嫁プレイ
「中田敦彦のYouTube大学」で禅について解説された動画を見ました。
チャンネル登録者数数百万人、元祖解説系のYoutuberである中田さんの話し方は独特です。
Youtubeで見てると面白いけど、この話し方を対面で普通の会話をしてる時にしてくる人がいるとお前は中田かよ、ってツッコミを入れています。
それは置いておいて、禅とは仏教の中の精神的鍛錬をメソットとして抜き出して高めたものであり、全ては「無」であることを教えの中心とするということが理解できました。
こんばんは。
去年の暮れに帰省した時の話。
去年は2年ぶりに帰省ができました。実家に帰り、色々な役割を演じ、帰ってきました。楽しく、目まぐるしく過ぎて行きました。こちら側に戻ってきた時の安堵感と自由感をはっきりと意識したのは初めての感覚です。
・xxxの娘
・xxxの孫
・xxxの嫁
・xxxの妹
血縁でたくさん役割が振り分けられていて、久しぶりにそれを演じました。今までは演じるなんて考えなかったから、「自分を客観視する」という目標を少しは意識できたかなと思います。嫁プレイというものは初めての経験でしたが楽しくさせていただきました。
もちろん、血縁以外の役割として
・xxxの会社員
・xxxの生徒
などもありますが、これは決定権が自分にあるということで、血縁と比べてライトでドライな関係性を保てます。
しかし、ヨガの先生に、役割や自分の枠にはまって硬くなっていると指摘を受けたので、会社ではここから少し出ることを意識したいです。
今年で自分が26になる歳だなんて、驚きです。世間からはたくさんのことを欲求されているように思えるのは、被害意識が強いのかな。
「結婚したのだから新居は最低このくらいのレベル」
「新婚旅行は最低このレベルのホテル」
「車を持ってこそ大人」
「恥ずかしくない装い」
「大人の気品」
「教養としてのワイン/美術史/日本酒」
家も、新婚旅行も、車も、美術史も、気品も、どれも素晴らしいもの。それを得ることは大きな喜び。だけど、押し付けて来ないで!欲しいものは自分でその段階になったら選んで得ていくし、いらなかったらやらない。捨てるかもしれないし、気に入ってずっと身につけていくかもしれない。
押し付けられて、なんとなくそういうものだと納得して、そういうところで心が死んでいくんだと思う。
そして、これを私が書いているのは、自分がそういうものに絡め取られているから、そこから自由な人がうらやましいからなのかもしれない。本当のことを言うと人は怒るから、私が怒った時は自分のやなところを相手に見た時だし!
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