【小さなコの字の城】
はじめに
私は、パーテーションが結構好きだ。
衝立、間仕切りとも呼ばれる大小様々形も色々の、便利な板状の物のことである。
昨今の流行病、コロナの影響により巷には透明なパーテーションが多く見られるようになったが、あれは「向かいの相手との間に極力壁を感じないように、されども飛沫感染防止の効果を期待して壁を設置している」という苦肉の存在であり、パーテーションの中でもやや特殊な立ち位置にある。
タクシー運転手と後部座席の間にある丈夫な透明の板や、遊園地のチケット販売所の透明で声の通りを良くするための穴がついた透明な壁等、ああいった仕組みの仲間だ。
あれはあれで必要なのであろうが、私は不透明な、向こう側が見えないパーテーションのことが好きである。特に、コの字になった程よい高さのパーテーションや、人間1人を匿える程度の大きさを持ったキャスターつきの壁のような間仕切りを見ると、何やら安堵に近い感情を覚える。
今回はそんな、パーテーションの話を書こうと思う。
パーテーションや衝立の休息地
思うに、パーテーションは緩めの固有結界に近い物だ。その場に置くことで領域を定め、パーテーションの外と中(あるいは、あちら側とこちら側)を分けることができる。そして見えない壁の内側は、ほどほどに保護されるのだ。
これによってできた空間は個室のようでもあるが、個室と違うのは「完全には外界と分けられていない」という点である。通常、建物の個室は壁によって完全に孤立した空間であり、扉はあるものの、それを施錠して完全な孤立状態を作ることができる。推理もののドラマや小説でも、非常に大事な要素だ。
パーテーションには、完全な孤立状態を作る力はない。大型の壁のようなパーテーションでも、大抵は天井より短く、また移動のためのキャスターによって下部に隙間がある。小さい物については、いうまでもないだろう。
この「不完全な孤立状態」を生み出す道具として、私はパーテーションがとても好きである。
外と完全に遮断されたわけではなく、しかし外とは異なる空間。小さな結界のような、いつでも出入りできる憩いの場だ。行ってみればそれは、歩道の端にある腰掛けられそうな花壇の縁や、ショッピングモールに時折ある不思議な行き止まり(大抵そこには従業員専用通路に続く扉があり、従業員には行き止まりではないのだが一般客にとっては行き止まりに等しい)のような、公共トイレの個室のような。いわばちょっとしたセーフティーエリアなのだ。
微かに外と繋がっている、小さな空間。完全には気を緩められないが、多少息をつくことができる休息地は外にいくつもあってほしい。朧豆腐のように脆弱な魂を持つ私としては。
パーテーションを作って持ち運ぶ試み
外とは過酷な場所である。常に多少の危険や他人の存在が行き交う、情報や物の多い場所だ。それは便利で楽しくもあるが、こちらの状態によっては疲れることもあるし、考え事には向かない。
私は時折、外出の用事の前後で執筆のために喫茶店に住み着くことがある。店に元から備わっているパーテーションは、多くの場合透明や半透明が基本の洒落た物で、店のお洒落さと人々の交流を極力阻害しないように工夫されている物だ。つまり、孤独な作業用には作られていない。
そこで、より良い個人作業の場を作るべく、折り畳みのパーテーションをこさえることにした。
まぁ、こんなところである。
どうせ自宅の机でも使うだろうからと、自分が好きな色、素材、オプションパーツなどをあれこれ盛ってしまったが、基本となるパーテーション自体は非常に質素な物だ。作りとしては、そこそこ丈夫な布にプラスチックのA4下敷きを挟み込んだだけである。
また、制作にあたり私好みの渋めの赤い布を使用したが、一般的に集中するのに適した色とは灰色や落ち着いた青系の色であるらしい。もし作業用パーテーションについて検索し、偶然ここに来られた方がいたとすれば、この色を真似するのは止したほうがいいだろう(あなたが私と同じ赤色大好きの民なら、話は別だが)。
コの字空間の不思議
この獅子狩お手製作業用パーテーションの高さは、30cmぐらいしかない。だが実際に目の前の机にこれを展開してみると、思った以上に中の空間が広く感じられる。
外側からでは小さく見える家も、いざ玄関から入ると思いの外広くて驚くことがあるので、それとよく似た錯覚なのかもしれない。
こんな感じである。
このごく限られた小さな作業場は、ささやかな私の城である。程よく外界から距離を置き、執筆作業に赴ける朱殷の城なのだ。
この城でせっせと作業をしている最中、ふと顔を上げると、知らない人々の俯いた面差しや丸まった背中、本のページをめくる指先、歓談する穏やかな横顔など、実に様々な外の空間が目に入る。
彼ら彼女らは、皆他人である。たまたま同じ場所と時間を共有しているだけの、見知らぬ人々だ。だがそこには、膜のように薄い僅かな仲間意識のようなものが漂っているときがある。たまたま同じ店の中にいるというだけの、今そこにいる姿しか知らない人々は、けれども同じ空間を共有する星のように遠い仲間なのだ。少なくとも、私にとっては。
この遠い見知らぬ仲間の気配があるからこそ、喫茶店での執筆は自宅での執筆より捗ることが多い。彼らと距離を保ちつつ、かつ深く執筆する物語に潜り込むには、パーテーションの内側がとても適しているのだ。
そんなわけで、私はすっかりパーテーションを持ち歩く謎の生き物と化してしまった。だがことのほか快適なので、気質が合う方にはおすすめしたい。
コロナ禍の今、在宅勤務や自宅学習のための小さなパーテーションが、あちこちで売られている。必要であれば、このささやかなコの字の城の主となるのも、良いのではなかろうか。