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黒羊駱駝の悪魔。

 ぶひふぅ、ぶひふぅ。
 豚の鳴き声で目を覚ました。


 辺りを見回す。
 縦長の広い空間。錆びた柱が建物の両側に並んで建っている。柱と柱の間には巨大な円柱型のタンクが1つずつ置かれている。鼻いっぱいに埃の臭い。それと、腐敗臭のような……。


 俺がいるのは、廃工場だった。
 湿気の高いこの街にある廃工場区域。その中にある1つだろう。


 外は真っ暗で、ところどころ穴の空いた天井からは濃紺色に染まった雲が覗いている。


 夜なのに自分の居場所が分かったのは、建物内を照らす妖しい光のお陰だ。
 至るところに電飾看板が置かれている。スナックや居酒屋等、よく店の前に置かれているあれ。紫色やピンク色、水色……と、廃工場には似付かわしくない色の光を放っている。


 また、全てのタンクの正面上部には赤提灯が取り付けられており、居酒屋街にいるような不思議な気分になった。


 俺は廃工場のど真ん中で、椅子に拘束されていた。


 ぶひふぅ、ぶひふぅ。
 辺りを歩く、何匹もの黒豚。20匹はいる。腐敗臭のような悪臭の原因はこいつ等だ。間違いない。


 ずじじっ、ずじじっ……。
 背後から何かを引き摺るような音。重たくて、硬い、何か。


 目の前に現れたのは、黒羊駱駝のお面を被った男だった。
 黒色のパーカーを着て、フードを被っている。大きめな真っ黒のビニール袋の口辺りを両手で掴み、左肩に乗せている。
 大きく膨らんだ袋の中身は、何だ。


 黒羊駱駝のお面の男は無言でビニール袋を地面に置いた。
 どすん、という重量のある音が響く。


 ぶひふぅ、ぶひふぅ。
 その音に引き寄せられてか、その場にいる全ての黒豚が黒羊駱駝のお面の男の前に集まった。


「し、ん、る、べ、い」
 黒羊駱駝のお面の男が集まった黒豚に言った。低くもなく、高くもない、それでいて耳に心地よく響く声だった。


 すると、黒豚の集団が動き始めた。4匹ずつで小さく集まり、計5班が横並びになった。


「1番右の班から、しーちゃん、つーちゃん、どーちゃん、ぶーちゃん」
 突然、黒羊駱駝のお面の男が1匹ずつ黒豚を指差しながら語り始めた。彼の顔は黒豚の方を向いているが、きっと俺に言っているのだろう。
「隣の班に、んーちゃん、がーちゃん、くーちゃん、まーちゃん、次の班に、るーちゃん。はーちゃん、すーちゃん、けーちゃん、その次の班に、べーちゃん、じーちゃん、やーちゃん、なーちゃん、最後の班に、いーちゃん、かーちゃん、らーちゃん、ねーちゃん」


「それぞれ、班毎に好みの部位があって」
 黒羊駱駝のお面の男はビニール袋の中に右手を突っ込んだ。


「1番右側のしーちゃん達が右腕」
 たん、という音と共に綺麗に切断された細身の右腕が地面に落とされた。


 ぶひふぅっー、ぶひふぅっー。
 右端の4匹の黒豚が鼻息を荒くして、ビニール袋から取り出された右腕に群がった。


 んむにぃ、んむにゅ、んんにょ。
 4匹の黒豚が競い合うかのように右腕の肉を貪り食う。


「んーちゃん達が左腕、るーちゃん達が右脚、べーちゃん達が左脚」
 たん、たん、たん。
 それぞれの班の好みの部位が彼等の前に投げられていく。それを一心不乱に食べる黒豚。


「で、最後に、いーちゃん達が、首」
 がこん。
 鈍い音を立てて、男の首が地面に転がった。顔の左側を下にして、濁った瞳でこちらを見ている。苦痛に歪んだ表情で死後硬直を迎えていた。


 知っている、この男。俺が殺そうとした奴。女子高生だけを狙う連続通り魔で、深夜に徘徊する彼女達の太腿をカッターで切り付ける悪。思い出した。彼にバールで制裁を加えようとしたら、背後から……。


 ばぎ、ばり、ばりゅ、がきょ、ぬちっ。
 最後の班の黒豚が男の首に群がる。頭蓋骨を割り、脳味噌を吸い、目玉を潰し、口の中に舌を突っ込む。


「う、うえぇ……うぇ……」
 吐き気を催す光景だった。黒豚が死体を食べる。通りで彼等から腐敗臭がしたわけだ。


 黒羊駱駝のお面の男と目が合った。
 こちらを見ている。じっと。何かを求めるかのように。


「……何だ」
 そう尋ねると、黒羊駱駝のお面の男が再び、ビニール袋に右手を入れた。彼が最後に取り出したのは、胴体だった。
 重そうに両手で抱え、俺の前に来た。


「ペストマスクちゃんには、これ」
 べちん。
 胴体が椅子に拘束された俺の前に落とされた。
「食べな、ぺーちゃん」
 食べる気なんて起きないし、そもそも拘束されていて無理だ。


 そんなこと気にならないのか、黒羊駱駝のお面の男は語り始めた。
「ペーちゃんが殺そうとした。ペーちゃんも食べるべき。ペーちゃんには破壊する素質がある。僕はこの街を壊したい。ペーちゃんもこの街を壊したくてしょうがない」


 何を言っている。そんなわけがない。この街にいる乾いた悪を罰することが俺の使命だ。俺が被っているこの紫色のペストマスクが、湿った制裁者である証だ。


 黙っていると、黒羊駱駝のお面の男が右手に持っている何かのボタンを押した。
 すると、俺の正面に置かれたブラウン管テレビから男の絶叫が聞こえた。


 画面に映し出されたのは、血塗れの男だった。涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだ。唸り声のような音。絶叫。


 黒羊駱駝のお面の男がチェンソーで男の右脚を切断していた。
 ゔぃぃぃいいいいぃぃぃいいぃぃいいぃっ!
『ゔがあああぁぁあぁ、んあがぁぁぁっ!』


「僕が壊しといた」
 テレビの隣で、黒羊駱駝のお面の男が満足そうに言った。
「ペーちゃんが壊したそうにしてた。僕も同じだよってペーちゃんに伝えたかった。僕もペーちゃんと同じ、破壊者」


『んぎぃぃぃぃいいぃぃっ、んががががっ!』
 テレビの中で連続通り魔の四肢が1本1本減っていく。
 連続通り魔の絶叫、黒豚の鳴き声、黒羊駱駝のお面の男の楽しそうな笑い声……。
 圧倒的な悪を前に、脳が黒く染め上げられていく。


「……俺は、違う……俺は……」
「同じ」
 黒羊駱駝のお面の男の周りに黒豚が集まり始めた。
『んんんっ、んぎぃ、んはぁあぁ、あぁ……』
力がなくなっていく彼の声をおかずに、黒豚は連続通り魔の胴体を美味しいに食らう。


「理由なんて関係ない。壊してる。僕も、ペーちゃんも」
 ばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅばりゅ。
 咀嚼音が、耳を侵す。


「……悪魔だ」
 思わず、そう呟いていた。
 湿度の高いこの街にもいたんだ、本物の悪魔が。


「何度も言わせないで」
 黒羊駱駝のお面の男は近くにいる黒豚を足で退かし、胴体をフォークで突き刺して、一部分をナイフで切り取った。


「ペーちゃんも」
 フォークに刺さった死肉をこちらに向け、近付いてくる。


「止めろ」
 黒羊駱駝のお面の男が俺の被っているペストマスクにそっと手を置いた。


 視界が開け、呼吸がし易くなる。


「僕達は、悪魔」
 黒羊駱駝の悪魔が囁き、口の中に黒い夜が広がった。



【登場した湿気の街の住人】

・ペストマスクの男
・黒豚
・黒羊駱駝のお面の男
・炭酸カッター

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