#5【ちなつ、ちょっと付き合ってくれへんか】

祖母が家に来る準備をしていた頃、
電車で1時間の距離に祖母は住んでいた。
 
 
ある時、いつものように電話をしていたら
「ちなつ、ちょっと付き合ってくれへんか、
いつが休みや?」
 
「え、どないしたん?」
 
「スマホってあるやろ?おばあちゃんそれが欲しくてなぁ!
あと3ヶ月、連絡したい人がいっぱいおるんや、
スマホやったらLINEがあるやろ?
電話もいっぱいできるって聞いたで!」
 
 
その少し前、私はアルバイトの1つとして
いわゆるキャンペーンガールをしていた。
 
 
家電量販店に派遣されて、
ミニスカート履いて、ケータイを売る仕事だ。
 
 
当時の携帯市場については詳しかったし
スマホの機種についてもかなり調べていた。
 
 
「わかった!次の土日に泊りに行くわ!」
 
 
もちろん、快諾した。
バイトは休んだ。
 
 
うちのおばあちゃんは、新しいものが好きだ。
 
 
というより、人の5、6倍は
好奇心が強い。
 
 
しっかりその好奇心を受け継いだのが私だから
祖母も可愛がってくれたのだと思う。
 
 
そういうところが、大好きだった。
 
 
「もう、ええ歳やから」
とは、一言も聞いたことがない。
 
 
若い頃は、苦労をしたらしい。
戦時中、連れ子として育てられ、
大阪に住んでいた祖母一家は
空襲警報が鳴るたびに
下の弟妹におにぎりを持たせ、
家のことを全て済ませ、
自分が一番最後に逃げたと
いつも聞かされていた。
 
 
女の連れ子のため、中学の時に中退させられ
そこからは家のために働いていたそう。
 
 
ひょんなことから亡くなった祖父に会い
「そこからやで、おばあちゃんが
こんな性格になったんわ」
 
 
と、よく話してくれていた。
 
 
祖母曰く、祖父に”拾われて”から、
自分の人生を生きていいと思えるようになり
抑え込んでいた好奇心を爆発させるようになったと。
 
 
「そりゃ、おじいちゃんはモテたから
文句もあったけど
おじいちゃんのことは大好きやで」
 
 
そう聞かされて育った。
 
 
幼いながら
素敵な2人だと、いつも思っていた。
 
 
そんな、祖父は
私が小学低学年の頃に
何の前触れもなく亡くなった。
 
 
誰も、何もできなかった。
 
 
何もできないどころか、いつも
「おじいちゃん、怖い」
といって、避けていたのだ。
 
 
だから、祖母を家に迎える準備をしながら
私は決心した。
 
 
「どれほど辛かろうと、
おばあちゃんをちゃんと見届けよう」
 
 
おばあちゃんがうちんちに
療養に来ることは、チャンスだ。
 
 
私が、後悔しないためのチャンス。
 
 
大好きなおばあちゃんを
独り占めして
誰よりも濃い時間を過ごすためのチャンス。
 
 
 
 
2月になっていた。
大学の試験週間も終わり、
私は大学に休学届けを出した。
 
 
留学は、秋に延期した。
 
 
2月から、秋まで。
  
 
おばあちゃんを看取るためだけに
贅沢に時間を作った。

むしろ、それぐらいの間
長生きして欲しい気持ちもあって
留学を延期した、という気持ちもある。
 
 
ちょうど、誕生日が来て
ハタチになった頃のことだった。
 
 
冷たい風が、私の決意をより強くした気がした。

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