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二十六歳を目前にした教訓

結婚がきっかけと思いたくはないけど、最近かなり夫に依存していて危険だと思う。
どんな場面で依存しているかというと、例えば休日の過ごし方。

"一緒に〜〜してほしい"
"〜〜〜に連れて行ってほしい"(!)

何かがしたければやればいいし、一緒にどこかに行きたいのであれば連れて行ってもらうのではなくついてきて貰えばよいのに。

なんで、私の行動に彼の存在が前提になってしまっていたのか。
こんなの、ただのめんどくさい女ではないか。
自分で何も決められない、自分の決断に責任をもてないから相手に委ね、後からこんなはずではなかったのにと相手を責め、頭を抱える。
そんなの絶対嫌。
私は私のどんな小さな行動について責任を持って決めたいし、その結果も引き受けたい。結婚しても、そこは全く変わらない。私が絡め取られていたのは、自分の行動が相手に与える影響が結婚前と結婚後で少し変わる(大きくなる)場面が生じたときに、相手に委ねてそれに従うのが「楽」だからと甘んじていたからだ。

なぜ、これを自覚したか。
一つ目は、私がやりたいことが見つからないで探している状況を、つい「私たち」という人称を使用して語ったときに、きっぱり「俺は君とは違う」と言われたから。本当に、彼は私とは違う。自分のやりたいことを選び取り、それに対して自分がかけられるものを全力で全てかけ、一つ一つ理想に近づいている。
仕事も、趣味も、健康面も、家族に対する関係性も。
全て意識的に自分の行動を理想に近づける行動をしている。
そんなときに、自分探しをぬるぬるとして会社に不満を言っているような「私」と一緒の人称で語られたらイラッとするだろう。
私はあなたとは違う、文句を言わず、自分がやるべきことを選び取りそれに対して全力で毎日時間を使っている、という事実によって、それを言葉にして彼と私の間に線を引かれたことで、彼に甘えている私の状況に対して、目が一気に冷めた気がした。

二つ目は、自分の存在の承認を相手に強く求めていると感じたとき。自分の価値、肯定感、それを与えられるのは、最終的には自分一人しかいないと思う。両親、祖母、友人、そして夫、たくさんの愛を受け、何も生み出さない存在自体を認めてもらい、私は幸せ者だと思う。しかし、結局は一人。自分の存在の承認を自分以外の存在に委ね、それを支えとして生きていくことはあまりに危険だと思う。相手にとっても負担だし、自分にとっても良くない。
結婚している、家族であるということで、ある程度まで大きく自分の存在を受け入れてもらって、相手の存在も同じくらい受け入れて、それを互いに喜びとして生きていくことは素晴らしいし、その義務もあると思う。ただ、自分以外の相手にその大きなところを委ねるというのは、それが無くなった時、与えられなかったときに、大きな喪失感となり、それが転じて大切に思っていた相手を恨んでしまうようになったら、それはとても恐ろしいことだと思う。
これを改めて感じたのは、仕事や趣味に熱中している夫が、多々私の存在が眼中にない瞬間があるんだろうなと思ったとき。自分の存在が相手の中でいつも大きく、重くあってほしいわけではないのに、そんなに集中できて自分を投じられる何かに向かって全力である彼がとても誇らしいのに、寂しくなった。そんな瞬間が重なって、相手へ自分の存在を常に認めてもらうことで自分の価値を確認しているような生き方をしていたら、お互いに崩れてしまう。自分の価値はまず自分で認める。そんな当たり前なことを最近依存によってできなくなっていたかもしれないな、と感じて、目が覚めた。
例えば夕飯を作るとき。相手に好物を作ってあげて、喜んでもらって、幸福感を得る。よくある光景だけど、大切なのは自分がそれをしたくてやっているということを認識すること。自分のほしい満足感や肯定感を、相手に期待しないこと。忘れない。

これらを踏まえて、今改めて認識したい自分の「価値」を自分で認めるということについて考えたい。
自分に対して感じる価値が、最近変化したと感じる。今まで持っていた自己肯定感や自分の存在価値は、何も根拠がなく、しかし巨大だった。年長の方から言わせれば若い人特有の無敵思考。自分は無条件に素晴らしいと思っていたし、最高だと思っていた。
しかし、24歳ごろから(遅いか?笑)自分は自分の努力によって何かを成し遂げたことがあったか、自分の意思によって何かを継続し、それによって物事をいい方向に改善させたことがあったか、いや、無い。ということに気がついた。自分の外見も、自分の知識も考え方も、全て自分で「意識」して方向性を選び取り、「努力」して継続し、客観的であっても主観的であっても何かしらの「結果」を得るというプロセスにおいてのみ改善される。それが自分にも要求されているという意識を持ち、びびって、自分の存在価値が揺らいだ25歳。
もう、逃げ場はない気がしている。自分の中の「意識」「努力」「継続」「結果」のサイクルを、少しでも、どんなことでも初めて、成功体験を得て、自分の起こす行動に対するあらゆる結果に責任を持とうと思う。


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