
『奇数の歯を持つ嬰児』(全)
[奇数の歯を持つ嬰児、に寄せて]
ながながと続いてきた、この詩ですが
お読みいただいた通り、
子育てに手を抜いたら、赤ん坊に
親密と親密でなさの波打ち際で
どう対応したらいいのかを悩まさせてしまったために
パパとしての義務に(再び)目覚めてしまった若人(当時28才)が、
赤ん坊を腹にくくりつけて父と子の絆を結び直そうと
アパートを出発して、戻ってくるまでを描いたものです。
たび重なる夫婦げんかのあとにも、
この作品を読み返すことで初心に戻り
仲直りの契機を与えてくれたという実質的な意味も持っていますが、
立ち戻る位置を示してくれた基準点として
迷いの霧のなかでも見失うことのない
確固とした存在地点でした。
長いのは十二分に承知していますが、
ぶつ切りにして流れを切らずに読んでいただくという
わがままな望みを持ったため、
(全)を用意してしまいました笑。
86年1月当時の写真が発掘できたので、
ここに貼っときます。
ぺたっ。

先に謝っときます、長くて
ごめんね、ごめんね。
明日を越えたら、希望の年2025年にたどりつくのでしょうから、
みなさんも、ぜひ、よいお年をお迎えください。
わたしも、ぜひともそうする気持ちでいっぱいです。
では、雪崩読みをご体験ください。
『奇数の歯を持つ嬰児(全)』
人間は進化する動物で進化した動物ではないのだということを
きみがまだ聞いたことがないのならぼくがはじめて教えてあげよう
そのことをぼくはほかならぬきみのあとをおいかけているうちに
ははあ、なるほどと教えてもらったのだから
まずひとは神から派遣された調査員として生まれてくる
おそらくぼくのこういった主張を
常識を知ってしまったきみはうまく信じることができないだろう
だからぼくは世間に先駆けてきみの耳に到着しなければならない
きみの耳が
嘘で
でたらめで
初めて聞いてもおもしろいところがすっかりなくて
すれっからしのパンのみみみたいにかたくなで
技巧に欠けていて
誠実な志が見受けられなくて
安くて丈夫で長持ちするから批判する根拠もないような
そんな立派な常識に拍手してしまうまえに
その証拠を陳述します
「赤ん坊は泣きます
ところがその泣きかたなのですが
表情に着目しながら観察すべきなのです
だから当然、赤ん坊の泣き声そのものには無頓着になります
ひとによってはそれが人間的な配慮に欠けるという
まとはずれな評価をする者もいますが考えてもみてください
わたしたちがいま対象としているのは神の調査員なのです
人間的な感情にわたしたちが埋没するのを赤ん坊はじっと待っているのです
泣くのがわななんですから
ですから泣いても泣いても知らん顔して
赤ん坊がその瞳をぐるっと回すまで
わたしたちも待たねばならないのです」
(ひといきにコップ一杯の水)
「ゆび、極端に根本だけがふくらんでいて急激に細まりながら
すぐに爪によって完了されているゆびはたしかに赤ん坊のものです
ほお、びっしりと繊毛がこびりついているために
かぶりつくのがためらわれる桃のほおはたしかに赤ん坊のものです
しかし瞳はちがいます
世界を睥睨するようにゆるやかに移動させるあの眼球運動は
わたしたち人間が行くことのできない高所の意識物のものです
はじめてその運動を見てしまったときぼくは思わずひれ伏しました
へへへぇい、そのような高貴なお方とはつゆ知らず
餓鬼扱いの客扱い、泣けば泣け泣け、途方にくれろ
どうせぼくらは親子じゃないかとたかをくくって失礼いたしました
あなたのお生まれになったこの家の現状を手短に申し上げますと
わたしが夫-父親の二役を担当しております川畑克行です
あなたをいま腕のなかに抱いて懸命にあやしておるのが妻-母親の
川畑美智子でございます
わたしなどは、そのまあ、いまのところは発揮されておりませんが
多少の信仰心はもちあわせておりますし、なにか危急の用の際には
ひとことお声をかけていただければそれはもう、はい、
お役にたてることもなくはないと存じますが
ただこれのほうはなにぶん愚妻でございまして
論理が住処なものですから
気のきかないところ、行き届かないところが
キリマンジャロの根雪のようにあるとおもいますが
そこはそれ、宗派がちがっていたらお許しください、
摂取不捨の弥陀の心意気とやらの
ありがたものでよきはからいを、と
いまのところ月々のきまった収入もございまして
貧困のあまりあなたを売って糊口をしのぐこともございません
住宅はご覧の通り安普請ですが新築です
あなたの泣き声がどれほどの大音響であろうとかまわないように
二階の角部屋をえらんでおきました・・・・」
(ふうっ)
そこまで報告して顔をあげてみると
すでに赤ん坊は眠っており
母親はそそくさと彼女の乳房を
下着のなかへとしまいこんでいました
幸福な親子関係というものが
身体的な訪れをしたとでもいいだけな表情で
ぼくを除くふたりの家庭生活者は現象していたのです
おい、ちがうぞ、この赤ん坊はな、とぼくは
いいかけた言葉をのみこみ
赤ん坊の方を静かにうかがいました
て・とわ、て・とわ、
そうか黙っているべきなのだな
そうしてぼくはともかく失礼のないように振る舞わなければ、な
人間界のモニターとして観察されていることに
意識過剰にならないように
ぞんざいに扱って短気な神託を掘り起こしてしまわないように」
神の調査員として赤ん坊は生まれてくるのだが
しかしきみもしだいに人間じみてきてしまう
その証拠としてふたたびぼくは泣き声における変化をあげよう
最初きみは泣く器官として機能しているにすぎない
あるいはまったくの眠る動物だ
ぜんたい
ぼくらが二十四時間の約三分の一を
集中的に睡眠時間にするのに対し
きみがあんなにも頻繁に眠り、また授乳されては眠り
ぼくらの安定した生活方法を脅かすというのは
きみの一日とぼくらの一日が
まったくことなった期間であることを示す
カレールーのような固形物だったのがぼくらの作用をうけて
とろとろに溶かされてのばされて散文の気安さに染まってくる
素焼きの笛のようなきみの泣き方には
しゃくりあげるフェルマータや力みの節回しが加えられ
人為的なアクセントの増加とともに
ぼくらの仲間の嫌なそぶりがついてくる
不機嫌と不満と不安のそれぞれがきみを泣かせ
自分の身体不能性へのいらだちがふたたびきみを泣かせる
これが授乳によって生命を維持しているころの爬虫類時代のことなのだ
なにしろきみは口腔的存在とはまだ程遠く
口唇という限定的な場所の狭隘さにも耐えなければならなかった
中央を残して両端を上部に丸める舌のかたちは
乳首をそのまま受け入れるのに適しており
乳首をさがしもとめるときの舌の動きは
ぼくが戯れとしてしばしば彼女にしかける熱心さとはちがって
生存を賭けた揺るがしようのない運動だったのだ
ぺろぺろ、ちろちろ
とのぞく舌の赤さはもしきみの舌先がふたつにわかれているならば
とうてい人間のものとはいいがたいものだった
この時期がきみの爬虫類時代前期だとすれば
後頭部とかかととで体重を支えて背をそらし、
なんのかんしゃくをおこしているのかといぶかるぼくらをしりめに
それが寝返りの前兆であったことをかるがると立証し、
最初は左側に回転しては仰向けになり
天井をみてはまた寝返りをしていたのが
つぎには左右自在に寝返ることが可能となり、
腹ばいになり、
しかし腹ばいになったからといって
そこから移動することができないために
前腕と後ろ足でその場に身を起こし
昼寝かに覚めたときなどはその姿勢で泣くものだから
ぼくには膝をついて泣くその理由が
屈辱にあるのではないかとさえ思われた
前方への移動は四段階を経てはいはいへと達した
まずは前進への意志を持ちながら
寝返りを連続することでそれは行われた
二段階目では両手を前に伸ばしたまま腹ばいになり
バタ足を乱打することで視線と進行方向の一致は得られた
三段階目では両肘を交互に繰り出すことで
ほぼ前進の姿勢は獲得された
あしうらのふくらみの部分を畳と摩擦させてはいはいを完成した
この時期を爬虫類後期と呼ぶことができる
今でもそうかもしれないけど
この時期にぼくのきみへの関心は薄まり
還俗した坊主をみるような忌々しさをもっていたのは本当のことだ
せいぜい人間らしくなっていけばいいじゃあないですか
きみはきみで生きていくしかないのだし
ぼくときたら
どうして自分の人生を隠遁することができようか
自分の子供に期待するより確実なのは
自分に賭けることのほかにはない
さてさて問題なのは自分のどこに賭けるかということなのだが
腕組みで思案をめぐらし
横目できみのはいはいを見物していたわけなのだ
だからやっぱりそうだよな
ときどきぼくがきみをだいたりしたときにきみは
緊張のあまり困った顔で笑顔をつくろうとしながらも
それが自分で持続できないとわかると
泣いて母親を求めたのだからな
気まぐれな父親というものは処置に困るというのは
ただ母親の主観的な意見ではなかったということなのだよ
なぜそうなのだろうか、けんしょう
なぜぼくときみとは
父親と愛息という言葉の最大許容量まで関係できないのだろうか
きみはぼくにたいして人見知りをして遠ざけ
ぼくはきみにたいして存在の固有性で武装する
さすがにぼくもこれではいけないと決意した
昭和六十一年一月二日なのだ
和解が妥協の戦略であるかぎりぼくらは親しくなりそこなうだろう
むしろぼくらは共通の困難を保持することで
擬装した同胞感情を帯びよう
ぼくらは母親抜きでおつきあいできなければならない
変換式で示すならば
父/夫---妻/母---赤ん坊
この式から夫の部分を取り除いて
父-------------赤ん坊
このように直結されなければならないと感じたのだ、けんしょうよ
そういう訳だったのだ、ぼくらがふたりきりで外出するに至ったのは
紙おむつの交換分を一枚ごわごわ音をたてていれて
哺乳瓶にはたっぷりのミルクをいれて冷めないように二重にくるむ
カンガルーに変身するためのキャリーバッグをぼくの腹に装備して
そのなかにきみを繭ごもりさせるようにつっこんで
肩からななめにカバンを掛けて道具類の準備はオーケー
どこかおかしいところある、ない。
ちょっとおかしく見えるかな、だいじょうぶよ、かっこいいわよ。
ほんとだろうな、ほんとだってば、そんなに笑いながらいうなよ。
これから長い長い旅にでるんだぞ、
ああ、もうおれ、もどってこれないかもしれない、
あなたはいいけど子供は連れて帰って来てね、
わかった、やっぱりそんな女だ、いつから女になっちまったんだ、
女性って結婚すると女になって、子供を産むと母になる
いつまでも恋人のままで、愛し合うけだものどうしでいたかった
あら、あなたが結婚してくれっていったんじゃなかったかしら、
ふうん、なんかそんな気もする、
たしかあなたが子供を産んでくれって頼んだんじゃなかったかしら、
妙だな、へんにリアリティのある記憶のような気がする、
ようしわかった、百歩譲ろう、かりにそんなことがあったとしても、
だからなんだというのだ、
あなたはそのままママになっちゃえ
そうよ、ママよ、ねえけんしょうちゃん、
きみを粗暴な父親から守るためにふだんははかせない靴下をはかせ
ぼくのダウンジャケットのすそをひっぱる
昭和六十一年一月二日、この日
ぼくらはこれから出発するのだ、わが子よ
なぜならぼくらは実の親子じゃないみたいだからだ
ぼくらは冒険に向かうべき時を迎えたのだ
いざ、この試練を神のお加護と感謝してこの室内を離れよう
家の中に家族でいては親子の感じってでにくいもの
母を置いて街に出よう、ぼくらはふたりで孤立しよう
そうしてはじめてぼくらは親子を確立できるだろう
家にいちゃだめなんだよ
きみは母親の庇護の下、健康で衛生的な生活をしてる
でもそれだけじゃだめなんだ
困難をもっと喜ばなくちゃ
ぼくがきみを初めて自分の子供なんだと感じたのは
きみが母親と一緒に病院から退院してきてしばらく
目と鼻の先にあるコンビニエンス・ストアまで
二階から飛んだ方が早くいけそうなその店まで
きみを抱いて連れていったその時だった
空き地につながれて子犬は吠え
陽はかたむいてすでにちからなく
風がきみの髪を面白半分になでちらかしていく
なんだか地上に住むだれもかれもが疲れきってて
もうこの世をよくしてくれといいつのる元気さえないために
ぼくらを見逃してあげてもいいといっているような夕方だった
そのときなんだよな
一緒に元気だしていこうぜベイビィって
ぼくがキヨシローみたいにきみにささやいて
きみのまだ短かった腕を大きく上にあげたのは
わずかに道路を一本横切っただけで
ぼくときみの間にも親子の帆柱が高々と掲げられたのだ
なんという劇的で、なんという安易な親子愛なのだろうか
なんという急変で、なんというポテンヒットの親子愛なのだろうか
しかし愛は愛、あの素晴らしい愛をもう一度だよ
あれからなにがどうなってぼくらはこんな仲になってしまったのか
と悩むまでもなくそれはぼくの無関心のせいなのだ、ごめん
ぼくはぜんぶ知っている
きみを風呂にいれていたのは最初はぼくだった
しかしぼくはだんだん飽きてきてしまったんだね
他人事みたいでわるいけどさ、
なんで飽きちゃったんだろうな、
きっと思っていたほどきみがフラジャイルじゃないから
拍子抜けしちゃったんじゃないかな
で、
ぼくはきみの母親であるぼくの妻に育児を一任した
彼女はじつに頑張った
ぼくの非協力的な態度に立腹しながらもよく頑張った
この点できみの母親の功績はひじょうに大きい
買い物も、
洗濯も、
炊事も、
ぼくは一切手をつけなかった
期待をすっかり裏切った
なぜなら人間にとって出産が一大難事であるというのは
文化的な概念であると思っていたからなのだ
きみが知るか知らないかはぼくは知らないが
彼女はひじょうに強い人である
強いというのは文化的な概念から身体をほどいてやれるからだろう
ぼくはそのように理解していたわけだ
であるからには
出産が一大難事であるはずがない
であるからには
とうぜん翌日からでも通常業務をこなしていけるに違いない
であるからには
ぼくが面倒をみることもない
であるからには
きみは母親によって育てられても構わない
であるからには
ぼくは自分の関心事であるぼくのことにかまけよう
このような論理のいきつくところに
現在のぼくときみがいるのだから
なにも悩むことはないんだよね、ぜーんぜん
当然の結果なんだから
これで実の親子であってたまるかってもんだよね
だがもう実の親子になるべき時は来たのだ
時は来たりぬ、いざなりめやも
さて、どこへ行こうかと考えて
最初の目的地は西武池袋百貨店で開催中の「イブ・クライン展」だった
だが待てよ
地下鉄東西線を葛西から飯田橋まで直通で行って
乗り換えてさらにそこから有楽町線で池袋までいくのに
きみがいちども泣かず
きみがいちども目覚めず
ぼくの顔を見て安心してまた眠りにおち
うとうとと目覚めかけては
地下鉄からみえる外の景色に魅せられて黙り込む
麗しきかな、勇猛果敢なる父と従順する子なんて
そんな美談がありうることかね
いくらぼくが楽天的なその場主義だとはいえ無理です
神さまが各駅ごとに見守ってくれると口約束してくれてもいやです
枕木ごとに天使がねそべって
緊急態勢をひいてくれなければできません
だいいち地下鉄の窓からなにが見えるものは全部真っ暗なんだもの
なにも見えやしない
せいぜいガラスに映った自分の表情くらいのものだろう
それが赤ん坊にとってはたして心奪われるほど
すてきなものだろうか
そうだ、けんしょう!
そういえば千葉にむかえばあたりも見えるし
船橋にも西武はある
彫刻展を開催中だよ、けんしょう
よしそうだ、ぼくらは船橋へ行くべきなのだ
そうときめたら
出不精の母親をこのハイツ秋の二階に見捨てて
ぼくらはあるべきぼくらの関係を樹立しにいこう
と、
家を出てふたつめの交差点でもうきみは眠っていた
幸先のいいスタートだとぼくはひそかに喜んだ
切符を買って、電車に乗ってふと視線に感づくと
ぼくらを包む思いもよらぬ乗客の理解
人々がぼくらを慈しんでくれているじゃないか
なにかかれらは間違っている
見ろよ
老母連れの男のひそやかに誇らしげな表情を
あれはなにの表象なのか
謎がとけたのは
ぼくのまえに座った三人組の女の子のおかげだよ
ぼくらはね、けんしょう
妻/母を亡くした親子だと解釈されているんだ
うわあ、なんちゅうことじゃ
正月早々、男が赤子をかついで電車に乗っているから
かわいそうな赤ちゃん、かわいそうなだんなさん
ママもいなくて、奥さんもなくて
これからああしてふたりああして励ましあって生きていくのね
てめえらぁ、勝手に誤解すんじゃねぇ
きっとぼくらが座ってもたれている
電車の窓枠を黒いリボンでかざっているんだぜ
困ったことには
ついついぼくもそういう気になって
なんだか悲壮な感情でいっぱいになりそうなそのとき
きみは突然目を覚ました
目を覚ましてみるとそこにぼくがいたというわけなのだな
つまり、通常ならばきみは
天井や見慣れた毛布の柄や母親のセーターを見いだすはずが
密粗のまばらな黒々とした繁殖で覆われた突起物や
その上の赤味がかって開閉する膨らみや
さらにそのうえの左右不均衡の隆起物や
不吉なことに
乳白色の背景を浮沈する放射状に色の薄まる球体を、
つまり
ぼくの顎から遡行して眼球にいたるまでを発見したんだな
このとききみは異なる環境下で目覚め
頼りとする母親からは隔離され
なじみの薄い同居人の腹の上にくくりつけられているという
三重苦にあえぐことになったのだな
いまとなっては同情できるが、けんしょう
ぼくは使命感に燃えていたんだ
もちろん自分の都合で見つけてきた崇高な使命なのだが
きみの不機嫌がつけいる隙などはないんだ
もう気持ちは組合団交なんだ
電車がさっさとぼくらを西船橋でぼくらを下車させてしまうと
ぼくは国電の乗り換えホームへとすみやかに移動したが
きみはすでに恐怖と望郷の念に駆られている
いかん、体操だ、ここは身体的なアクセントで意識をかわすしかない
ベンチをともかく確保しておいて
はい、おいちに、おいちに
けんしょうくぅん、でんしゃですよっ
はい、おいちに、おいちに
にっしふぅなですよ、けんしょうくん
背伸びをさせながら、よかったですねぇ
ぱたっ、びぃぃぃい
どうしたの、けんしょうくんっ
けんしょっ、けんしょっ
あとひとえっき、
あっとひっとえっきでしゅうてんでぇす
野球の最終回で興奮するファンみたいに
ぼくはあっとひとつを連呼する
なぁ、けぇんしょっ
がぁんばろなっ
動きをやめると同時にきみは泣き出すので
ぼくはホームをぶらつき始める
すでに心は後悔の嵐が丘、なのであります
途方に暮れる白露の、果てるともない難波津を、
いずれをあやめのかきつばた、かこちがほなるわがなみだかな、
葛西笠差し浦安を、跨いで南は行徳の、
親の孝行せぬ孝行、いまさら悔やむもおこがまし、
中庸知らずの行徳欠かし、見ればたんぼにからすやすずめ、
原木へしおり中山越えて、牛でもつなげ西船橋、
袖ふりあえぬ国電の、ヂャンクションにて船橋めざし、
もしやもしやのもしかして、これは暴挙にあらざりしや、
たばかり試練と申せどもあまりになじみがなさすぎじゃんせ、
だれが漕ぐのか助け船、
だれが漕ぐのか帆掛け船、
あとの祭りが待ちどおし、
ぼくらは親の常として
どこかにこの子の非凡なところはないかと
ぴんぴん耳を尖らせている
たとえば母子手帳には次のような質問がある
○家族と一緒にいる時、話しかけるような声を出しますか。
その回答欄はこうだ
はい( か月 日頃から) いいえ
このページは保護者の記録【6-7か月頃】となっているが
きみの記録は3か月と記入されている
じつになんとなんと標準の倍だ
ということはこの子は
周囲への関心がすでに形成されており
認識力が大きいということではないだろうか
ふうむ、末頼もしい
次のような質問もある
○支えられて、立っていられますか。
はい( か月 日頃から) いいえ
これには4か月3日頃と記入されている
ここは【9-10か月頃】のページなので
いぜんとしてきみのペースはおちていないわけだ
認識力もある(知恵の分野)
体もいい(力の分野)となるとあとは
行動力(勇気の分野)が問題なのだが
きみの場合ここが弱点なのだ
対人関係が結べない
あるいは他者との接触を嫌う
あるいは部屋を出て戸外にいくと
そこでは一歩も動けない
そんなことではどうするのだと
思ったりもするのだが
黄金時代が幼児期にあるということは
どうみても不幸なことなのだ
今でこそ大予言者とよばれている
出口王仁三郎でさえ幼年時代は
「八文銭の喜三郎」とはやされていたというではないか
ということはどういうことかというと
親としては黄金時代をはやく迎えさせたほうが得なのだ
自分の子供をいばれるのは
支配権が確立されているときだけだからな
しかし子供としてはそうはいかない
進学の時期に燃え尽きたのでは
あとの半生を賭けるチップがなくなってしまう
つまりは
学校教育ってなにかという問題になる
学習のためではないはずだ
学習能率をあげるためなら
スパルタの家庭学習の方が能率があがるもの
友人つくりのためか
下半身の仲になるほど親密にはならず
協調性をもってだれとでもつきあえるようになるための
しかしそうするとのれんくぐりばかりがうまくなるだろう
結局のところ
サラリーマンをつくりあげたいのか
学歴が必要条件ではあっても十分条件ではないのが
企業労働の職場なんだものな
労働とはもっと多義的な言葉だったのだが
ぼくらはしだいに痩せさせてしまった
もっと自営業の精神を養うようにしなければ
ぼくもきみも安易に滅びていくばかりだ
教わるべきなのは
企業家のたくましさであって
企業労働の心得ではない
だから、けんしょう
ぼくらはもうすこしあつかましくならなければならない
知らない人のところへ行って
自分のアイディアや考えを説明できなければならない
こういうのを仕事にしている人でも
自分のこととなるとできない人もいる
あつかましくなるときに企業の仮面をかぶるからだね
ぼくらは素顔であつかましくならなければならない
それができないのなら
ぼくらは思った通りに生きていく資格に欠けているのだ
そう言い聞かせながら
船橋西武百貨店の展覧会入口で
ぼくはきみにミルクを飲ませようとしているのだが
ははは、なかなかうまくいかないものだ
脚をくみかえるときに衣服がすれる音さえ聞き分けられるのに
きみの泣き声はここでは大音響なのだよ
しかし、
あつかましくならなければならない
あつかましくならなければならないと
乾坤を転がすほどに気迫はこもるが
哺乳瓶のミルクはいっこうにへらない
ああ、なるほどね
これはだね、けんしょう
出の悪い方の乳首をつけてきてしまったのだよ
下に行ってゆっくり飲もう
と、子供の広場のベンチでもういちど試みるがうまくいかない
ということは、ミルクがでないということは
この子がけっして泣き止まないということではないのか
やっと事態の重大性に気付いたぼくは
彫刻展どころではないとことにも考えが至った
こんなところまで来てしまっているのだ
西船橋から船橋までの一駅でさえ
あれほど難儀したというのに、おうおう
いまから
いままで来た道を
前略も中略もなく
草々と早々にひきあげることもできずに
ふたりで帰らなければならない、ならないのだ
おい、おれとおまえとで帰るんだからな
おれも覚悟するから
おまえも覚悟しておけよ
恨むんだったらな
その相手はおれじゃないぜ
幼いおまえに念をおしてもあれなんだが
それはおまえの母親だ
もとはといえば
おまえの母親が悪い
三つ子の魂百までっていうから
かんでふくめて教えておくけどな
出不精なおまえの母親が悪い
三人で行きましょうって一声かけてくれればよかったんだ
そうしたらこんな試練もありえなかった
恋愛って魔物だよな
結婚するまでは出不精が魅力だったんだからな
わからないもんだよなひとのこころっていうのは
おまえも恋愛で悩んだらおれに相談しろよ
おれのアドバイスはきびしいぜぇ
諸行無常の恋愛観だからな
子 彼女がぼくのことを好きになってくれないんだけどどうしたらいいですか、お父上、なにかいい御案は。
父 ふむ、そういうときにはな、けんしょう坊待つのじゃ。じっと待っておればよろしい。
子 そうかな。
父 おまえに妙案はあるか。
子 いや、べつにないよ。
父 いいか、けんしょう坊。わしはなんの理屈もなしでおまえにこう説いているのではない。
いまおまえは彼女の気持ちが自分に傾いてくれないという現在の事実にだけ囚われすぎておる。あの松の木を見よ。
(庭の松の木をじっとみつめるふたり)
父 (しばしののちに)のう、わかったじゃろうが。
子 なにが。
父 なにがとはなんじゃ。
子 ぜんぜんわかんないよ。
父 ええい、その察しの鈍いところなどは母親譲りじゃのう。あれも女鉄面皮と呼ばれておったがのう。ほんとにわからんか。
子 ちっとも。
父 そのあっけらかんとしておるところなども母親譲りじゃのう。あれは歩くアパシーと呼ばれておったが。ほんとにわからんか。
子 (ひるまず、朗らかに)ああ。
父 ほんとにおまえは母親に似て散文の精神じゃのう。ふつうはな、庭の松の木を見たらなにもわからんでもわかったような気持ちになるんじゃ。それが風流というものだろうが。
子 いいからはやく松の木シリーズやってよ。
父 しかたがない。じゃあひとつずつ解説していくか。解説された詩はもうすでに詩ではないという言葉も、
子 知らないよ。
父 そうじゃろうて。(落胆から立ち直り)まず松の木があるな。
子 あるある。
父 あれのどこを見るかというのがひとつのポイントじゃ。
子 どこみんの。
父 すこしは考えてみい。
子 じゃあ、はっぱ。
父 口からでまかせをいうところがかわいくないが、おうとる。
子 え、あってんの。
父 ああ、おうとる。
子 はっぱのどこみんの。
父 だからさっきからいうとるじゃろう、すこしは自分で考えてみぃと。
子 わかんないな。
父 ・・・・
子 ヒントちょうだい。
父 ・・・・・
子 ぼく遊びにいこうかな。
父 (ひるむ)まあ、待て。じゃあひとつだけじゃぞ。いいか、いま枝にある松のはっぱはこのあとどうなる。
子 落っこちんじゃないの。
父 そうじゃ。じゃあなぜ落っこちてしまうかが問題じゃな。
子 なぜって風が吹いたりするからじゃないの。
父 そこじゃあ!
子 ああ、びっくりした。どうしたの。
父 風が吹けばはっぱが落ちるじゃろ。
子 (うんうん)
父 なんではっぱはそのまま枝についておらなかったのじゃ、なんではっぱは落ちてしまったのじゃ、
子 (ううん)
父 そして最後に、だれかはっぱが落ちてしまうとそれまでに考えていたものがおったか、いいや、おらなかった。正座せい、けんしょう坊。
子 はい。
父 つまり、な、自分に気持ちをよせてくれないはっぱが彼女なのじゃ。いやいや、ごめんまちがった、自分に気持ちをよせてくれない彼女がはっぱだとする。
子 ふんふん。
父 しかし、そのはっぱはどうなる。いつかは地面に落ちるじゃろ。
子 ふんふん。
父 その地面がおまえじゃあ、わかったか、けんしょう坊。
子 (納得してない)ふうん
父 わからんか。
子 うん。
父 どこが。
子 どうしてその地面がぼくだってことになるの。
父 むむっ。
子 落ちるはっぱまではいいけど、どうしてぼくが地面なの。
父 それはじゃな。むむん。
子 ぼく、地面でもいいけど、そんなに広くないよ。
父 たじたじの太刀をはらいて、
子 ね、パパ。だからさ、ぼくとしてはどうしたらそこの場所に彼女が落ちてくるかが問題なんだよね。
父 なるほどねぇ。
子 もしかしたら、パパ、あんまりもてた経験ないんじゃないの。
父 (はっ)
子 そのあまりといえばあまりな楽観論には、こうあるべき、いやこうあってくれたらいまごろ自分はというアドレッサンスの願望がこめられている気がするなあ。
父 不思議だ。いくら親子とはいえ、なぜそんなことまで分かってしまったのだろう。
やっぱりおれに相談するのはよくないな
するんだったらおまえの母親にしろ
おまえの母親もおんなじようなことを言ったあとで
「だってわたしもてたもーん」と公言していたからな
最近おれがひとりででかけると
「いいなぁ、わたしももてにいきたいなぁ」
あてつけがましいからな、とっても
おう、着いた着いた
葛西だよ
電話しような、
「わたしです。帰ってきました。
葛西です、けなしょうが泣いてしょうがないので
展覧会も見ずに帰ってきました。
ケーキ屋の前で待ってますから、駆け足で迎えにきたください。」
このときのきみの母親というひとはどういう返事をしたか
忘れずにいることも決して無益ではない
母親ということで過剰な期待をもちがちな自分を
制御するための装置として作動してくれるだろう
彼女はこう言った、
「ええっ、
もう帰ってきたの、
まだなにもしていないわよ。」
なにをしようというのだろうか、きみの親愛なる母親は
鏡にでももてようとしていたのだろうか
ぼくらはケーキ屋の前でひさしく待った
風に吹かれているきみの横顔は凛々しかった
ぼくらが「立て髪」と呼んでいるきみの
つむじのところからほとんど垂直に伸びている癖っ毛は
風見鶏みたいにお辞儀を繰り返している
きみは視線を動かさない
ぼくはきみとともにいる
きみは視線を動かさない
ぼくはきみをのぞきこむ
きみは視線を動かさない
ぼくもきみの視線をなぞる
きみは視線を動かさない
ぼくらの視線に彼女はこない
そうやって遠くを見るときの方法を
きみはどうやって身につけた
それはいけないやり方だ
親子がいっしょにいるときには
そういう見方をしてはいけない
きみとぼくが親子であるのは
こうしてここに立っていて
きみにとっては母親で
ぼくにとっては妻である
共通の女性を待っているから
ただそれだけの理由みたいだ
きみが気づくとき
すでにぼくは動かしがたく
きみの父親として現象しているだろう
ぼくは克行という名前を持ち
克夫という名前の父親と
サツエという名前の母親のもとで
幸夫という名前の弟といっしょに育ってきて
いつもどちらかが失職してて
母親が心配していたことや
きみが生まれてくることも知らず
その母親が死んでしまったことや
その葬式のときに父親が
壷に納める母親の骨を割れなかったことや
そんなことがぜんぶ
きみにはどこかの
お伽話の館のみやげばなしみたいにひびくだろうな
奇数の歯を持つ嬰児、
きみのくちびるをめくると
上に四本、下に三本
計七本の歯しかない
本棚のかげから顔をだして
いない、いない、ばあの
パフォーマンスをみせてくれる
奇数の歯を持つ嬰児、
いない、いないがいえないから
ばあ、ばあを繰り返す
奇数の歯を持つ嬰児、
自分の掌で顔をつつむときは
たたくようにしておおいこむ
奇数の歯を持つ嬰児、
ひぐまのあしあとのような蒙古斑のある
奇数の歯を持つ嬰児、
きみが風邪で鼻がつまったとき
すすってあげたのは
きみの母親の方だったよ
ぼくには結局できなかったな
そんなことが
ぼくがきみについて知っているほとんどかな
ほら、その母親がやってきたよ
間違って別のケーキ屋にむかってたと
弁解しながら走ってきたよ