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創作こそが祈り


このエッセイには「神」に対する言及がたびたび登場します。
無論ここに既存の宗教を否定する意図は一切ありません。
敢えて誤解の多そうな言葉で表現するなら、
これから書くであろう考え方が僕にとっての「宗教」であり、
誰かの宗教に対して排他的になればそこに悲劇が起こることは歴史が証明しているので、
どうか怒らないでください。

さて。
ふと思い立ってトールキンのドワーフについて調べていたときのこと。

指輪物語で知られるあの世界では、エルフと人間と言う種族はイルーヴァタールと言う唯一神から生まれたらしいのだが、それに対しドワーフと言う種族は、天使アウレが独断で創造したらしい。
そのことをイルーヴァタールに見咎められた際のアウレの言葉が、
僕が、

「創作こそが祈りである」

と信じるに至った物の見方といくらか重なるところがあって、
なんだか1人で感動してしまったから、そのことを書こうと思う。

以下、中つ国wikiの「アウレ」の記事より引用。
『しかし、ものを創るということは、わたくしの気持としましては、わたくし自身があなたによって創られたことから出ているのでございます。父親のなすことを真似て遊ぶ、分別もゆかぬ子供は、悪ふざけで真似ているのではなく、父の息子だからそうするのでございます。』

僕は、ラブクラフトとクトゥルフ神話に夢中になった経験から多分に影響を受けて、
「本当の神はそもそも人間の思考や認識の次元を遥かに超越しており
理解しようなどと言うのが、そもそもおこがましいことなのだ」
的なことを思っている。
夏目漱石の小説のページの上を歩いている蟻が、どれだけページを渡り歩いたとしても夏目漱石の人となりを考えることも想像することもできないように、
人間と言うのも、人間であり続ける限り、神を理解することは不可能なのだ。

(書こうとしている本筋からは逸れるけれど、裏を返せば、そのようなレベルで理解不能な高次元の存在こそが「神」である、と言う捉え方もできますね)

ただ、いきなり矛盾するようだけれど、
それでも唯一、人間であるからこそ理解できる神に関することがひとつだけある。
それは、神が創造性を持っていると言うこと。
なぜなら、世界が現に存在しているから。
神が創造性を持っていなければ世界は存在しないはず。
創造性とは何かを創り出す能力のことで、その結果がこの世界なのだ。

この考え方は
「この世界が単なる分子のランダムな配列の産物でない」
と信じるだけで十分現実的なものになると思ってる。

そして、人間にもまた創造性がある。
一から十まで理解不能なはずだった神と人間の間に、共通点があったのだ。故に、人間の持っている属性の中で創造性こそが最も尊いものであると僕は信じている。
アウレの言葉の意味を借りるなら、
「創作とは、我々自身が神によって創られたことに由来する」のだから。

そして、
「神のなすことを真似て創作をする我々は、決して悪ふざけで真似をしているのではなく、神の子だからそうする」と言うのは、自分のアイデンティティを決定づける信仰そのものだし、創作をすることでのみ、我々は理解不能な神について思いをはせたりすることができる。

故に創作は祈りなのだ、と僕は思います。



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