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【メモ】私はどうしてタトゥーを入れるのか

突然ですが、タトゥーが好きです。
これまでもワンポイントのデザインをいくつか入れていましたが、先月末から上半身全体を使ったデザインを彫ってもらっています。

これを機に「どうしてタトゥーを入れるのか」について言語化しておきたいなと思ったのですが、上手くまとまらないためメモ書きを残します。

(今後うっかりタトゥーがチラ見えしてしまい怖い思いをさせてしまう方がいたらそれは大変申し訳なく、
せめてものお詫びにタトゥーに対する自分の思いをここに記しておきたい、という思いもあります)

▼私とタトゥー

初めて入れたのは19歳の時。思い立ったタイミングで増えていき、胸や脇、手首や足などに入れています。

好きなモチーフは自然や普遍的なもの。
自分でも彫ってみたいと思い、彫り師の知人に教えてもらいながら勉強中です。

▼どうしてタトゥーを入れるのか(メモ)

①死の練習をしている

仏教が好きで、特に初期仏教や禅宗の思想に魅力を感じています。
とある禅宗の僧侶の方が「坐禅は死の練習ともいえる」と言っていて、坐禅を通して仏教を実践する=自己を忘れる・手放すんだよ、というように受け取りました。

坐禅も面白いけど、タトゥーも「死の練習」かもしれないと思ったりします。
体を傷つける。傷が治る。色がつく。体を死に近づけること。終わりを迎えにいく感覚。穏やかに一歩ずつ、死を練習しているような感覚があります。
衝動的に自死するよりは気長にタトゥー彫りたい。

②自分を好きになりたいし、アートを大事にしたい

自分を好きになりたい。自分を大切にしたい。
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タトゥーを入れた自分の体は、自分にとっては"体"だけど、彫ってくれたタトゥーアーティストにとっては"作品"でもある。その作品を大事したい。
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タトゥーアーティストの方とは、事前に念入りに話し合います。
「自分のアート作品を制作している」という思いで仕事をしてくれる方だととても有難いです。
プロのお仕事を間近で見られるのも面白かったりします。施術中はガン見しています。

③文化への帰属欲求

何者かになりたい感覚もあるのかもしれない。身体をカスタマイズしたい。植物や野生動物や八百万の神にだってなりたい。
人間として、民族として、儀式としてのタトゥー。想像もつかない大昔から伝わるタトゥーという文化の一部になりたい。

④手っ取り早い克服体験

タトゥーは体に傷を作り、そこにインクを入れることで完成します。完成までは痛いし痒いですが、そこを乗り越えると体に色が入った状態になります。

かっこよく表現すると「死と再生の儀式」みたいな感じかもしれないけれど、日常っぽく表現すると「手っ取り早い克服体験」なのかもしれないとも思います。

傷が治って別の何かになること、マイナスがプラスになること、辛い出来事が幸せに繋がること、自分がうっすらと望んでいる「しんどい思いをした分、報われたい」というようなドラマチックな克服体験がタトゥーにはあるのかもしれない。と書くとものすごくシニカルな感じで嫌だな。ああ言葉で表すのって難しい。
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10代の頃、猛烈にリストカットをしていました。ダメな自分を罰するかのように、鞭や指揮棒を振るようなテンションで剃刀を腕に振っていた。
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その時どんなことを考えていたかというと「ざまあみろ、お前のような出来損ないにはこんな傷がつくんだぞ!ほらみたことか!」みたいな、今考えると全く道理が通っていないことばかりだったけれど、傷の回復過程を自分の目で見て体験することで「ダメな自分が矯正される/浄化される」的な気持ちになり、それが気持ちよかった。その考え方は正直どうかと思う。そんなの悲しすぎる。
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自分にとってタトゥーと自傷行為は明確に違う。全く違う。ただ「傷」と「体験」というワードで括ると、近い場所にはあるのかもしれないとも思います。


野暮なメモ
・うちの親はこんなことでは泣かない
・後悔したことはない
・後悔したとしてもそれもまた人生なので全然よい
・銭湯も温泉も好きじゃない
・将来子どもを育てる予定はない
・「海外ではタトゥー全然自由だよね」とか思ってない
・隠すべき時には隠します

写真
ハンドポークタトゥーで「現象」と彫ってもらったもの。
好きな言葉なのでとてもお気に入り!

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