何かを得ようとして親切にするくらいなら、何もしないほうがいい
「これだけしてあげたんだから、返してよね」みたいな圧を感じること、とても苦手だ。
だけど、私もたぶんやってしまっているときがある。
好かれたい相手に対してこそ、圧は強まってしまう気がする。
おそらくそれは「好きな人に好かれたら、自分の幸せ度が上がる」と思い込んでいるからだ。
「そりゃそうでしょ?」と一瞬思うかもしれないけれども、たぶんそうじゃない。
なぜかというと、相手の出方によって、自分の幸せが左右されるということだから。
他者に自分の幸せをゆだねてしまっているということだから。
もし相手が悪い人だったら、そこを利用してうまくコントロールされてしまうだろう。
そうじゃなくても、「返してよね」の圧が強まりすぎたら、それはもう、”奪う”に近い。
奪ってくる人に、好感をもつだろうか?
してあげたことばかり考えてしまうのはきっと、それを餌にもっといいものを得ようとしているのだ。
相手のことを考えているようで、自分のことしか考えていないのだ。
何かを得ようとして、してあげるくらいなら、何もしないほうがいい。
期待のものがかえってこなければ不満になるし、相手からしてもありがた迷惑、または「重い」。
相手がだれであれ、してあげたことを考える代わりに、してもらったことを数えるようにしたい。
たとえば今日、私は二人の知人に、にこやかに挨拶を返してもらった。
嬉しかった。
そういうのをスルメみたいに咀嚼していきたい。
~2024年8月のメモから。11月6日加筆~