見出し画像

続けて落とし物をして絶望したら、力技スピリチュアルでポジティブに

こんばんは。しそゆかりです。

昨年末の雪が降り積もった日、車のキーを雪の中に落としました。

そして昨日、夜道でイヤリングを落としました。(わたしのアイデンティティである揺れる漆イヤリング)

落とした時は積んだと思いましたが、どうにか2つとも無事手元に戻ってきました。

車のキーは数日後の雪解けとともに、イヤリングは翌日の陽の光を浴びて無事に発見されました。

自称「落とし物なんて、そうそうしませんよ(笑)」の人間なので、無くなったと気づいた瞬間は慌てふためいて我を忘れそうになりました。
車のキーを無くした時は雪が吹き荒ぶ中で呆然と立ち尽くし、イヤリングを無くした時は本当に耳たぶに引っ掛かっていないか千切れんばかりに確かめました。ちなみに焦りを通り越すと不甲斐ない自分への怒りになり、最後は無になりました。絶望してるけど妙に冷静。

幸いにして友人の励ましや協力のもと、無事に見つかったわけですが、こんな大事なものたちを続けざまに落とすなんて。そんな人間(自己認識)じゃないのに、これはどういうことか。
これは何か、落とした意味付けをせねばなるまい。と思ったのです。

「落とし物 続く スピリチュアル」

なんて直球な検索ワード。良い意味づけをしてもらおうという必死さが丸見えです。そして期待にたがわず、Googleさんが良い感じのスピリチュアルなメッセージを教えてくれるのです。

どうやらわたしは、人生の大きな転換点を迎えているらしい。
日常的に落とし物が多い人は日々転換点を迎えてるわけ?と斜に構えた思考が一瞬頭の中に生まれますが、今日はお引き取りいただくことにしましょう。

人生の大きな転換点を迎えている。何かそういう”気”の流れがあって、なんやかんやでそれが変わっている。だから、いつもはしない、落とし物をする。そうです。この続けての大きな落し物は必然なのです。決してわたしがぼさっと・漫然と歩いていたからではありません。

リフレーミングと言うにはお粗末すぎる、と頭の中から声がしますが、たまにはこういう力技ポジティブも役に立ちます。

・・・さて、車のキーにはちょっと大き目のキーホルダーをつけておこうかな。

いいなと思ったら応援しよう!