見出し画像

サラリーマンの完成形ー弊社の場合

昨日、勤め先の社長と営業部のトップの人と飲んだ。
数字を上げることに対して、成果を上げることに対して、あらゆるリスクや不安要素を読み切って、会社の成績にコミットし続けること。
そうなるように若手を育てていくこと、あるいは可能性を
それはなぜ?
社長はわかる。
身銭を切って、自分の両肩に借金や社員の生活に対する責任が負っているから。
でも勤め他人は?
給料かと聞かれても、多分そこではない。だってもっといい報酬を与えられる会社は数多くあるし、そこから今の会社に転職してきた人だから。

なんで会社の発展を望んでいるのか
何を見たいのか
そこに到達した時どんな気持ちになりたいのか
それを、昨日の話から推測するに、多分、ただ純粋に、いい会社でみんなが理想の状態であることを作り出したいというモチベーションなのかなと思った。めっちゃピュアだと思う。あくまで昨日の営業部トップの人の話だけど。
自分の理想への到達と、会社の理想形への到達を重ねてみていること
これが、役職を持っていて、部下がフォローする人の、今の会社における共通点だと思った。

私はそれに対してどう思うか?
会社に対するロイヤリティは全く高くはない。確かに、いい会社になったら、報酬も上がり、毎日のやりがいも上がり、いいと思う。しかし、その環境を求めるのであれば今いるとことを退職する選択肢が大きくある以上、自分の全力をかけて会社の理想の状態にコミットする心境には至らない。
「必要とされている数値を取りに行くこと」についても、それが達成できなかった場合にクビになるという状況においても、そこに対して必死になれない。そして、これは会社員として致命的だと思う。
どうしたら必死になれるのか?この問いに対しては2つの選択肢があると思う。
一つ目は、会社員として、何があっても働き続けたい、会社に残りたいというモチベーションをもつような状況に身をおくこと。これは、会社や職務といった表面と、人間関係や住環境などの二次的な要因がある。
二つ目は、自分でリスクを取ること。自分の失敗は、最終的な意味で自分の身に降りかかってくる(お金がない→生活できない→自分と家族が生きていけない)状況に身を置くこと。
どちらも試してみたいと思う。
ただ、必死になることが必ずしも必要でいいことなのか、というところは考えるべきである。私は精神的にも体力的にも、本当の意味で追い詰められたことはないし、そうならないように気を使ってきた。追い詰められて、全力を投球することが必要なシーンと、そうでないシーンを見分ける必要もある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?