![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/20118751/rectangle_large_type_2_439145e65b7b745cacf7df1578be8ac6.jpeg?width=1200)
【小説感想】 将来有望
中高生以下を対象に『小説の書きかた私論』の無償プレゼントを告知しまして、数人の方にお送りしました。
感想などもいただけて有り難いことです。
特に気になったのは矢原こはるさん。
さっそくご紹介いただきました。noteをプレゼントしてからDMで読了報告をいただくまでだいぶ早かったので驚きましたが、特技が「速読」とのことで納得。私は決して読むのが速いほうではないので、羨ましい限りです。インプットが速ければそれだけアウトプットの量も増やせるわけで、創作においては大きなアドバンテージだと思います。
素地ができているから、小説もしっかりしていると思います。
まず書き出しがいい。高校生でこれだけの感情の機微を描けるものなんですね。ヒモを囲う女性の気持ちは、私みたいな既婚のおっさんには判りかねますが、ああ、なんとなくこういう男のさりげない心配りが憎めなくてズルズル関係を続けているんだろうなぁと想像がつき、妙に納得させられてしまいます。こういう描写は、自分が高校生の頃には絶対に書けなかっただろうなぁと悔しさ半分に思いました。
もちろん、この書き出しは結末に対応しているという意味でも面白いです。
そしてモチーフの配置の巧さ。
最初のシークエンスで「私」とコウキが飲んでいたのはホットコーヒーでしたが、次のシークエンスで「私」とハルミはアイスコーヒーを飲んでいます。これは、おそらく「私」の感情の浮き沈みと無関係ではないのでしょう。ホットコーヒーは「ふーふー」冷ましながら温かく落ち着いた感じになりますが、アイスコーヒーは氷が「カランカラン」と鳴ることで、「私」の心の動揺や沈んだ感じを表現することに成功していると思われます。ひらがなは優しい感じがしますが、カタカナは鋭くささくれだった印象も与えます。
コーヒーを飲んだあとの伝票の扱いかたにも気が配られていて、コウキ相手には「私」が当然のように支払いますが、ハルミとの間柄では、ハルミのほうが自分勝手に店員を呼ぶ。こういう何気ない描写からも、関係性が見えてきます。
これらコーヒーの微妙な違いが、タイトルにある通り「クロの違い」のひとつですが、もうひとつ、重要な黒いモチーフがあります。それが黒猫です。
この猫に「私」は、ヒモとして「飼っている」コウキを重ねて見て、
そろそろ野に返さないとダメかなあ、ウチのヒモも。
と思いつつも、飼い主がペットに向かって優しく言い聞かせるように、
「盗みだけはしちゃダメだからね。迷惑かかるんだから。」
と声をかける。
ここで読者はある程度、引っかかりを覚えることと思います。この引っかかりが、続きを読みたいと思う原動力になります。実際これが最後のシークエンスの種明かし部分の伏線として上手く機能していて、なるほどそういうことだったのか、となる。思えば、まだ若い女性がひとりの稼ぎだけで男を囲えるのも稀といえば稀だし、「副業」のほうがかなり儲かっているというのも珍しいことかもしれません。しっかり意図を持って結末に意外性を出そうとしていることが判ります。
さて、この猫が暗喩するのは善悪の「白と黒」です。人間の目に動物は倫理観などないように映り、猫は悪びれもせずに盗みを働くように見えます。この猫の悪気のなさ、ある意味では野性的な無邪気さを、「私」はコウキの得体の知れなさや、あるいは罪の意識が希薄な「私」自身に重ねて見ているのかもしれない。そのうえで、猫に人間の倫理観など理解できるはずもないのに、あんたはこっち側に来てはダメだよ、と忠告する。
人間が愛玩動物に向ける目というのは、どこか矛盾していますよね。自分が猫より上から目線に立ちつつ、さも猫が人間の倫理観を理解できるかのような仮想のもとで話す。この矛盾は人間のエゴでもあり、身勝手な自己投影なのかもしれません。
しかし人間の思惑など知らぬげに、猫はあっさり盗んできた魚を差し出す。その悪気のなさ、野性的な無邪気さ、もっといえば「生まれついての悪」を、猫の身体の「黒」に見出しているのかもしれません。
だから最後に、まったく気が咎める素振りもなく、いつもと同じようにコーヒーを二種類持ってくるコウキのあっけらかんとした振る舞いに「私」は笑ってしまう。猫と同じようなのがここにもいた、私に飼われている憎めないペットのような……というわけです。
編集者の観点から今後への期待を込めて、小説の瑕疵のほうに目を向けると、まだまだ高校生ですから、改善の余地はあると思います。
誤字脱字の修正は言わずもがな。短編なので、二度三度と読み返してからの投稿をおすすめします。
パッと目についたものを挙げると、
2度見→二度見
1人→一人
胸を通る寂しさと悲しさを無視して、私口を開いた。→胸を通る寂しさと悲しさを無視して、私は口を開いた。
追っ手のこないことミラーでを確認して、→追っ手のこないことをミラーで確認して、
10回目→十回目
私は恐る恐る音のした助っ席側の窓を覗いた。→私は恐る恐る音のした助手席側の窓を覗いた。
といったところでしょうか。
算用数字は、横書きの小説であれば一概に誤りとはいえないかもしれませんが、書籍になった場合には縦書きが前提の小説においては、やはり漢数字のほうがよいと思います。少なくとも「二度見」や「一人」など、それ自体で一連の単語を形成するような語においては、算用数字交じりの書きかたには違和感を覚えます。もちろん書き手個人の好みもあるでしょうから強要するのも出過ぎたことかもしれませんが、いずれプロになったとしたら、編集者から鉛筆が入る部分だと思われます。
そして、最大の「誤字」がもうひとつ。
一人称「私」で書いていると、呼びかけられることでしか出てこない「私」の名前は忘れがちになってしまいますが、おそらく「マキ」さんと思われる「私」の名前が、一箇所、
「ハルミさんはともかく、なんでマリさんまで。」
と呼ばれています。
登場人物名の誤字は、小説としてかなりの瑕疵となってしまいます。その場に別人がいることを想像させてしまったりと、読み手を惑わせてしまいかねないからです。
ディテールから大枠に目を向けると、この小説は大きく分けて三つのシークエンスに分かれると思われます。もちろん段落分けでシークエンスは分けられてはいますが、一行アキの多用されているこの文体では、他との差別化が不充分なようにも思います。しかも、シークエンスの始まりがセリフとなっているので、余計に場面転換が判りづらい。
「マキ、あんたはいい感じの人いないの?」
「ハルミは今日、来れないって。」
この二箇所の前に、明確に区切りを表わすなにか、たとえば三行ドリの中央二行目に、
☆
とか、
※
といった記号をひとつ挟むだけでもだいぶ読み味が変わると思います。試してみてください。短編なので節数字を付すほどでもありませんし。記号の使用には書き手の好みもあるでしょうから一概には強要できませんが、なんらかの形で読みやすくする工夫はやはり必要です。
以上、久しぶりに辛口っぽいレビューになってしまいましたが、これも作者への期待ゆえです。サポート欄に「将来有望な高校生です」とあるから、将来有望な高校生なのでしょう。書けば書くほど伸びる、大きな可能性を秘めた年代だと思います。頑張ってください。
いいなと思ったら応援しよう!
![読む人](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9739357/profile_756bb5910b39f19d7a68a42fa849fc18.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)