多様性の価値。
ダイバーシティ&インクルージョンについて、その意義や効果はいろいろと言われている。その中で、自分の実感一つとして、「コンテクストが共有されていないこと」に積極的な価値があるのではないかと思っている。
日本の、特に大きな企業はハイコンテクストな内部社会で、「説明しなくても分かる」「自発的に先回りして考える」といったことが求められる。けれど、そこには学習棄却というものはなくて、ひたすらに既存の秩序と行動・思考パターンがありきの世界。そこにイノベーションや創造性は生まれやすいだろうか?
多様なメンバーに、一から教えるのは確かに面倒くさい。バックグラウンドが違うメンバーが迷わないよう、ルールを決めることも手間がかかる。しかし、逆に見れば、多様なメンバーが居るからこそ、ハイコンテクストをいったんオフにして、外からのメンバーでも一緒に仕事ができるように議論をゼロベースから行うことが、実は発見や気付きが生まれるのではないか、と思うときがある。
つまり、多様性によって、皆の内向きな思考の癖やパターンのロックを解除して、そもそも論に立ち戻れる力を取り戻す、という積極的な意味があるのではないかと思う。ロジックとテクニックで何とかなる課題は、もう答えが見えていて、その先の「心の壁」を乗り越えるためには、そういった「そもそも」から始まる議論や対話こそが、道を開いていくのではないかな、と思う。