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内側としての自分

「人は守りたいものに嘘をつくの。あるいは守ろうとするものに。」

江國香織『スイートリトルライズ』幻冬社文庫,平成18年,206頁

固執して、どうにか無くしたくなくて、心のそこではいつかもっと傷つくと思いながら、嘘をつく。
引用したテキストは、どちらも恋人のいる夫婦二人の小説から。妻と夫はお互いに嘘をつき、恋人には本音を言う。それは、夫婦の生活の根本の部分を守りたいから。
結婚前は外側の部分(カバー)を見て、結婚して一緒に暮らすとその人の根っこになる内側の部分を見るようになる。そこはとても大事なところで、絶妙なバランスで二人の生活が作られていて、お互いの恋人には、夫婦になる前に相手に見せていた自分の外側の部分のみ見せて、自分でもその自分が懐かしくって、少し羨ましくて、相手とそういう風に付き合って自分を鼓舞したりするけど、でも薄っぺらくもある。恋人といる時間はとても楽しいんだけど、早く妻(夫)のいる「自分の家」に帰りたい。結婚、家族ってそういうところを共有するもの、というメッセージが伝わってきた。
小説ってすごい。私が結婚して、言葉にできないけどほんの少し無意識に感じていたような感覚を、まるで長年明確な言葉でそう考えてきたように、させてくれる。きっと江國さんは結婚してこのような感覚を感じたこともあったのだろうけど、でも全てではない。きっと、自分と全く違うシチュエーション(例えばメキシコのおばさんが晩年感じた何かに対する寂しさ)なども、当事者が、そうそうこれ!と思うようなことをかけるんだろう。

結婚する前。外側を見て好きになってくれて、外側を見せてきて、そんな恋人が、ある日突然私の「家族」として「内側」に来ることにすごく違和感があった。もちろん、家族になる前も本音で話したり、週末だけ一緒に過ごして、旅行もして、飾らない自分を見せていた。そういう外と内の間みたいな部分を時間をかけてくぐってきて、家族になったわけだけど、例えば内側の、私自身の家族に対する暗いウェットな感情や、人を見下してしまうような感情、ケチくさい性格、狡猾さ、などをいつ、どうやって、どうして、見せる日が来るんだろうか、と考えていた時もあった。
しかし今はどうだろう。結婚してはや1年。100%開けっ広げだ。むしろ見せてはいけない部分はどこだろうかと悩むほど。

みなさんの思う「結婚」はどんなものですか?



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