよ」
「……その後は? その後は、どうするんですか?」
珍しく、自分の放つ言葉に感情があった。
「街を壊して、その後はどうするんですか?」
「その後?」
シルクハットの林檎屋はこちらに視線を移すと、首を傾げた。まるで、本当に何も考えていないような表情。
「破壊に、その後なんてあるのかい?」
「……『催眠少女』」
僕の呼びかけに、ツインテールの少女が頷くのが気配で分かった。
催眠少女が1歩、右足を前へ踏み出そうとしたその瞬間、
ざっ、ざっ、ざっ、ざっ、ざっ……。
外から足音が聞こえてきた。
10人やそこらじゃない。100人以上いる。
シルクハットの林檎屋が窓に近付き、外を見た。
僕達も彼に続き、窓の外を見る。
校門の前に、大勢の人影があった。
よく見ると、1人1人、様々な武器や松明等の明かりを持っている。
その中に、ずっと待っていた人がいた。
僕だけじゃない。街の住人が、いや、街自体が待ち侘びていたその人が。
職員室のドアをがんがんと叩く音が響く。
「行ってきなさい」
シルクハットの林檎屋の声に、視界の隅で何かが動いた。
振り返る。
革製の椅子の両側に、男女が1人ずつ立っているのに気が付いた。
にやにやと不気味な笑みを浮かべる少年と、トレンチナイフを持ったショートヘアーの少女がシルクハットの林檎屋の両隣へと向かう。
ばりっ、ばりっ、ばりっ!
硝子の破片と共に、何脚もの椅子が上の階から地面に落ちていった。
「時が来た。真の破壊が始まるのだよ。『林檎教』信者を連れて、校庭へ」
トレンチナイフの少女と不気味な笑みの少年はドアに向かっていった。
「ようこそ、悪夢へ」
不気味な笑みの少年がすれ違いざまそうに言った。
「私達は、屋上へ行こうか」
シルクハットの林檎屋が、心から楽しそうな笑みをこちらに向けた。
「見届けるのだよ。君達の見たかった、破壊の行く先とやらを」
僕はもう1度、窓の外を見た。
待ち侘びた人と、目が合った気がした。
僕達は街に蔓延る狂気を処理する仕事をしている。現実世界に漂う悪夢を食べる。
そう、「狂気処理屋」。
この黒い夜も、いつものように対処出来ると思っていた。
黒い夜を処理する者は僕等だと。
でも、違ったみたいだ。
やっぱり、これを被っていいのは僕じゃない。
被っていた濃紺色のペストマスクを取った。
ラブホ区域で拾った、湿気の街を救う者の証。
代わりに、パーカーのポケットにしまっていた獏のお面を取り出し、ゆっくりと被る。
僕には、こっちの方が合ってるみたいだ。
シルクハットの林檎屋を見上げ、挑発的に首を傾けた。
「見届けましょうか。救世主の再来を」
【登場した湿気の街の住人】
・獏のお面の男
・催眠少女
・「林檎教」信者達
・シルクハットの林檎屋
・ペストマスクの男
・アングラ嗜好少年
・トレンチナイフの少女(ショートヘアーの少女)
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