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巨大獅子誕生!インドネシア・スラバヤ 東ジャワビエンナーレ、地域コミュニティを表現する獅子舞

獅子舞の生息のため空間や時間の余白、他人への寛容さなどを探る。この試みを獣の住処を探す感覚で「獅子舞生息可能性都市」と呼ぶ。獅子舞(シシ)の制作と町への出没、舞い歩きを通して、3人組のアーティストユニット「獅子の歯ブラシ」はその可能性を追求する。

2023年10月9日から22日まで、インドネシア第二の都市・スラバヤに滞在した。メンバー3人の共通の友人でもある秋田公立美術大学の岸先生のご紹介で、東ジャワビエンナーレに参加することが決まった。その展示が2023年12月に控える中、それに先立って土地のリサーチ、シシの制作と演舞を行った。この演舞をもとに映像やインスタレーションを構成することとなる。まずは初めての海外でのシシ制作となった10月の滞在を、メンバー・稲村の視点で振り返る。

1週間のスラバヤリサーチ

2週間の滞在の中で、最初の1週間はスラバヤの民俗芸能に触れたり、町歩きをしたりする時間に充てた。

まず最初にスラバヤに到着した時、とにかく凄まじい物量が迫ってくる感覚だった。バイクやタクシーなどで道が溢れかえっており、歩道には屋台がずらりと並ぶ。道を歩くときは一直線にならざるを得ず、歩道が狭く交通量が多い。物売りのおじさんやギターを弾く芸人、猿回し(モンキーダンス)など、個人商売の人々もいる。基本的に音がひっきりなしに鳴り響いており、静かな場所を探すのが難しい。日本も戦後はこのような風景が広がっていたのだろうが、今ではその風景を見ることは難しい。夜の街は学生たちの賑わいにあふれており、屋台が立ち並び、カップルがたくさん集まる。地図で道を尋ねるように見せかけてナンパする人もいて、若い人が多い印象だ。スラバヤは大学もかなりの数点在しているようだ。

所狭しと並ぶ屋台
路上で行われるモンキーダンス

ここからは僕らが滞在したTambak Bayanについて触れておこう。スラバヤの中心部にあるこのエリアは、中国の広東省から逃げてきた避難民が新しく入ってきて形成された歴史があるカンポン(kampung / 「原住民の村」の意)だ。統治のシステム上は最も低い階級として、位置付けられてきた。一方、それに対してTambak Bayanの北部に位置するチャイナタウンは、オランダの植民地統治時代に第二階級と位置付けられてきた富裕層の居住区なので、そこには大きな違いがある。

チャイナタウンは基本的に商売をする場所で、そこに企業やお店を構える人々はほかのエリアに居住している。チャイナタウンの隣にあるモスクを含むアラブ系の住民たちも、同じく第二階級で富裕層だ。このように、スラバヤの中心部でさえも少なからず民族のボーダーのような存在を感じざるを得なかった。スラバヤは多民族共存の町である。

そのようなことを考えている中で、Tambak Bayan内の多くの世帯がキリスト教を信仰していることに気がついた。村の家の一箇所に集まってキリスト像を中心に歌を歌ったり、自分が今借りている部屋にも洗面台近くに小さなキリスト像を見たことを思い出した。中国人街でありながら、仏教ではないのだ。その点も非常に興味深かった。

アラブ人たちの街並み

Tambak Bayanのコミュニティは現在、100年以上の月日が経ちその建物の老朽化もあって、取り壊しの話し合いが何度もされてきた。ホテル建設会社が土地を買い、立ち退きを要求しているという。住民の中には住み続けたいという人と引っ越して良いという人がいるらしいが、「引っ越すとしても皆で引っ越したい」という。仲間であり、大きな家族ともいうべきか。現在、総数が40世帯あるこのコミュニティでは、毎日のように大きな家「Big House」に人が集い、焼酎やウイスキーなどのお酒を酌み交わしながら、世間話や会議やダラダラとした時間を過ごしている。せかせかした人はおらず、みな道で出会うと微笑んでくれる。この土地にはスマイルメーカーがあって、このような笑顔が無限に量産されているのではないかと思うほどに笑顔が絶えない。

Tambak BayanのBig House
Big Houseに集う人々

今回はこのTambak Bayanという小さな地域コミュニティを対象として、シシを制作することにした。そのほか、スラバヤ滞在の中で、さまざまな地域リサーチをしてきたので、ここでメモ程度に残しておきたい。

10月10日(火) 博物館見学、中国系獅子舞「光龍」の練習場所見学
10月11日(水) 中華・アラブ街訪問、中国系獅子舞「光龍」の練習見学
10月12日 (木)バティック染めの体験
10月13日 (金)鳩レースを題材にした身体表現の鑑賞
10月14日(土)バティックの下書き作成(作品制作開始)
10月15日(日)猿回し鑑賞、Reog鑑賞

中国系獅子舞「光龍」の練習を見学
獅子舞にも近い芸能・Reogはライオンや孔雀がモチーフとなっている
ダックの美味しいお店に連れて行ってもらう

▼スラバヤの民俗芸能鑑賞の記録はこちら

シシの制作過程、布は獅子頭?胴体?

2週間目(10月16~20日)は本格的な作品制作の期間となった。Tambak Bayanに獅子が存在するとしたらどのような舞い方やデザインとなるのかをさまざまな可能性を考えながら、アイデア出しをしていった。

まず最初の発想は、工藤さんがバティックのろうけつ染めで布を染めることによって、この土地らしいシシが出来上がるのではないか、と考えたことから始まった。10月12日にバティックショップに伺って、職人の技にも魅了されて、自分たちでもやってみたいということで、材料を一式購入した。

まずは3人で小さい作品を試作することから始まった
5mの布に描き始める

実際にやってみると、これがなかなかに難しい。ロウが下にすぐに垂れてしまうのだ。船山さんと工藤さんにその多くをお任せしてしまった。図案は一枚では収まらない。もっと布を大きくした方が迫力が出そうということで、縦5mの布を3枚重ねて、縫い付けることとなった。

この図案が表現するものは、まず真ん中にシシのタテガミがあり、このテクスチャーはTambak BayanのBighouseの天井の老朽化した模様を取り入れたものである。またその下に船山さん考案のTambak Bayanの俯瞰図があり、それを覆うように、稲村が考案したこのコミュニティの地底を這うような生物を工藤さんが描いた。その模様は生活必需品である食料品や家具などでかなり細かい造形となった。その先端はまるで龍のようである。また、この布を中心として、右側には大きく見開いた目、左側には眠そうに半分閉じている目を描いた。これはそれぞれ太陽と月のモチーフであり、善と悪が永遠に循環していくとするインドネシアの人々の精神性あるいは芸能の根底を流れる考え方を模したものでもある。この3つの布はミシンの糸でつなぎ合わされた。住民の協力のもと1時間半にわたる格闘の末、ミシンの機械が使えるようになったのは良き思い出だ。工藤さんがこの部分は縫ってくれた。この布の色は赤に白い模様が入っており、中国やインドネシア国旗、あるいはBig houseのランタンなどのモチーフから、創造された色である。

白抜きになるろうけつの部分
バティックショップでの染色
赤く染めた後の様子
3枚の布をつなぎ、金色の刺繍を行う
1枚布の完成後

また、布を組み合わせるだけでなく、獅子頭を違う素材で制作してみても良いのではないかという考え方もあった。それはこのシシがTambak Bayanのコミュニティの近いところで制作され、住民のパフォーマンスへの参加を促そうとするものであったから、わかりやすい獅子頭の造形があった方がよいのではないかという意見だ。しかし、実際は布が胴体ではなく、獅子頭そのものであるという結論に至った。それは狭い道が多いTambak Bayanのコミュニティにおいて、自由自在に扱える布という素材が適しており、またこの布に適合する獅子頭の素材が他に見つからなかったなどの背景がある。

また、この布の後ろに2本の紅白旗50m×2もまるで尾のように付けられた。これは住民たちが後ろについて、この旗を掴みながら歩けるようにというある種「繋がるため」の素材であった。また、獅子の歯ブラシ3人の衣装は皆バティックで統一され、下は赤い色とした。これは演者の下半身がシシの足を表すと考えてのことだった。稲村と工藤はシシになるため映えるように下にはスカート状に布を巻き、船山さんは楽器担当なのでズボンを履いた。

紅白旗は合計100m分を購入

それから、船山さんはこのシシにふさわしい楽器を制作した。それは交通量が激しいこのスラバヤの町から感じたひらめきであり、タイヤを2つ重ねて、それを引くとタイヤに結び付けられた金属がカラカラと音を奏でる仕組みとした。これは一方通行で前にしか進めないという特徴がある。また、金属でマラカスのような楽器も作られ、この土地のものを使った楽器が完成した。

結局、今回シシに使われたアイテムはこのようなモノがあった。
・バティック染めの獅子頭
・メンバー3名が着るバティックの衣装
・紅白旗
・古いバロンサイの頭
・車輪の楽器
・自作のマラカス

それから制作の合間に、シシの演舞に向けて告知のビラを制作した。これはTambak bayanの住民用に50部刷ったビラである。家を一見一軒訪問して手渡ししていった。本番は2023年10月21日(土)16時から。場所はBig House(THA YAN6)にて。

古いバロンサイを使って練習(photo : Dimas Anugerah)

当日はwebメディアが2社来てインタビューを受けていた関係で、開始時間が30分遅れて16時半より演舞開始となった。ここからは実際にどのような演舞だったのかを振り返りたい。

巨大なシシが生まれた

張り詰めた空気が一点に集中した時、その所作は生み出された。一度、会場に出て行こうとした時、気持ちが締まっていなかったけれど、それからすぐに意識は一点に集中した。

首は横に捻れて、腕は垂れ、どこか捻くれたスピリチュアルに満ちた体躯は、Tambak Bayanに行き着いた初期の移民の心情を投影した結果だ。中国からインドネシア・スラバヤへと移民は引っ越した時のさまざまな心境がこの所作となって表出したのだ。

稲村の入場シーン(Photo : Dimas Anugerah))

靴を脱いでシートに素足を踏み入れたとき、それはTambak Bayanへの移住の瞬間でもあった。中央にあるバロンサイの古い頭を囲みながら、手を広げて飛び跳ねた時、それは人々の協調やコミュニケーション、そして、歓喜のような想いが湧き上がった。ここから先ほどのスピリチュアルな所作とは対極的な変化が表れ、どこかポジティブな感情が湧いてきた。

僕は生命を宿すようにバロンサイの頭を被ろうとした。震える思いが指先から頭へと伝わり始め、そして頭の上に頭が被さった。そこからは、伝統的なバロンサイが意識された所作が生み出された。しかしそれは、決して本場の担い手たちとは違い、どこか要素を抽出した先に自分の身体との重なりの中で、できる限りの動きを生み出したにすぎなかった。遺伝子やアイデンティティの所在について考えざるを得なかった。機械的に手を縦横に振ったり、いきなりポーンと3回、あるいは6回上に高く飛び跳ねたりした。あとは四方に頭を向けてお祓いの所作も行った。方位除けである。なんだか、バロンサイになりきらない幼子のようである。

それから獅子はシートの端から観客たちを眺めて赤いベロを出した。頭の中に獅子の胴体が隠されていたのだ。そのベロを工藤さんが引っ張った。グイーーと引っ張ったらその布はどんどん出てくる。しまいに紅白旗まで出始めた。そうそう、バロンサイの頭の中に宿していたのは新しい生命だったのだ。厄を祓うことの象徴たる口から生命が吐き出された。その勢いでバロンサイは大きな痛みと苦しみから横たわりもがく。口からホロホロと溢れ出てゆく生命は、工藤さんにその布を引かれ、そしてその布を被ることでやがてひとつの生き物となる。ここでTambak Bayanのシシが誕生したのだ。

それから稲村は伝統的なバロンサイの頭を置いて祭壇に収めるように手をカクカクと動かして意味不明な拝み方をして、次なる生命としての布の獅子を被りながら工藤さんの横につく。2人立ち1頭獅子の完成である。この時、布のデザインにもあるように2つの目が完成したとも言える。先述の通り目は大きく見開いたものと眠そうなものの双方によって成り立ち、太陽と月のモチーフを内包しており、これは太陽と月、あるいは善と悪というように対極的なものが勝負なく永遠と続く天文学的世界観を反映したものであり、これはインドネシアの民俗芸能であるバロンダンスなどからインスピレーションを得て作ったものだ。

Big Houseから外へとパフォーマンスを展開(Photo : Dimas Anugerah))

さあ、シシが生み出されたのち、そのシシは手招きを行い周りの観客たちを自分たちの胎内へと誘い入れる。ここでTambak Bayanのシシはそこに住む人々のコミュニティを表現した存在として膨張していくのだ。このシシの所作を決めるのは僕と工藤さんだけではない。最終的には住民によって決められることこそ重要だと思う。Tambak BayanのBig Houseを出るまで、シシはどんどん人を飲み込みながら進んでいった。布の背後はラビとウチョという子どもたちに任せていた。1番最初に招き入れた住人は恥ずかしかったのか背後に引いてしまったが、2番目に招き入れた人が友人とともに入ってくれたおかげで、後の人が続きやすかった。

紅白旗を持ってシシに続く住民(Photo : Dimas Anugerah)

シシがBig Houseを出ると、Tambak Bayanを一周した。口を一度パクッとさせてから、僕が先頭で工藤さんが後ろに回る体制となり、狭い道を進んだ。道中は家の中に入ってみたり、ザルを被ってみたり、バイクに乗ってみたりと、勝手気ままに振る舞うシシが現れた。ひとつ目の曲がり角から2つ目の曲がり角まで進むとき、ストップの声がかかって、何度かシシの歩みを止めるシーンがあった。なにしろ5メートルの胴体に50mの旗が付けられているものだから、胴体が色々な箇所に引っかかったということだろう。僕と工藤さんは再び横並びとなり、そのステップを同じにするように進んでいった。徐々に呼吸が合ってきて、特に+の字を書くように横縦と足を開いたり閉じたりするような動作の時がリズム感よく進んでいた。

小道をかき分けるように進むシシ(Photo : Dimas Anugerah)

それからTambak Bayanを少し離れてみて川まで行って帰ってきて、その瞬間にシシの体の長さを確認した。あまりにも長い!過去最高の長さかもしれないと感じた。そして、Tambak BayanのBig Houseに帰ってきた。もうあと一周などとてもじゃないけどできないほどにバテていた。まだ30分くらいしか演舞していないのに、これほどまでに疲れるとは予想外である。やはり35度を超えるインドネシアの気候は人間の生活を制約させるのだろう。赤道直下の気候に影響を受けながら、シシは1周の演舞を終えてBig Houseに帰ってきた。そこで、布を広げてバタバタとさせてから、畳んでそのパフォーマンスは終了となり、地元民へのコンセプトの説明と質問タイムとなった。

川沿いへと向かうシシ(Photo : Dimas Anugerah)

▼実際の演舞の様子はこちらをご覧いただきたい。

新しいシシ誕生のその先は

実際にインドネシア・スラバヤのTambak Bayanという地域コミュニティを対象にシシを作ってみて、とにかく住民が新しい生き物の誕生を歓迎し、自らそれに進んで参加してくれたのは印象的だった。実際に演舞時間は過去でも最短の30分ほどだった。インドネシアの暑さにやられて、コミュニティを1周するくらいしか体力が残っていなかった。それでも、その限られた時間がぎゅっと濃いものになった。

Tambak Bayanはいつなくなるかもわからない地域コミュニティだ。都市開発が進み、古くて建築基準が危うい建物は次々に取り壊されていく。それと同時に、暖かいコミュニティは個人主義のもとでより簡素化されていくことは日本の過去の歴史からも伺える。現代の大きな発明は個であると船山さんが言っていた気がするが、それも確かにそうだ。しかし、Tambak Bayanの住民たちはそれでも毎日Bighaouseに集い、その絆は「一緒に引っ越したい」というほどに大きい。

今回のシシは作りそのものがTambak Bayanを象徴しており、獅子の歯ブラシのメンバーだけではなく、住民によってその所作が決められる。自分の手を離れたところにいる他者が介入して、それで成立するシシだった。人と人との距離が近い、インドネシア、そしてスラバヤの特質をよく表したシシが誕生した。このシシが逆に住民に何かの作用をもたらしたこともまた事実だろう。

新聞記者から「このコミュニティにどうなってほしいですか?」と聞かれて、うまく答えることができなかった。住民ではないのでそれはわからない。帰国を前にしてTambak Bayanを後にする直前の22日の15時ごろ、住民たちはコミュニティのLINEグループから退会した人がいてどうすればより良いコミュニティになるかを話し合っていた。その詳細な顛末はよくわからなかったが、創意工夫の先に、新しいコミュニティと暮らしのあり方が生まれていくのだろう。失われゆく町に見出す新しい可能性。新しいシシの誕生の先に、コミュニティのこれからを願う。そのようなシシになったとも言える。

演舞後の獅子の歯ブラシメンバーの写真(Photo : Dimas Anugerah)

滞在スケジュール

10月10日(火) 博物館見学、中国系獅子舞「光龍」の練習場所見学
10月11日(水) 中華・アラブ街訪問、中国系獅子舞「光龍」の練習見学
10月12日 (木)バティック染めの体験
10月13日 (金)鳩レースを題材にした身体表現の鑑賞
10月14日(土)バティックの下書き作成(作品制作開始)
10月15日(日)猿回し鑑賞、Reog鑑賞
10月16日(月)獅子頭の制作、楽器の制作
10月17日(火)獅子頭の制作、獅子頭の構造物や毛糸でヒゲを試作
10月18日(水)獅子頭の制作、ビラの制作
10月19日(木)獅子頭を赤く染める、紅白旗を買う、ミシンで縫う
10月20日(金)バティックの赤い衣装を買う、獅子頭に金色の刺繍をする
10月21日(土)演舞の最終確認、本番
10月22日(日)帰国に向けて出発

とてもお世話になった東ジャワビエンナーレのビンタンさんとともに(Photo : Dimas Anugerah)
3人とも毎日にように通ったパクコーヒー




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