対・双極薬とQOL

現在48歳、言語性120の運動苦手(動作性100)、発達障害当事者(ASD>>ADHD)二次障害の「双極性障害」が酷い。大腸がんサバイバ(切除済、再発なしだが後遺症で普段は寝たきり)。現・在宅ワーカー。元SE。

簡単な自己紹介

はじめに

7月いっぱいは、自分の躁状態に苦しめられ、もっぱら賭博依存でかなり浪費した。障害者である私は収入が少ないんで、貯蓄ってすごく大変なんだが、せっかく貯めた半年分くらいのお小遣いを1ヶ月で失ったので堪えている。

他にも、衝動性から対人関係でいろいろ「やらかす」のがしんどくなり、主治医に相談したら、今回は強めに「落ち着ける薬を飲みなよ」と言われた。ちょうど通院から一週間、服薬した感想など書きながら自分の考えをまとめたい。

躁状態のほうがまし

まず、私個人としては副題どおり、躁状態を好む傾向を否めない。別記事に同じことを書いているが、躁状態はある意味「何をしても興奮している」ので気分が良いからだ。ただ、基本的には浪費、人間関係の破壊、性的逸脱その他、検索してもらうと分かるが自他にダメージが大きいので危険な病である。

私は隔週で通院しており、7月の「渦中」にも通院し、主治医に「自分はかなりオカシクなっている」とは伝えている。比較的、病識(自分がおかしいという自覚)は強く、人に迷惑したくもないのでなるべく客観的意見を求めるよう注意してる。

そこで「先生から見て要入院なら言ってください」と何度も念押しすると「強制するほどじゃないが、落ち着くために少し入ってもいいかも」とは言われていた。そこには従えなかった。今となったら従ったほうが浪費しなかったかも。ただ入院は、経験上、ひどく退屈だから嫌だ。

次に、服薬。こちらも、やんわり勧められてはいて、自分は「家に前回の残りがあるはずなんで飲んでおきます」と雑に答えた。しかしどうも勘違いで、薬がなかった。ので前回通院以降、結果的に飲まず。時系列だと7月中旬から躁状態のまま。

月が開けて8月の先週に、強めに服薬を勧められ、処方してもらったので飲むことができた。長い通院生活で気付いたが、私は基本、医師の話にほとんど従わない。「それ」は、つまり病状が悪いということだった。

人や状況によるが、たぶんたいていの精神科医は、都度、よかれと思ってそれなりに患者に最適なアドバイスや投薬指導をする。患者も「言ってることは正しいが、それができたら苦労してないんすよ」という感想が殆どだ。(例、無理せず寝ておけ、しんどいなら休め、薬も適度に飲む、等)

今回、私は躁状態について1ヶ月、もっぱらパチンコ依存によって「金銭を失ったが、遊び倒したという意味では刺激的すぎた」ので、考えてみたらそこそこ充実していた。また、他者とトラブったけれど、べつに失業してないし、お詫びして許してもらったり、致命的ダメージはない。犯罪にも至っていない。

病気や障害の自分を「大目に見てやる」ということ

今回、躁状態にあっても、わりと色んな方の意見を伺うことができ、その中でちょっと自己受容が進んだり「納得した」面もある。

まず、少し前の記事に書いたのだが、私はどうやら「双極でよかった」と思える点も見出した。このことはわりと大きなことだ。というのは、私はかつてプロの音楽家を目指したロックミュージシャンであり、「ロックというものは、そもそもイカレてないとできない」という極論に達したからだ。

同じ内容を掘り下げると長くなるので今回は割愛。少しだけ別の視点で言い換えてみる。

いろんな方に相談し、自分でも「合点がいった」ことがある。今回、確かに半年分の貯蓄を浪費し、自分の計画どおりに行かず、健康も金銭も失った。しかし、よくよく考えてみたら、借金して破産したわけではない。自分が真面目にコツコツと働いて、障害者にしては頑張って貯めたなけなしのお金の大半を使っただけだ。

これが、盗んだとか、借りて踏み倒したなら不味いが(同じ双極持ちの友人はそういったことが過去にあるが、あまり責める気にもなれない)今回の私は法的範囲内で、ほとんど自分にしか迷惑をかけていない。

たまたま対象が賭博だっただけで「趣味のためにお金を貯めてそれを使う」というのは、誰しもしているだろうし、そこそこ当たり前かもしれないことだ。音楽家の仲間は楽器や機材を買ったりしてるし、ある人は旅行、酒飲みなら飲み歩き。家庭があれば家族を養うとか。私は独身で、自分にまつわることも自分で収めている。

当事者でない方々からみたら、賭博依存者などゴミ野郎に見えるかもしれないが、じゃあそういった方々が、働いて社会にものすごく有益なこと「ばかり」しているかといえば、(良くも悪くも)よほど意識高い方やボランティアとかでもなければ、皆さんだってたぶん基本「自分を楽しませるために」生きているはずだ。

※ 誤解を与えずに書くのが下手で恐縮だが、病気でない私本来の中身は、むしろストイックで利他的な性分である。反動で躁状態だと異常に利己的になる。

ので、たしかに私は当面「自分だけの欲求を満たすために遊びまくった」が、それは半年分、生真面目に働いていた反動だし、自分のためにそうしたので、よーく考えたら「みんなそういうものではないのか」という感じなのだ。

繰り返し、誤解を与えたくないが、私は本来「自罰的」なので、たぶん一般の方がわれわれ自罰傾向者よりそう思わない程度に、自分というものを大切にできていない。その部分に気づいた、ということを強調したい。

つまり「存在しているだけで自分はいけない」とか「自分の楽しみのためになにかをするのは悪いことである」とか「快いこと(それが美食、酒、ゲーム、音楽、賭博、異性、ファッション、エンタメ、スポーツ、何であれ…一般的に不健康とされたりネガティブな印象があろうとも)を追求するのは悪である」とか思っていたのが、「そうでもないんじゃないか」って話をしている。

「障害者は存在していると悪である」みたいな思想も、webに蔓延しているので、正直、そういう方と私(たち)は相容れないだろう。障害なんてものは程度差にすぎず、それを言い出すなら、自称健常だと思っているその人々だって、存在しないほうがよい。人類などそもそも存在するだけで有害だからだ。

…ちょっとこの「差別に対する強い敵意」は私の中で、今後もうちょっと解決されてほしい分野だが、書いていて顔をのぞかせたので頭の片隅にとどめておきたい。

ともかく、たぶん他の、自罰的じゃない方々の自然にしていそうな「自己受容」みたいなものを、今回「やりたい放題する」ということで、少しだけ私も体験できた気がする。

ほどほどに「上」な状態が無い

先の段落で、たぶん自分が本当に言いたかったことはほとんど書いてしまった感がある。なにせ考えながら書いているので、思考の言語化が追いついていない。

もともと書こうと思っていたのは「投薬による変化と、躁鬱どっちがましか」という話だ。

名指しすると、今月から「デパケン」という、双極やてんかん等に出される「興奮を抑える薬」を連日、多めに服用している。いちおう「緩やかに効いてくる」ということだったが、脳に対するいろんな薬を使っているせいか、あんがいに体感が早い。

というのは、飲み始めてから、とにかく普段、眠い。だるい。おまけに、なぜか異様に食欲が出るようだ。かこに一度だけ、閉鎖病棟を経験し、その時は服薬管理を強制されてこちらをしばらく飲んでいた。ところ、すごく太った。

私はもともとチビガリで太らないほうなのだが、それでもやたら食べて、運動できない環境だったから、一ヶ月で数キロも増えて顔が丸くなった。「そういうこともあって」あまり飲みたくなかったが、今回やむをえず。

どうやら、異様な眠気とともに、パチンコどころでなくなる。躁状態特有の興奮が消えるので、「何もかもが退屈に思え」寝てばかりだ。ただ、脳にはなにかしらの「刺激がほしい」という渇望がある。

これまで自分はそう食いしん坊ではないと思っていた。しかしこの時期、パチンコを辞めると「脳にガツンと来るなにか」が無償に恋しくなった。異常な甘みや塩気がほしくなるのだ。

私でいうと、板チョコ1枚とか、ポッキーみたいなもの。他にポテチやコーンを揚げたようなスナック菓子。アイス。通常の食事をしても、食後に「別腹」って感じで、2−3袋食べてしまう。寝る前にそうなるので、翌朝は吐気や頭痛が酷い。

けっきょく今朝など、昨夜にドカ食いをした反動で、意識朦朧とするので、指を入れてお菓子を吐き出すはめになった。

つまり、対象が変わるだけで常に何かしらの依存はしているようだ。また、あまり刺激的な行動どころでなくなる(眠すぎて外出できない)ので、食べて寝てたら週に数キロ増えた。たしかに異常興奮はしないが、あまり気分がよくない。

このダウナー服薬に抵抗があったのは、もっと続けてゆくと「鬱」つまり、通常より下の気分まで落ちることだ。今ギリギリ、躁鬱混合って感じなのだが、鬱、数値でいうマイナス域まで達すると、今度は「脳が何もしたくない」感じで起き上がることすらできなくなってしまう。すでにその予兆を少し感じる。

私自身は、浪費や対人トラブルを除くと躁状態のほうが好ましい。とはいえ、それを続けると破綻するので、鬱のマイナスに振り切れることなく、仮にプラスマイナス5段階なら、+2前後のところに安定できたらいいな、と思う。

いまは下げる服薬開始から間もないので、マイナス3からプラス5くらいまで振幅があるような状況だ。あと「健常者」ってどんな感じなんだろうか。コンスタントにプラス2−3で、疲れたりトラブルがあるとマイナス2−3くらいだろうかね?

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